初級翻訳・幸福のうわおいぐつ 第2話

アンデルセン ハンス・クリスチャン

「島へ渡るのかい?」と船頭が声をかけました。
「島へ渡るだって?」と、参事官はオウム返しに答えました。なにしろ、自分が今、いつの時代にいるのか、本人にはさっぱり分かっていなかったのです。「私はクリスティアンス・ハウンから小市場通りへ行くんだよ」
 そう言うと、今度は向こうが驚いて顔を見合わせました。
「一体、橋はどこにあるんだ?」と参事官は言いました。「第一、ここには明かり一つ点いていないなんて、ひどいじゃないか。おまけにこの辺りは、まるで沼の中を歩いているようなひどいぬかるみだ」
 こんなふうに話しても、言えば言うほど船頭たちにはさっぱり意味が通じません。
「どうも君たちのボルンホルム訛り(なまり)は、さっぱり分からんぞ!」と、参事官はかんしゃくを起こして怒鳴りつけました。そして背を向けて、どんどん歩き出しました。

 しかし、いくら歩いても参事官は橋を見つけることができませんでした。手すりらしいものも全くありません。
「どうもこの辺りは実にひどい場所だ」と参事官は言いました。自分が今いる時代を、この夜ほど情けなく思ったことはありませんでした。
「まあ、こうなったら辻馬車を呼ぶのが一番だな」と参事官は思いました。とはいえ、一体どこに馬車があるというのでしょう。一台だって見当たりそうにはありません。
「これでは、やはり王立新市場まで戻るほうがよさそうだ。あそこなら馬車もたくさん来ているだろう。そうでもしないと、とてもクリスティアンス・ハウンまで帰ることなんてできそうにない」
 そこで参事官は引き返し、再び東通りへと歩き出したのでした。そして、その通りを通り抜けようとしたところで、月がたかだかと昇ってきました。
「おや、なんのためにこんなところに足場のようなものを建てたんだ?」
 東門を見つけて、参事官はこう叫びました。
 そう、そのころ東通りの外れには、門があったのです。
 とにかく出口を探してそこを通り抜けると、現在の王立新市場がある通りに出ました。ところがそこは、ただのだだっ広い草原でした。その向こう岸には、オランダ船の船員たちが泊まるようなみすぼらしい木小屋が二、三軒建っていて、当時は「オランダ原(っぱら)」とも呼ばれていた場所です。
「おれは蜃気楼(しんきろう)でも見ているのか。それとも酔っぱらっているのか?」と、参事官は泣き出しそうな声で言いました。「とにかく、あれはいったいなんだ?」
 もうどうしても、自分はひどい病気にかかっているに違いないと思い込み、参事官はまた引き返しました。
 往来をとぼとぼと歩きながら、辺りの家々の様子をよく見てみると、たいていの家は木組みの小屋で、中にはわらぶき屋根の家もありました。
「いや、どうも変な気分で仕方がない」と、参事官はため息をつきました。「しかし、おれはほんの一杯ポンスを飲んだだけだ。それがうまく体に合わなかったのかもしれない。それに、季節外れの虫酒(むしざけ)なんかを出されたから、食べ合わせが悪かったんだろう。もう一度戻って、主人の代理公使夫人に小言を言ってやろうか。いや、それも馬鹿らしいな。それに、まだ起きているかどうかも分からない」
 そう言いながら、その家の方角を探しましたが、どうしても見つかりませんでした。
「どうもひどいことだ。東通りがまるで見当もつかなくなった。一軒の店も見えない。みすぼらしい倒れかけの小屋が見えるだけだ。これではまるで、リョースキレかリンステッドへでも来てしまったようだ。ああ、おれは病気なんだ。遠慮している場合じゃない。だが、いったい代理公使の家はどこなんだ? どうしても、もととは違っている。しかも中にはまだ人が起きている……やっぱり、おれは病気なんだ」
 そのとき参事官は、一軒の戸が開いている家の前へ出ました。隙間から明かりが往来へ漏れていました。それは当時の安宿で、半分居酒屋のようなところでした。中をのぞくと、ホルシュタイン地方の農家の台所のような様子でした。中には大勢の人間がいて、船乗りやコペンハーゲンの町人、それに本を読んでいる人たちが二、三人混じって、みんなビールジョッキを片手に夢中でしゃべっており、入ってきた参事官にはまったく気がついていないようでした。
 参事官はお客を迎えに立った女将さんに言いました。
「お気の毒ですが、わたしは非常に具合が悪いのです。クリスティアンスハウンまで、辻馬車を雇ってはもらえませんか?」
 女将さんは、参事官の顔を怪訝(けげん)そうに見つめて首を振りました。それからドイツ語で話しかけてきました。参事官はそこで、女将さんがデンマーク語を知らないのだと気づき、今度はドイツ語で同じ注文を繰り返しました。その言葉遣いと服装から、女将さんはこの客をてっきり外国人だと思い込みました。そして、参事官の気分が悪そうな様子を見て、さっそく水をジョッキに一杯ついでもってきました。その水は、なんだかしょっぱい変な味がしました。外の噴井戸から汲んできたものだというのに。
 参事官は両手で頭を押さえて、深いため息をつきながら、今さっきから続いている奇妙な出来事をあれこれと思い巡らしていました。
「これは今日(きょう)の『ダーエン』ですか?」と、参事官は女将さんが持っていこうとした大きな紙を見て、ほんのお世辞のつもりで尋ねました。
 女将さんは、客が何を言っているのか分からなかったので、黙ってその紙を渡しました。それは昔、キョルンの町に現れた不思議な空中現象を描いた、一枚の木版刷りでした。
「こりゃ、ずいぶん古いな」と参事官は、思いがけない掘り出し物に少し愉快になりました。「おまえさん、この珍しい刷物をどうして手に入れたんだね? こりゃなかなか面白いものだよ。もっとも話はまるっきりおとぎ話だがね。今日では、これに類した空中現象は、北極光を見誤ったものだということになっている。おそらく電気の作用で起こるものらしい」
 すると、参事官のすぐそばに座ってこの話を聞いていた人たちが、びっくりしてその顔を眺めました。そのうちの一人が立ち上がって、うやうやしく帽子を脱ぎ、ひどく真面目くさった顔で言いました。
「先生、どうもあなたは大変な学者でおいでになりますな」
「いやはや、どういたしまして」と、参事官は答えました。「たかだか、誰でも知っているようなことを二言三言、お話ししただけですよ」

「謙遜は美徳というものですな」と、その男はラテン語を交ぜながら言いました。「もっとも、あなたのお説に対して、わたくしは異論を差し挟むものであります。ですが、わたくしの批判は今は控えておきましょう」

「失礼ですが、あなたはどなたですか?」と、参事官が尋ねました。

「わたくしは聖書得業士(とくぎょうし)でして」と、その男が答えました。

その答えで参事官は納得しました。その人の称号と服装は、いかにもそれらしく釣り合っていたからです。きっとこれは、村の年配の先生というやつに違いない。ユラン(ユットランド)地方でよく見かける変わり者なのだろう、と参事官は思いました。

「ここはいかにも学者たちが議論を交わすような郷ではありませんな」と、男は続けて言いました。「しかし、どうかお話を続けてください。

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