初級翻訳・大切な芽 第1話

大切な芽

私は、友情というものにたくさんの夢をもっている人間です。
たった一人でもいいから、一生の間に「これこそが自分の心の友だ」と呼べるような、うれしいことも悲しいことも一緒にわかちあえる人に出会いたいと、いつも思っていました。
けれども、子供のころから私の生活は、ずっと両親の大きな守りの中に包まれていました。その状態が長く続いたので、本当の自分の気持ちをさらけだして、深くお付き合いできる人を見つけるのは、とても難しいことだったのです。
一つには、私の性格や、好きなものの好みの問題もあったかもしれません。
何かで読んだ通り、こちらから「友だちがほしい!」と探し回っているときには、かえって良い友だちというのは見つからないものなのかもしれません。
一時期、私は女の人どうしの友情について、ずいぶん悲しい考え方をしていたことがありました。
女学校のころにそれなりに仲が良かった友だちでも、だんだんと時間がたって、お互いの生活の様子が変わってくると、どうしても心がぴったりと合わなくなってしまうのです。
正直なことを言うと相手を怒らせてしまうし、自分の生活をありのままに見せることもできません。ただ、きれいに着飾った「よそ行き」の部分だけを見せ合って付き合わなければならないのは、私にとって苦しいことでした。物足りない気持ちは増すばかりだったのです。
私は、その理由をいろいろと考えてみました。
女の人は、自分自身を成長させて、広い世界でしっかり生きていこうという情熱が、男の人よりも少ないのではないでしょうか。家が幸せで、兄弟と一緒に育っていれば、友だちをどうしてもほしいという切実な願いは生まれないのかもしれません。大人になって結婚でもすれば、旦那さんに認めてもらうだけで、だいたいは安心してしまうものです。
そうなると、友だちとの関係は二の次になってしまいます。
もし、お互いの旦那さんの社会的な立場などを気にし始めたりすれば、友情はどんどん弱くなっていくばかりでしょう。
仕事を持っていない人、つまり「これだけは一生かけてやり遂げよう」というものを持っていない人は、その点ではのんきでいられるのだと思いました。
仕事をすることは、たった一人で進む道だとわかってはいても、時々は心の底を打ち明けて、思っていることをすべて話し合える友だちがほしいのです。
「仲間」がほしい、と言うのがぴったりかもしれません。
趣味が同じだとか、そんな生やさしい関係ではなくて、たとえばお百姓さんが汗びっしょりになってクワを振り、ちょっと一休みして、首の汗をふきながら腰を伸ばして、「やあ、どうだい、うまくいってるか?」と声をかけ合うような、そんなお付き合いが、本当に、本当にほしいのです。
男の人は、誰でもそういう友だちをもっています。
でも女の人は、なかなかそういう友だちを見つけることができません。
だから、女性で特別な道に進む人たち……絵描きさんでも、小説家でも(音楽家は人数が多いから、他の仕事よりはマシかもしれませんが)、一人ぼっちになってしまうことが多いのです。
考えると、本当につらいことです。
そして、そうやって一人ぼっちになった少数の女性たちは、心から分かり合える友だちが一人もいないほど女性の世界が狭くて未熟であることを悲しむよりも、むしろ「自分が一人ぼっちなのは、自分が誰よりも優れているからだ」と思い込もうとします。
それは、とても寂しいことです。
私はここ四、五年の間、いつかどこかで出会えるはずの友だちを、心から待ちわびていました。
そして最近、その願いがやっと少しずつ、日の目を見るようになってきたみたいです。
私のすぐ近くに(心の距離のことです。変な言い方ですけれど)、二人の友だちができました。それから、もう少し離れたところに一人の仲間ができました。
別の方向を見てみると、他にも二人ほど。
この人たちは、みんな生まれつきの性格が違っています。だから、私をいろいろな方向へと成長させてくれるのです。
私が「この人たちとなら良い友だちになれる」と自信をもてるのは、一緒にいると、自分をよく見せようとする「見栄」を忘れて、楽な、ありのままの気持ちになれるからです。それでいて、決してだらしなくなるわけではない、とてもいい気持ちなのです。
その人たちと遊んだり、おしゃべりしたりすると、そのあとは心がさわやかになって、勇気がわいてきます。「よし、やるぞ!」という気持ちになれるのです。
本当の生活の中でも、仕事の上でも、友だちがいてくれるありがたさを心から知ることができるのは、きっとこれからなのだと思っています。
その人たちとのお付き合いが始まってから、私はもうすでに、何度も深く感謝していることがあるのです。
本当は、そういうことを一つひとつ具体的に、友だちの名前を並べておもしろく書いてほしいというのが、この文章をお願いした編集の方の目的だったのかもしれません。
けれど、私の友情は、やっと遅まきながら、私にとって「大切な芽」を地面の奥からふき出したばかりの時期なのです。
ずっと待ち望んでいたものが、ようやく見つかろうとしている時なのです。だから私は、この芽を自然に育てようと、真剣に考えています。
自分の力で地面を突き破って現れるまで、私は栄養たっぷりの「沈黙」で、この二つの若葉をそっと包んでおこうと思います。
男の人との友情も、私はその微妙な心の色の違いを楽しみながら、明るく認めて、のびのびと続けていきたいと思っています。
けれども、難しいのは、私の性格がなかなか思うように「さっぱりとした、かっこいいもの」になってくれないことなのです。

〔一九二四年六月〕

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