初級翻訳・絵のない絵本 第7話

アンデルセン ハンス・クリスチャン

「何を見てるんだい?」と、男の子はききました。
「コウノトリを見てるのよ」と、女の子が言いました。
「おとなりのおばさんがね、コウノトリが今夜あたしたちに小さい弟か妹を連れてきてくれるって言ったの。だからあたし、コウノトリが来るのを見ようと思って、気をつけてるのよ」
「コウノトリなんて、なんにも持ってきやしないさ」と、男の子が言いました。
「いいかい、おとなりのおばさんは、ぼくにもおんなじことを言ったけど、そう言ったとき笑ってたんだ。それでぼく、おばさんに、きっとですかって、きいたのさ。――だけどおばさんは返事ができなかったんだぜ。だからぼくには、ちゃんとわかっちゃったんだ。コウノトリの話なんて、ぼくたち子供にほんとうらしく思わせるだけのことさ!」
「だけど、そんなら赤ちゃんはどこから来るの?」と、女の子はたずねました。
「神さまが連れてきてくださるのさ」と、男の子は言いました。
「神さまは外套の下に入れて連れていらっしゃるんだよ。だけども、人間は神さまの姿を見ることができない。だから、神さまが赤ん坊を連れていらっしゃるのも、ぼくたちには見えないのさ」
その瞬間、ニワトコの木の枝の中でザワザワという音がしました。
子供たちは両手を合せて、互いに顔を見合せました。
たしかに神さまが子供を連れてきたのです。
――ふたりは手を取り合いました。
家の戸があきました。
それはおとなりのおばさんでした。
「さあ、はいってらっしゃい」と、おばさんは言いました。
「コウノトリが何を持ってきてくれたかごらんなさい。ちっちゃな弟さんよ!」すると、子供たちはうなずきました。
ふたりとも、その弟が来たことを、もうちゃんと知っていたのです。

第十五夜

「わたしはリューネブルクの荒野の上をすべって行きました」と月が言いました。
「道ばたに小屋が一軒、ぽつんと立っていました。
葉の散り落ちた藪が二つ三つ、そのすぐそばにありました。
そこでは、どこからか迷いこんできたナイチンゲールが歌をうたっていました。
けれども、ナイチンゲールは夜の寒さのために死ななければなりません。
わたしが聞いたのは、そのナイチンゲールのこの世での最後の歌だったのです。
暁の光が輝きました。
旅人の一隊がやってきました。
それは外国へ移住して行く農夫の一家でした。
船でアメリカへ渡ろうとして、ブレーメンかハンブルクへ行くところだったのです。
この人たちはアメリカへ行けば、幸運が、夢みている幸運が、花を開くものと思っていたのでした。
女たちは小さい子供を背中に背負っていました。
いくらか大きい子供たちはそのそばを跳びはねていました。
やせこけた一頭の馬が、わずかばかりの家具をのせた車を引いていました。
つめたい風が吹いてきました。
それで小さい女の子は、母親のそばにぐっとからだをすり寄せました。
母親は、かけはじめたわたしのまるい月の輪を見上げながら、故郷でなめてきたひどい苦労のことを思いうかべたり、払うことのできなかった重い税金のことを考えたりしていました。
それは、この一行のだれもが考えていることでした。
だから赤々と輝く暁の光は、ふたたび訪れてくるであろう幸運の太陽の福音のように思われたのです。
いまにも死にそうなナイチンゲールの歌声を聞いても、それは悪い予言者ではなく、幸運の告知者のように聞えたのです。
風がヒューヒューと鳴っていました。
ですから人々には、ナイチンゲールのうたう歌がわかりませんでした。
『安らかに海を渡れ! 長い船路のために、おまえは持てるすべてのものを支払った。貧しくよるべなく、おまえはおまえのカナーンの地を踏むだろう。おまえはみずからを売り、妻を売り、子供を売らねばならない。だが、長く苦しむことはない! 香り高い広い葉かげに、死の女神がすわっている。その歓迎のキスは、おまえの血の中に死の熱病を吹きこむのだ。ゆけよ、ゆけ、盛りあがる大波を越えて!』
旅人の一行は、喜んでナイチンゲールの歌に聞きいりました。
というのは、その歌がやがて来る幸福をうたっているように思われたからです。
薄雲のあいだから日が輝いてきました。
農夫たちは荒野を横切って教会へ行きました。黒い着物をまとい、頭を厚い白い麻布で包んだ女たちの姿は、まるで教会の古い絵画から抜け出してきたかのようでした。このあたりを取り巻いているのは、どこまでも広がる荒涼とした風景だけです。乾ききった褐色のヒースと、黒ずんで焦げたような芝草が、白い砂地のあちこちに見えるばかりでした。女たちは讃美歌の本を手に、教会の方へと歩いていきました。ああ、祈りなさい! 盛り上がる荒波の向こうにある墓場へと旅立っていく人々のために、どうか祈りなさい!

第十六夜

「わたしはひとりのプルチネッラを知っています」と月が言いました。

「観客たちはこの男の姿を見るなり、大声でやんやの喝采を送ります。彼の動作は一つひとつが滑稽で、劇場じゅうを笑いの渦に巻き込むのです。ですが、彼がわざと笑わせようとしているわけではありません。それは彼が生まれ持った姿のせいなのです。彼がまだ小さい頃、他の子供たちと駆け回っていた時から、すでに彼はプルチネッラでした。自然が彼をそのように造り上げたのです。背中に一つ、胸に一つ、コブを背負わされて生まれてきたのですから。

ところが、その内面、精神の世界となると、彼は実に豊かな才能に恵まれていました。誰ひとりとして、彼のように深い感情と、しなやかな心の弾力性を持っている者はいなかったでしょう。劇場は彼にとっての理想の世界でした。もし彼がすらりとした美しい姿をしていたなら、どんな舞台に立っても一流の悲劇役者になっていたはずです。英雄的なもの、偉大なものが、彼の魂には満ちあふれていたのですから。

それなのに、彼はプルチネッラにならざるを得ませんでした。苦痛や憂鬱さえもが、彼の深刻な顔つきに滑稽なほどの生真面目さを加えてしまい、お気に入りの役者に手を叩く観客たちの笑いを誘うのです。

美しいコロンビーナは、彼に対してやさしく親切でした。でも彼女は、アルレッキーノと結婚したいと願っていました。もしもこの『美女と野獣』が結婚したとしたら、たしかに、あまりにも滑稽なことになったでしょうね。プルチネッラがひどく不機嫌なときでも、コロンビーナだけは彼を微笑ませることのできる、いや、大笑いさせることのできる唯一の存在でした。最初のうちはコロンビーナも彼と一緒に落ち込んでいましたが、やがて少しずつ落ち着き、最後には冗談ばかりを言うようになりました。

『ねえ、あなたに何が足りないのか知ってる?』とコロンビーナは言いました。『それは恋よ』

それを聞くと、プルチネッラは笑わずにはいられませんでした。
『僕に恋だって!』と彼は叫びました。『そんなの、さぞかし愉快だろうね! 観客たちは夢中になって騒ぎ立てるだろうよ!』

『そうよ、恋よ!』とコロンビーナは続けました。そして、ふざけた情熱を込めてこう付け加えたのです。『あなたが恋している相手は、この私よ!』

そう、それが恋愛とは無縁のことだと分かっているときには、人はこんなことも言えるものなのです。

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