この子は実は、そのお坊さんが喪主の妻と不倫して産ませた子どもだからおかしなのだ」と述べました。
そこで亡くなった子どもの母親を厳しく問い詰めたところ、やはりその通りの事実でした。
三日目の昼頃、道中で何事も起きていないのにまた大笑いしたので、詳しい事情を尋ねると、「たったいま、王宮で大変な珍事が起きたから笑ったのだ。いまの内大臣が、美女が男装している人だとは知らず、王妃がしきりに言い寄ったのに従わなかったため、その恋心が憎しみに変わり、『彼は私を無理やり犯そうとした』と王に嘘の告発をした。王はその嘘を信じ込み、『大臣を捕まえてすぐに絞め殺したあと、バラバラに切り刻め』と命令したところだ。だから、あなた方のうちの一人が急いで馬を走らせて帰り、内大臣が男なのか女なのかを検査して、その無罪を証明してやりなさい。そしてこれは、ぼくの忠告によるものだと言いなさい」と言いました。
使者が早馬で駆けつけて王にすすめ、王の目の前で内大臣が女性であることを突き止めて命を助けたと書かれていますから、よほど赤裸々な検査をしたようです。
さて、これはやっと七歳になったばかりのメルリンが告げたことだということなので、王は一刻も早くその子どもに会って「城をがっちりと固める方法」を尋ねようと、自ら出迎えてメルリンを宮中に招き、ごちそうを振る舞いました。翌日、彼を連れてお城の工事現場に行き、「夜になると必ず壁が崩れてしまうのは、どうにも納得がいかない」と言うと、「それはこの地面の下に赤と白の二匹の龍が棲んでいて、毎夜戦って大地を揺るがしているからだ」と答えました。
王がさっそく深くその地面を掘らせたところ、はたして二匹の龍がいて大戦争を始めました。赤い方が負けて死に、白い方はどこかへ消え去りました。
こうして、お城の工事はうまくいったのですが、王の心はどうにも安らぎません。
「二匹の龍の戦いは、いったい何の予兆なのだろうか」と何度も繰り返し尋ねるので、メルリンはしかたなく、「王が、先代の王の二人の弟と戦って負け、死ぬという知らせです」とはっきり告げて、どこへともなく消え去ってしまいました。
のちに、はたして城は攻め落とされ、王も王妃も火に包まれて死んでしまったということです。
(1811年版エリス著『初世イギリス律語体伝説集例』第1巻、205―243頁)
イギリスのデヴォン州にあるホルスウォーシーのお寺の壁を15世紀に建てたときにも、人柱が入れられました。
アイルランドでも、古い円形の塔の土台の下から人間の骨が見つかったことがあります(『ブリタニカ百科事典』第11版、第4巻762頁)。1463年、ドイツのガットという場所で堰(せき)を直すとき、物乞いをベロベロに酔わせて生き埋めにしました。また1843年、同じドイツのハルレというところで新しい橋を建てるとき、人々はその下に子どもを生きたまま埋めようと願いました。
デンマークの首都コペンハーゲンの城壁も、作るたびに崩れてしまうため、椅子の上に元気な子どもを乗せて、おもちゃや食べ物を与えて夢中で遊ばせているうちに、左官の親方十二人が丸天井をかぶせ、賑やかな音楽の演奏にかき消させながら壁の中に塗り固めたところ、やっと頑丈になりました。
イタリアのアルタ橋は何度も崩れたため、その大工の棟梁の妻を壁に塗り込みました。そのとき妻が呪ったので、今でもその橋は花の茎のようにゆらゆらと揺れています。
ロシアのスラヴ※クスという地域では、黒死病(恐ろしい病気)で大荒れになったあと、再建するときに賢人の教えにしたがい、ある日の日の出前に人を四方八方に使いに出し、一番はじめに出会った人を捕まえたところ、それが子どもでした。そこで新しい砦の土台の下に生き埋めにして、その場所を「ヂェチネツ(子ども城)」と改名しました。
ロシアの農民たちは、どこの家にも「ヌシ(主)」がいると信じています。それは、はじめてその家を建てた祖先がなるものだと信じられているため、新しく建った家の主人や、あるいははじめて新築の家に足を踏み入れた人がすぐに死んでしまうと信じられています。そもそも古代からの風習として、新しく建った家には、その家族の中でいちばんお年寄りが最初に入ることになっています。
ある場所では、家を建て始めるときに、斧(おの)を使い始める大工が、ある鳥や獣の名前を呼びます。するとその動物はすぐに死んでしまうと言われています。そのときにもし大工に自分の名前を呼ばれたらすぐに死ななければならないので、農民たちは大工をものすごく大切にもてなし、自分の名前を呼ばれないように一生懸命がんばります。
ブルガリアでは、家を建て始めるときに、通りかかった人の影を糸で測って、その糸を土台の下に埋めます。そうするとその人はすぐに死んでしまうそうです。ただし、人が通りかからなければ、一番はじめにやってきた動物を測ります。また、人の代わりに鶏や羊などを殺して、その血を土台に振りかけることもあります。
セルビアでは、街を建てるときに、人間や人間の影を壁に塗り込まなければ成功しないとされていました。影を塗り込まれた人は、必ずすぐに死んでしまうと信じられていました。
むかし、その国の王さまと二人の弟がスクタリ砦を建てたとき、昼間に仕上げた工事を夜になると鬼が次々と壊してしまいました。そこで相談して、三人の王妃のうち、一番はじめに食事を働き手たちに持ってやってきた者を壁に塗り込もうと決めました。王さまと次弟はその計画をこっそり自分の妻に漏らしたので、その二人の王妃は病気だと言ってやってきませんでした。一番下の弟の王妃だけは何も知らずにやってきたのを、王さまと次弟が捕まえて人柱にしてしまいました。その王妃は「お願いですから壁に穴を残してください。そして毎日子どもを連れてこさせて、その穴からおっぱいを飲ませてください」と頼み、そうして十二ヶ月経ってから亡くなりました。今でもその壁からは、石灰を含んだミルクのような水がポタポタと落ちてきて、女性たちがそこへお参りにやってきます。
(タイラーの『原始文化』第2版第1巻、104―105頁。
1872年版、ラルストンの『ロシアの民謡』、126―128頁。)
それからタイラーの本には、人柱の代わりにドイツで空の棺桶を埋めたり、デンマークで羊や馬を生きたまま埋めたり、ギリシャでは土台を据えたあとに一番はじめに通りかかった人は一年のうちに死んでしまうので、その災いをほかに移そうとして左官が羊や鶏を土台の上で殺したり、ドイツの古いお話で「橋を崩さずに立ててくれたら、一番はじめに橋を渡る者をあげよう」と鬼をだまして、橋が完成したあとに一番はじめに鶏を渡らせた、という話が載っています。また、同じ国では、新しく家が建ったらまず猫か犬を中に入らせるとよい、というような例がずらりと並べられています。
日本でも、『甲子夜話』の巻59に、「彦根藩主の江戸屋敷はもともと加藤清正の屋敷であり、その千畳敷の天井には駕籠(かご)が吊り下げられていて、人が開けて見ることは禁止されている。あるいは言うことには、そこには清正の妻の遺体が納められているとも。
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