澄江は、別に予期した答えを心に抱いて待ち構えていたわけではないのだけれど。けれども、それはまるで自分が予想していた答えとは違うように思えるほど、ただ冷たく、嫌な言葉でした。
むしろ――と澄江は思います。
あまりにも予想通りのことを言われたことへの反発心と、嫌な気分が混ざり合っているのかもしれません。
こちらの心の動きを一つひとつ冷酷に見極めて、逃げ場のない最後の言葉を、狡猾に押しつけてくる。そんな不快極まりない、冷え切った理屈を感じたのでした。
冷徹な理屈を振りかざすというのは、結局のところ、自分の悪を自分自身で許し、他人にも許させるための、ずる賢い技術に過ぎないのだと感じたのです。
もしも自分が由子の立場に置き換えられたらどうなるのだろう。
……由子は数え切れないほどの美女の中の一人に過ぎないが、自分は唯一の女だと彼は言います。
しかし、由子と同じ立場が、やがて自分に訪れないとは言い切れません。
むしろ、その結末をすでに卓一は予言しているのです。
……
この愛情さえも冷める日が来ないとは言い切れないと、あの再会の感動の日に、卓一は言っていました。
いや、この愛情さえも必ず冷める時があるだろうと。
しかし、この愛情さえ冷めてしまうのなら、それはもう仕方がないことだと思う。
ここまでが精一杯なのだから、と。
あの時は、澄江も夢中でした。
そうよ、きっと愛情が冷める日は来るわ。
だけど私たちはそれを恐れてはいけないのよ、と澄江も必死に言い返していました。
しかし、この愛情が、冷めてしまってもいいものなのでしょうか。
なるほど、結局のところ愛情というものは、やがて冷めてしまうものに違いありません。
けれども、それを卓一のようにハッキリと意識させられるのが、やりきれないのです。
いや。
同じ意識を押しつけられてしまうことが、たまらなく辛いのです。
たとえ最後には冷めてしまう愛情だとしても、冷めさせてはならないもののはずです。
そして、そのための努力こそが、か弱い人間が繰り返す愚かで平凡、かつ陳腐な人生劇なのだから、それを愛おしまなければならないはずなのです。
愛情が冷めたからといって突き放され、それで済むはずがありません。
卓一と結婚してしまったら、もう浮かび上がる瀬がないようです。
明るく、広々とした人生へ再び浮き上がるための力を、すべて失ってしまいそうです。
家庭という暗がりでうごめく、ただの一匹の虫になってしまうだけなのです。
家庭の最下層に漂う暗闇にひそみ、貪欲な目を光らせる醜い餓鬼になってしまうだけなのです。
しかし、澄江の毎日の不安は、そうやって姿を指摘できる不安以上のものだったのでした。
その正体は言葉にして言えません。
ただ、もやもやと心に立ちこめ、激しい苦痛を与えるのに、手触りがまったくないのです。
毎日会っていたいのは、卓一のことばかりではありませんでした。
毎日どころではないのです。
毎時毎秒、会っていたいと思うのです。
会っている間は不安も救われ、苦痛も感じずに済みます。
つまり、本音を打ち明ければ、毎時毎秒一緒にいたい。
それなのに、結婚したいとも思う。
なんという矛盾でしょう!
切ないのは、卓一のことばかりではありません。
「どうして毎日会わないのかって、だって私、あなたよりもずっとずっと苦痛を感じているのよ」澄江は苛立ちながら卓一に答えました。
「私、あなたに会っていると、急かされているような気持ちになるの。
早く別れて帰らなければいけないような、追い立てられるような気持ちになるのよ。
そして別れてしまうでしょう。
その瞬間にもう後悔が始まっているの。
どうして別れてしまったのだろうと、自分を責めたいほどの切なさで、泣きたいくらい苦しいわ。
そして家へ帰るでしょう。
もう一度引き返して会いにいこうと思うのよ。
そんなときは、まるで気が狂いそうになるわ。
そのうち、みんなが寝静まって、もう外を歩けない時間になるの。
その時間がくるまでは、いっそのこと引き返して、あなたに会いにいくことばかり考えて、頭痛でぼんやりしているのよ。
ねえ。
私を落ち着かせてよ! 私、怖いの。
幸福なのが怖いのよ。
不安でたまらないわ。
お願い。
私を落ち着かせて。
私、もうあなたに会うのが怖ろしいのよ」
そして澄江は耐えきれず、思わず口走ってしまったのでした。
「私ね。
やっぱり新京へ行ってしまうわ。
私、とても落ち着いていられないの。
新潟にはいられないのよ。
ねえ。
行かせて。
私、新京へ行ってもいいでしょう」
「そして、いつごろ帰ってくるつもりなんだ」
澄江は青ざめた顔をして、やがて静かに首を横に振るのでした。
「もう、帰ってこないわ」
新京には澄江の叔父が住んでいました。
しかし新京には、もう一人の知人がいたのです。
卓一よりも二つ三つ年上の役人でした。
その男は卓一と出会う前からの友人で、ずっと澄江を愛していました。
今もなお愛し続けているだけでなく、澄江に結婚の意志があるなら、それがどれほど打算的な理由であっても、自分は常に澄江を迎える最大の歓迎を用意していると言い続けていたのです。
ロシア人のように粗暴極まる情熱家で、大酒飲みで、それゆえに単純で、子供っぽい男でした。
いっそのこと、その男と結婚してしまおうかしら、と澄江は思うのでした。それは、卓一と今の関係になってから急に思いついた出来心ではありませんでした。
もうずっと昔から、心のひだの奥深くに潜んでいた、ひとつの夢でもあったのです。
もしあの男と結婚すれば、きっと家庭の暗がりでうごめく虫のようにはならないだろう。
澄江はよく「家庭向きの女性だ」「常識的な人だ」と言われがちでしたが、卓一だけはそうは思っていませんでした。
ある時、卓一は澄江にこう言ったことがあります。
「君は常識的でもないし、家庭向きの女でもないよ。むしろ……」
澄江は頷きました。
そして、「むしろ何?」という情熱と不安が入り混じった光を瞳に宿し、卓一の目をまっすぐに見つめたのです。
しかし、卓一は答えませんでした。
答えることができなかったのです。
澄江が家庭的で常識的に見えるのは、彼女が女らしくないからでした。
理知的であり、自分を抑えつける力がとても強いからです。
ただそれだけのことなのです。
いわゆる「女らしい女」のように、情熱に流されてしまう弱さがない。
ずるずると感情に引きずられていくような弱さがないのです。
どこかで自分を抑える理性が働いている。
それが彼女の生活を、どんなに荒れた状況の中でも控えめにさせ、周囲に常識的だと思わせているのでした。
けれども、その理性のブレーキが一度壊れてしまったら、澄江は決して常識的な、家庭向きの女などではありません。
抑制の向こう側には、大胆で、奔放で、野心的で、そして悪徳と秘密を愛する心が、休むことなく常に息づいているのです。
彼女は、最も冷たく、そして最も熱い女の一人でした。
――むしろ君は、家庭の中に生まれた一匹の毒蛾のようなものだね。
卓一は、本当はそう言いたかったのです。
彼女には、異様な情熱のあたたかさと、男でも珍しいほどの冷徹な理性の抑制がありました。
初級翻訳・吹雪物語 第56話
吹雪物語
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