初級翻訳・幸福のうわおいぐつ 第1話

アンデルセン ハンス・クリスチャン

一 お話のはじまり

 コペンハーゲンの東通り、王立新市場からほど近い一軒の家では、大勢のお客さまが集まって、とてもにぎやかでした。
人と人との付き合いというのは不思議なもので、こちらからお招きすれば、そのうち自分もどこかのパーティーに招かれる……そんなふうにぐるぐると回っているものですね。
お客さまの半分は、とっくにカードゲームのテーブルに向かっていました。
残りの半分は、主催者の奥さまが先ほど言った、
「さあ、今度は何が始まりますかしらね」
という言葉が、これからどんな面白いことにつながるのかと、今か今かと待ち構えていました。
すでにお客さま同士の会話は最高潮に達していました。
その中には、中世の時代についての話題もありました。
ある人は、あの頃は今の時代とは比べものにならないほど素晴らしかった、と主張しました。
実際、司法参事官のクナップ氏などはこの考えにとても熱心で、すぐに主催者の奥さまを味方につけてしまったほどです。
そして二人は、物理学者エールステッドが年報誌に書いた「古近代論」という、現代をひいきする説に対して、激しい攻撃を仕掛け始めました。
司法参事官の説によれば、デンマークのハンス王の時代こそが、人類史上もっとも立派で、幸せな時代だったというのです。

さて、会話はそんなふうに賛成や反対で盛り上がっていましたが、ちょうど夕刊が届いたので、少しの間だけ話が途切れました。
でも、新聞にはこれといった面白いニュースも載っていなかったので、会話はまた元の調子で続いていきました。
さて、わたしたちはちょっと表の控えの間へ行ってみましょう。
そこには外套(がいとう)や杖、傘が置いてあり、靴の上には「うわおいぐつ」が一足置いてありました。
見ると、二人の婦人がテーブルの前に座っていました。
一人はまだ若い女性ですが、もう一人は年をとっています。
パッと見ると、お客さまの中にいるお年寄りのご婦人やお嬢さまをお迎えに来て、待っている女中さんに見えるかもしれません。
でも、よく見ると、二人ともただの女中さんではないことがわかります。
手つきはとても繊細でしたし、様子や立ち居振る舞いも上品すぎました。それに、着ている服の仕立て方も、ずいぶん変わっていたのです。

実は、この二人は妖女だったのです。
若いほうは「幸福の女神」本人ではありませんが、そのおそばに仕える使いの一人で、ちょっとした小さな幸福を人間に届ける役目をしていました。
年をとったほうは、だいぶむずかしい顔をしていました。これは「心配の妖女」です。
この妖女はいつも堂々と、どんな場所にも乗り込んでいって仕事をしていました。そして、自分が関わったほうが物事がうまくいくことを知っていたのです。
二人はお互いに、今日どこで何をしてきたかを話し合っていました。
幸福の女神の使いは、ほんの二つ三つ、ごくつまらないことをしてきました。
買い立ての帽子が夕立に濡れないように助けてあげたり、ある正直な男に無名の誰かから贈り物をもらわせてあげたり、まあそんなことでした。
しかし、そのあとで、まだ話していないことが一つだけありました。それは、いくらか変わったことだったのです。

「そうそう、ついでだから言っておきますね」と、幸福の使いは話しました。
「今日はわたしの誕生日なのです。それでそのお祝いに、ご主人から『うわおいぐつ』を一足預かりました。そして、それを人間にあげてきなさいと言われたのです。そのうわおいぐつには一つの不思議な力があって、それを履いた人は、その瞬間に自分が一番行ってみたいと思う時代や場所へ、すぐに連れて行ってもらえるのです。そして、そこで望んでいたことがすぐに叶うのですよ。そうすれば、人間もこの世の中にいながらにして、ようやく幸せになれるでしょう?」

すると、心配の妖女が言いました。
「いや、待ちなさいよ。そのうわおいぐつを履いた人は、きっとすごく不幸になるはずよ。そして、すぐにでもその靴を脱ぎたいとあせり出すに決まっているわ」
「まあ、そこまで考えなくても……」と、もう一人がふふっと笑いながら言いました。
「さあ、それじゃあこの『幸福のうわおいぐつ』を、ここの入り口に置いておきましょう。誰かが間違えて履いていってしまえば、いやでもすぐに、幸せな人間になれるはずよ」

どうです。これが二人の女の会話でした。二 参事官はどうしたか

 夜はもう、すっかりふけていました。
 司法参事官のクナップ氏は、ハンス王の時代のことに夢中になりながら、家へ帰ろうとしていました。
 ところが運命の神さまは、あろうことか、クナップ氏が自分の靴と間違えて、あの「幸福のうわおいぐつ」を履くように仕向けてしまったのです。
 参事官が何も知らずにその靴を履いて東通りに出ると、すぐにうわおいぐつの不思議な力が働き始めました。クナップ氏は、あっという間に三百五十年前のハンス王の時代へとタイムスリップしてしまったのです。
 参事官は、さっそく道のぬかるみの中に両足をずぼっと突っ込んでしまいました。というのも、この時代にはもちろん、石畳の歩道なんてどこにもなかったからです。
「やれやれ、これはひどいな。まったく、なんという汚い町なんだ」と参事官は言いました。「どうして歩道をみんななくしてしまったんだろう。それに、街灯も全部消してしまっているじゃないか」

 月はまだそれほど高く昇っておらず、おまけに空気はとても重たくて、辺りの景色がまるで暗闇の中に溶け出しているように感じられました。
 次の横道の角には、小さな灯明が一つ、聖母像の前にぶら下がっていましたが、その明かりはあってもなくても同じようなものでした。すぐ下まで近づいて見上げて、やっと聖母と神子の色鮮やかな像だと分かるくらいでした。
「きっとここは美術品を売る店なんだな。日が暮れたのに、看板をしまい忘れているらしい」と、参事官は思いました。
 昔風の服装をした二人の男が、すぐそばを通り過ぎていきました。
「おや、なんという格好だ。仮装パーティーの帰りかな?」と、参事官は独り言をつぶやきました。
 突然、太鼓と笛の音が聞こえてきて、松明(たいまつ)が赤々と輝き出しました。驚いて立ち止まった参事官の目の前を、不思議な行列が通り過ぎていきました。先頭では鼓手の一隊が、いかにも楽しそうに太鼓を叩きながら進んできます。そのあとには、長い弓や石弓を背負った護衛たちが続いていました。行列の中で一番偉そうな人物は、坊さんのような格好をした殿様でした。
 びっくりした参事官は、一体これはいつの時代の格好なのか、この奇妙な仮装行列をしているのは誰なのかと、行列の中の人に尋ねました。
「シェランの大僧正さまだ」と誰かが答えました。
「大僧正だって? そんなのありえない話だ」と、参事官はため息をついて首を振りました。そんな大僧正なんて存在しないはずだ、と一人で不満を言いながら、右も左も見向きもせずに、参事官はどんどん東通りを通り抜けて、高橋広場に出ました。
 ところが、宮城広場へ出るはずの大きな橋が見当たりません。ようやく浅い小川を見つけてその岸辺に出ると、小舟に乗った二人の船頭らしい若者に出会いました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました