初級翻訳・人魚のひいさま 第4話

アンデルセン ハンス・クリスチャン

ふと一瞬、墨をながしたような真っ暗な夜になって、まるでものが見えなくなりました。
するうちに、いなびかりがしはじめるとまた明るくなって、船の上のようすが手にとるようにわかりました。
みんないろんな方法でどうにかして助かろうとあがいていました。
わかい王子のすがたを、ひいさまはさがしもとめて、それがちらりと目に入ったとたん、船がふたつにわれて、王子も海の底深くしずんでいきました。
はじめのうち、ひいさまはこれで王子が自分のところへ来てくれると思って、すっかりうれしくなりました。
でも、すぐと、水のなかでは人間が生きていけないことを思い出しました。
そうすると、この王子も死んで、お父さまの御殿にいきつくほかはないと思いました。
まあ、この人を死なせるなんて、とんでもないことです。
そこで、波のうえにただようはりや板きれをかきわけかきわけ、万一、ぶつかってつぶされることなんてすっかり忘れて、夢中でおよいでいきました。
そして、いったん水の底深くしずんで、また高く波のあいだに浮きあがったりして、やっと、わかい王子のところまでおよいで行けましたが、王子は、もうとうに荒れくるう海のなかで、およぐ力がなくなっていて、うつくしい目をとじていました。
人魚のひいさまが、そこへ来てくれなかったら、そのまま死んでしまうところだったでしょう。
ひいさまは、王子のあたまを水の上にたかくささえて、あとは、波が、自分と王子とを、好きなところへはこぶままにまかせました。
そのあけがた、ひどいあらしもやみました。
船のものは、木っ端ひときれのこっていませんでした。
お日さまが、まっかにかがやきながら、たかだかと海のうえにおのぼりになりますと、それといっしょに、王子のほおにもさっと血の気がさしてきたように思われました。
でも、目はとじたままでした。
人魚のひいさまは、王子のたかい、りっぱなひたいにほおをつけて、ぬれた髪の毛をかき上げました。
こうして見ると、海の底の、あのかわいい花壇にすえた大理石の像によく似ていました。
ひいさまは、もういっぺんほおづけして、どうか命がありますようにとねがっていました。
たかい青い山々のいただきに、ふんわり雪がつもって、きらきら光っているのが、ちょうど白鳥が寝ているようでした。
そのふもとの浜ぞいには、みどりみどりした、うつくしい森がしげっていて、森をうしろに、お寺か修道院かよくわからないながら、建物がひとつ立っていました。
レモンとオレンジの木が、そこのお庭にしげっていて、門の前には、せいのたかいしゅろの木が立っていました。
海の水はそこで、ちいさな入江をつくっていて、それは鏡のようにたいらなまま、ずっとふかく、すその方まで入りこんでいて、そこにまっしろでこまかい砂が、もり上がっていました。ひいさまは、王子をだいてそこまでおよいでいって、ことに、あたまの所をたかくして、砂の上にねかせました。
これはあたたかいお日さまの光のよくあたるようにという、やさしい心づかいからでした。
そのとき、そこの大きな白い建てもののなかから、鐘がなりだしました。
そうして、その園をとおって、わかい少女たちがおおぜい、そこへでて来ました。
そこで、人魚のひいさまは、ずっとうしろの水の上に、いくつか岩の突き出ている所までおよいでいって、その陰にかくれました。
たれにも顔のみえないように、髪の毛にも胸にも、海のあわをかぶりました。
こうしてきのどくな王子のそばへ、たれがまずやってくるか、気をつけてみていました。
もうまもなく、ひとりのわかいむすめが、そこへ来ました。
むすめはたいへんおどろいたようでしたが、ほんのちょっとのあいだで、すぐとほかの人たちをつれて来ました。
人魚のひいさまがみていますと、王子はとうとういのちをとりとめたらしく、まわりをとりまいているひとたちに、にんまりほほえみかけました。
けれど、ひいさまのほうへは笑顔をみせませんでした。
ひいさまにたすけてもらったことも、王子はまるで知りませんでした。
ひいさまは、ずいぶんかなしくおもいました。
そのうち、王子は、大きな建てもののなかへはこばれていってしまうと、ひいさまも、せつないおもいをしながら水にしずんで、そのまま、おとうさまの御殿へかえっていきました。
いったいに、いつもものしずかな、ふかくおもい込むたちのひいさまでしたけれど、これからは、それがよけいひどくなりました。
おねえさまたちは、この妹が、海の上ではじめてみて来たものがなんであったか、たずねましたが、ちょっぴりともその話はしませんでした。
晩に、朝に、いくたびとなく、このひいさまは、王子をおいて来た浜ちかく上がっていってみました。
園のくだものが実のって、やがてもがれるのもみました。
山山のいただきに、雪の消えるのもみました。
けれども、ひいさまは、もう王子のすがたをみることはありませんでした。
そうして、そのたんびに、いつもよけいせつないおもいでかえって来ました。
こうなると、ただひとつのたのしみは、れいのちいさな花壇のなかで、うつくしい王子に似た大理石の像に、両腕をかけることでした。
けれども花壇の花にはもうかまわなくなりました。
それは、路のうえまで茂りほうだいしげって、そのながくのびたじくや葉を、あたりの木の枝に、所かまわずからみつけましたから、そこらはどこも、おぐらくなっていました。
とうとう、いつまでもこうしているのが、ひいさまにはたえられなくなりました。
それで、ひとりのおねえさまにうちあけますと、やがて、ほかのおねえさまたちの耳にもはいりました。
でも、このひいさまたちと、そのほかに二、三人の、海おとめたちのほかたれ知るものはなく、そのおとめたちも、ただごく仲のいいお友だちのあいだでその話をしただけでした。
ところで、そのお友だちのうちに、ひとり、王子を知っているむすめがありました。
それから、あの晩、船の上でお祝のあったこともみていました。
そのむすめは、王子がどこから来たひとで、その王国がどこにあるかということまで知っていました。
「さあ、いってみましょうよ。」
と、おねえさまたちは、いちばん下のちいさい妹をさそいました。
そうして、おたがい腕を肩にかけて、ながい列を組んで、海の上にうき上がりました。
そこは王子の御殿のあるときいた所でした。
その御殿は、クリーム色に光をもった石で建てたものでしたが、そこのいくつかある大理石の階段のうち、ひとつはすぐと海へおりるようになっていました。
平屋根の上には、一だんたかく、金めっきしたりっぱな円屋根がそびえていました。
建物のぐるりをかこむ円柱のあいだに、いくつもいくつも大理石の像が、生きた人のようにならんでいました。
たかい窓にはめ込んだあかるいガラスをすかすと、なかのりっぱな広間がみえました。
その広間の壁には、高価な絹のとばりや壁かけがかかっていました。
壁という壁は、名作の画でかざられていて、みるひとの目をたのしませました。

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