この化け物は、まるでいつも亜麻(あま)の繊維を打ったり、石臼(いしうす)で麦をついたりしているような音を立てます。
その音が普段よりも長く、そして高く聞こえるときは、そのお城の主人が死んでしまったり、不幸な目にあったりするというのです。
昔、ピクト人という人たちがこうした建物を作ったとき、その土台に人間の血を振りかけたため、殺された人たちの姿が現れるのだそうです。
のちの時代には、人間の代わりに動物を生きたまま埋めて、建物を頑丈にすることがキリスト教の国々でも行われるようになりました。
イギリスでは犬や豚、スウェーデンでは羊などが使われ、どれもその動物の魂が墓場を守ってくれると信じられていたのです。
(1879年版ヘンダーソンの『北英諸州俚俗』274ページ)
『甲子夜話(かっしやわ)』に登場する大阪城の中に現れる山伏(やまぶし)、『老媼茶話(ろうおうさわ)』の猪苗代城(いなわしろじょう)の亀姫(かめひめ)、島原城(しまばらじょう)の大男(おおおんな)、姫路城(ひめじじょう)の天守閣に現れる貴女(きじょ)など、お城を建てるときの人柱になった女性の霊たちが、上で紹介したインドのマリーと同じように、いわゆるその城の「主(ぬし)」となって、お城を守っているように思えます。
「主」についての詳しいお話は、最後のほうで改めてお話ししましょう。
5月18日に亡くなられた徳川頼倫(よりみち)侯は、よく書やサインのときに「(※編集者注:中国の故事にある「臥虎」の二字を合わせた漢字ですが、今の活字にはないため、そのままの形で残しておきます)」城倫と署名されていました。
これは、和歌山城が「虎臥山竹垣城(とらふさんたけがきじょう)」と呼ばれている場所にあることから、漢の時代の立派な名臣である「第五倫(だいごりん)」という人の名前と音が似ているからだと思っていました。
そんな難しい漢字は印刷するときに困るだろうから、「やめましょう」と諫言(かんげん)しようと思ったのですが、どうしても言葉にすることができませんでした。
これも、「お虎」という名前の女の人を人柱にしたからこその山号(山の名前)なのだと、子供のころに古いお年寄りから聞いて、「なんだか面白くないことだなあ」と考えたからなのです。
ほかにも、お城を建てるときの人柱の例をいくつか集めてあったのですが、いま病人を抱えながらこの原稿を書いているため、手元から引き出すことができません。
さて、家光将軍の時代に日本にいたオランダ人、フランシス・カロンの記録によると、日本の諸大名が城の壁を築くとき、自分の意志で「臣民(家来や民衆)のいくらかを、建物の礎(いしずえ)として壁の下に敷いてほしい」と願い出ることがあると書かれています。
自分から進んで押しつぶされて死んだ人の上に建てた壁は、決して壊れることがないと信じられていたからです。そして、その人たちは許可を得て、礎の下に掘られた穴に自分から横たわり、重い石を下ろされて粉々に押しつぶされるのだといいます。
ただし、こうした志願者たちは、日ごろの重い労働や苦しみにすっかり疲れ果ててしまった奴隷のような人たちだったのかもしれません。何の希望もないこの世の中に長く生き続けるよりは、いっそ死んでしまうほうがましだ、という考えからそんなことをしたのかもしれませんね。
(1811年版、ピンカートンの『水陸旅行全集』第7巻623ページ)
ベーリング・グールドの著作『奇態な遺風』によると、まだ昔の人々が未熟だったころ、数本の棒に動物の皮を張っただけの簡単な小屋をあちこち持ち歩いて、一時的に仮住まいをしていた時代には、建物のことについてそこまで深く気をつけることはありませんでした。しかし、時代が進んでしっかりとした礎をすえ、頑丈な土台を築くようになると、建築の知識がまだ浅かったこともあり、何度も壁が崩れたり柱が傾いたりするのを目の当たりにしました。人々はそれを「地の神様のご機嫌が斜めなのだ」と思い込み、あまりの恐怖と驚きから、「土地の一部を人間が占めて使わせてもらうことへの償い(お詫び)として、人間を神様へのいけにえに捧げたのだ」ということです。
フレザーの著作『旧約全書の俚俗』には、今から80〜90年ほど前、イギリスの脱艦水夫(海軍を逃げ出した水夫)であるジャクソンが、フィジー島で王さまの宮殿を改築する現場を目撃したお話が引用されています。
そこでは、柱を立てるための底の穴に人を抱え込ませて埋め、頭だけはまだ地上に出したままにしていました。「どうしてそんなことをするのか」と問い合せたところ、「家の下に人が座って、しっかりと柱を支えていなければ、家はずっと長く建ち続けることができないのだ」と答えました。さらに、「死んだ人間がどうやって柱を支えられるのか」と尋ねると、「人間が自分の命をいけにえにしてまで柱を支えようとする、その一途な誠の心を感じ取るからこそ、その人が死んだ後には神様が代わりに柱を支えてくれるのだ」と説明されたということです。
これだけでは、どうして女の人や子どもを人柱にしたのか理由がよく分かりませんので、やはり先ほどのベーリング・グールドの説のほうが、一般のお話にも当てはまるように思います。
またフレザーは、敵の城を占領するときなどのまじないとしても、こうした人柱のようなことが行われていたと説いています。
今度、宮城の二重櫓(やぐら)の下から見つかった骸骨を調査する人たちには、ぜひ一読してもらいたい内容です。
国学に詳しい人から、「大昔の日本では、月経(生理)や精液のことを日本語で何と呼んでいたのか分からない」という話を聞いたことがあります。
心も体も健康な大人であれば誰もが持っている大切なものなのに、うやむやにしてその名前をむやみに口に出さなかったのです。
中国の人たちは大昔から豚を飼っていたからこそ、「家」という漢字は、屋根の下に「豕(いのしし・豚)」と書くのです。アイルランドのへき地で見られるように、昔は人間と豚が同じ家の中で一緒に暮らしていたことが窺(うかが)えます。
あんなにも中国のことが一般的で、深く関わりがあったはずの「豚」の关于(こと)を、マルコ・ポーロがあれほど詳しく中国の事情を書き記している本の中で、一言も書いていないのは不思議なことです。
世の中にはこれほど大きな大事件が起きているというのに、一銭や二銭の出入りをもれなく帳面に書き留めるような人が、「今夜、妻が子供を身ごもったらしい」ということについては、まず書き残さないのと同じようなものかもしれません。
日本の学者たちは、今度の櫓の下の白骨一件などのニュースに出くわすと、すぐに古い本を調べて、「古い本に書いていないのだから、人柱なんてものは絶対に存在しなかった」と言い出します。しかしこれは、「日記に書いていないのだから、あの子供は自分の子どもではない」と言うようなものに近いでしょう。
大体、まじないの類というのは秘密裏に行われるもので、「人に知られてしまったら効き目がなくなってしまう」というのが鉄則です。
それを、まるでうなぎ屋の出前のように、「いま何人のお客さんが人柱に立ちました」などとわざわざ書き留めるバカがいるでしょうか。
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