「まさか、比女さまがさようなことを」
「いいではないか、何百年の昔のことを、少しばかり書き替えたところで、誰に迷惑を及ぼわけではなし、系図の偽作は、このごろの流行といってもいいくらいです」
「それでは柳沢侯を……」
「わかったでしょう、登世が江戸へ出て来たのは、あの方が甲府城主になったからです、百石そこそこの小身から、表高十五万余、松平の御家号と諱字まで頂き、一族みな権勢の座を占めるという、なみはずれた御出世をなされた、……時を得て燃えさかる勢いは、じっさいにもっている力より外へはみ出たがるものです、そして、それは火口さえあればいいのです」
三
権之丞はたじろいだ。
登世の云うことは、さして驚くには当らないかもしれない。
その思いつきも、かなり常識的で、決して奇矯なところなどはない。
しかし、彼女の顔つきや、声の調子には、そのすじみちのとおった言葉とは逆に、やや狂気にちかい、異常な緊張が感じられた。
なにかがのりうつった。
冷たい手で、うしろ首を撫でられでもしたように、権之丞はちょっと息をのんだが、すぐに、はね返すような口ぶりで、「それにしても、柳沢侯は栄達の頂点に、おられる方ではございませんか、それを賭けてまで、危険な企てに乗るということがございましょうか」
「栄達の頂点にいるからです、あの方の栄達は例のないほどのもので、しかもすべて五代さま(綱吉)おひとりの御偏愛によるものです、したがって敵が多く、それが反柳沢という一つの勢いになって、相当つよい力でひろがっています、五代さまはすでに御老齢でもあり、お世継ぎは御養子で、それも壮年の甲府宰相さまですから、将軍家にもしものことがあれば、柳沢一族の運命は、おそらくひとたまりもないでしょう」
そのときに備えて、柳沢系の人々がいかにやっきとなっているか、いかに策謀しているかということを、登世はおどろくほど詳しく知っていた。
どうしてそこまで知ることができたのか。
三年まえに、山村座の桟敷で、彼女は、柳沢吉里と知りあった。
堺町や木挽町の劇場が、富裕な町人や武家たちの、一種の社交場のようになったこと。
大藩や幕府の女官たちまでが、そこで豪奢な宴遊をすることなどは、まえに記した。
紀州徳川家の未亡人が、生島新五郎の弟のなにがしと醜聞をながしたことや、大奥の老女、絵島の事件などは、その間の事情を伝える代表的なものである。
そのために、桟敷以外の座敷で酒食をしてはならぬ、とか。
俳優が客の酒席へ出てはならぬ、とか。
そのほか多くの禁令が、劇場関係者に対して、しばしば発せられたほどであった。
登世が柳沢吉里と、知りあえたのも、そういう解放的な場所のためであるが、それから、柳沢の老臣、丸茂新左衛門の名で、この家を建て、柳沢系の人たちを次つぎに招いて、珍しい酒食の饗応や、惜しげもない金品の贈与で、しだいに、かれらとの親近さを深めた。
かれらは、このようにして、登世と密接に往来し、しばしば、密事の会合を、この家で催すようになった。
……登世は接待のさしずをするだけで、殆んどかれらの席へは出ない、吉保とはまだ会ったこともない。
けれども、かれらの会合のようすや、密談の内容は、いつものがさず聞いていた。
かれらの策謀の一は、将軍継嗣の排斥であった。
甲府侯綱豊という人は、その祖父に当る三代家光の気性をうけているといわれ、頭もすぐれているし、果断と勇気に富むそうである。
しかも、将軍世子になったのは宝永元年だが、そのときすでに、四十二歳であった。
綱吉は館林家の出であって、甲府家とは、血続きであるには、相違ないけれども、親子としての情はもちろん無かった。
単に親子の情がなかったばかりではない。
殺生禁断という、未曽有の悪法令を出したほか、日常の起居進退が、極端なくらい臆病で、迷信狂癖の多い綱吉に比べると、綱豊の性格は殆んど対蹠的である。
したがって、彼が六代を継いだばあい、どのような施政改廃がおこなわれるか、およそ推察することができるであろう。
平安朝の藤原氏にも似ていようか、家格のことはべつとして、吉保は小身者から出世しながら、表高の倍も実収のある領地を与えられた(甲斐領その他で、実高三十三万石余といわれる)。
老中筆頭でありながら、大老の呼び名さえ受け、徳川の家門に列せられた。
また閨閥をひろげて、その一族はみな、枢要の地位を占めている。
……これだけ繁栄している柳沢氏が、指をくわえて、綱豊を迎える筈がない。
かれらは百方奔走した。
そして、その反面では、一族の潰滅に備えて、或る種の謀計が、めぐらされていたというのである。
宝永二年には銀相場に規格を与え、値上りを禁じたうえで、ひろく、蔵匿された古金銀の運用を命じ、これらを以て、宝永銀という新銀貨を鋳造した。ついで諸侯の領内における藩札の流通を禁じ、その貯蔵する古金銀を、新鋳のものと交換するように布令を出した。また貨幣の鋳造は、金座、銀座、銭座といって、その「座」の担当者に限られているのに、甲府城で小判小粒(金貨)の鋳造が許されたが、これらは新鋳貨によって浮いた金銀を、すべて柳沢一族が横領したものであるという流説がしきりだった。
「登世はこの眼と耳とで、こういう事実を知ったのです」
唖然としている権之丞に向って、登世はさらにこう続けた。
「今年になってからは、甲府城の武具更新の名目で、多くの銅鉄や、必要な資材、工匠がたくさん江戸から送られています。そして甲府では、殺生禁断の法に乗じて、領内の住民から弓矢、猟銃を押収し、馬を集め、穀物の貯蔵をいそいでいる、とのことです」
「――たしかに」権之丞は唾をのんだ、「御領内から、弓矢、猟銃を、お取上げになっていることは事実でございます。また、たてがみを切るな、という御法令に反したかどで、そんなことのない馬までが、お城へもってゆかれる例も少なくはないと聞きます。しかし、それがそのような企みのためだ、などとは、私にはとうてい信じられません」
「算法家は六七十年もさきの日蝕を数えだすことができるそうです。けれどもそういう算術を知らぬ者は、その日その刻が来るまでは、決して信じはしないでしょう」
「それで比女さまは、そのような無謀な企てにお加わりなさる、おつもりでございますか」
「加わるのではない、登世が采配を振るのです。御再興の兵を挙げるとき、主将はみどう家に定っています」
「そして、もはや、それはぬきさしならぬところまで、……」
「あと五日、七夕会のときに」
登世はものに憑かれたような眼で、じっと空間を見あげた。
「七夕会のときに、どうあそばすのですか」
「この系図を持って、柳沢家の下屋敷へゆきます。そして、甲斐の古伝の猿楽をごらんにいれ、それをしおに吉保さまとじかにお会いして」
「比女さま……」
権之丞は思わず、高い声をあげた。
それは眠っている者を呼びさますような調子だったが、美しい登世の顔が美しいために凄くみえるほど、異様に緊張し、硬くひきつる 遠見て、こんどは哀訴するように云った。
「それでは、乙女さまをお呼びになったのは、その舞をおさせ申すためでございますな」
「登世がしてを舞います」
ああ、と権之丞は声をふるわせた。
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