初級翻訳・地底獣国 第8話

久生 十蘭

「しばらく休憩しよう」
博士は測量機器を取り出すと、手早く自分たちが今いる場所の観測を始めました。
六人の漁師たちは背負っていた荷物を下ろすと、代わる代わる水を飲み、水筒をいっぱいにし、それから側壁にもたれかかって座りました。
誰一人として、くつろいでいるような様子はありませんでした。
命令だから仕方なくそうしている、という雰囲気でした。
六人の漁師たちの顔には、すさまじい緊張感が張り付いており、ちょっとした動きにも、何か迫り来るような恐ろしい気配が感じられました。
近くに隙間があるらしく、湿った風がそっと彼らの上を吹き抜けていきました。
一行の前には、アーチ状の天井を持つ地下の坂道が、ゆるやかな傾斜を保ったまま、「石炭の町」の横穴のような、おそろしいほど単調な風景として無限に続いていました。

ソビエト極東地区。
辺境の苔原(ツンドラ)にそびえ立つロバトカ山の火口壁から、東経百四十度の線に沿って南下し、カムチャッカ半島の荒れ果てた無人地帯と、波が荒く鉛色をしたオホーツク海の下を横切って、南樺太(からふと)の恵須取山(えすとりやま)の旧火口へと抜ける、全長千六百キロ、約四百里にわたる曲がりくねった溶岩のトンネル!
かつて、誰も想像することさえできなかった前人未到の地底大秘道――。
コペルニクスのいう「地球の抜け穴」そのものなのです!

それは、デンマークの小説家ルズヴィ・ホルベアの『ニルス・クリムの地下旅行』で空想されたような、軽石だらけの寂しく陰惨な横穴でもなく、ポール・ヤヌセンの『ロンドンまでの地底三ヶ月の旅』に記されたような、金剛砂(こんごうしゃ)と溶岩塔が並ぶ悲惨な荒野でもありませんでした。
たとえば、アラビアの「ボッカ・キュイ宮」の壮麗な門のような、官能的で異様な美しさを持った、アーチ状の洞窟だったのです……。

天井までの高さは約六メートル。幅は四メートル。
柱のような支えは一切なく、古代ギリシャのドリス様式のような美しい楕円形のアーチが、そのままスラリと垂直に垂れ下がり、平らな洞窟の底と接していました。
塩基性輝石安山岩(えんきせいきせきあんざんがん)の壁は、数千万年もの間、風と湿気にさらされて磨き上げられ、ツヤツヤとした滑らかな肌触りになり、黒曜石のような重厚で深い光沢を放っていました。
隙間から吹き込む冷たい風が、密度の低い洞窟内の空気とぶつかって急激に冷やされ、なめらかな漆黒の壁に無数の水滴を結びます。安全灯の光が当たるたびに、それは微妙にきらめき、目がくらむほど燦然(さんぜん)と輝き渡りました。
鏡のような両側の壁は、互いの光を反射し、跳ね返し、それがまた天井のアーチへと照り返すため、洞窟全体がまばゆい光の洪水の中に溺れているようでした。
光の届かない少し遠い場所では、高いところから落ちる水滴が、まるで宝石をこぼすかのように、物音一つしない無限の静寂の中へ、キラキラと滴り落ちていました。

いまだ、どんな生き物も足を踏み入れたことのない地球の胎内。
死の世界。
永遠の闇と夜。
おそろしいほどの静けさ。
終わりのない倦怠感。
……それは、地球の生成第四期(しせいだいよんき)の状態を物語りながら、静かに死に絶えた姿をきらめかせていたのです。
有史以前の壮大な抒情(じょじょう)の風景。

しかし、この洞窟の異様な美しさも、七人の一行には何の感動も与えなかったようです。
六人の漁師たちは、博士が日誌を書き終えると、待ちかねたように背負い袋を背負い、博士を先頭にして、飛ぶような足取りで、また終わりの見えない暗い坂道を走り降り始めました。

四百里におよぶ、この前代未聞の地底旅行の行く手には、予想もしないさまざまな危険と困難が待ち受けています。それだけでなく、一行の背後には、今、恐ろしい「死の手」が迫っていました。
ペターセン自動小銃を持った十人から二十人の凶悪な追跡者たちが、刻一刻と彼らとの距離を縮めていたのです。
この七人の一行は、銃器を一つも持っていませんでした。
ここで彼らに追いつめられたら、何の抵抗もできずに、犬のように撃ち殺されてしまうことになります。
事態は極めて険悪でした。
一分の猶予も許されません。
この三日間、七人は三時間ほどの睡眠と、一日二回、各十分の短い休憩を除いては、休みなく走り続けてきたのです。
博士の脱走。
その裏切りと内通は、そのまま学術探検隊全員の生命の危機を意味していました。
「北緯六十二度三十分における学術研究」という、その秘密の目的のために。その戦慄すべき意図の全貌と、探検隊がサボタージュ(怠業)を行っていた事実が、博士や六人の漁師たちの口から明るみに出れば、「トロツキスト・ブロック(反革命的な一派)」の一味だと認定され、反革命的な陰謀を企てたという名目で、有無を言わさず銃殺されてしまうことになります。
探検隊の一行は、突然、この上なく危険な境遇へと追い込まれることになりました。
暗い道の中で七人を追い詰め、全員を射殺して口封じする以外に、この悪運から逃れる道は残されていません。
ヤロスラフスキー博士は、モローゾフ教授の冷徹なやり方を熟知していました。
モローゾフ教授は、自分たちのサボタージュを隠蔽し、隊員たちを無事に、静かな庭に囲まれたモスクワ大学の研究室へ連れ帰るために、すでに四人もの人間を冷酷に殺害していたのです。
シルーキン教授。
そして、「第二十七流刑管区」の三人の看守。
モローゾフ教授は博士の脱走を発見すると、すぐに追撃隊を組織して、執拗な追跡を開始したに違いありませんでした。
身軽な「死の追手」は、刻一刻と距離を縮めてきています。
それに備えて、大きな安山岩の壁の入り口に築いておいたバリケードを破壊する時間だけが、追跡者たちに対するわずかなハンディキャップとなっていました。
しかし、博士の計算によれば、それも三日以内には取り戻せるはずでした。
そして今、その三日目の夜がやってきました。
死の足音が、七人のすぐ後ろにまで聞こえていたのです……。

七人を殺してでも隠し通さなければならない「学術研究の秘密の目的」とは、一体どのようなものだったのでしょうか?
それには、日本の国防を大きく脅かすような、恐ろしい企みが隠されていたのです。
もしヤロスラフスキー博士の唱える「ロバトカ山から恵須取山へ抜ける地底道」が実証されれば、ソビエト連邦政府は、日本海軍に対するこれまでの作戦基地であったウラジオストックの軍備強化を放棄するつもりでした。その代わりに、トルク・シブ鉄道の建設技術員と土木労働者をスタノヴォイ山脈に大量移動させて、地底道の大規模な掘削工事を行うのです。そして、世界の歴史が始まって以来、どの国家も考えつかなかったような、破天荒な「地底の攻略路」によって、一気に日本の北辺を突き崩そうとする、陰険で狡猾な重大作戦計画を立てていたのでした。

モスクワの科学アカデミー地質学部長であるイヴァン・ヤロスラフスキー博士が、一九二九年以来、コムアカデミーを通じて熱心に申請していた「ロバトカ山の溶岩トンネル調査」が、一九三七年になって突然承認されたのは、先に述べたような驚くべき理由によるものだったのです。

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