初級翻訳・幻術天魔太郎 第12話

幻術天魔太郎

まだ前髪を立てていて、二本の刀を差しているところを見ると武家の子供に違いありませんが、木綿の黒紋付に白小倉の袴という、ずいぶんと無造作な出で立ちでした。

そんな話をしているところへ、幕を掲げてスッと入ってきた少年がいました。目の覚めるような美しさで、熨斗目(のしめ)の紋付に精好の袴を身につけ、長刀を左に提げています。
「最初の負け手は誰だ?」
不敵な大言を吐きながら、ふっくらとした頬をニッコリとほころばせました。
「や、貴様が天魔太郎か!」
三人は一斉に床木を蹴って立ち上がりました。
「まとめて来るのか。手間が省けてありがたい」
天魔太郎は、驚く色も全くありません。
「いや、くじの順番通り、一番手はこの俺だ。どんと来い、小冠者!」
その中から覚心坊が躍り出ました。
「望むところだ」
「術比べだ。あのやぐらに登って、祈って、祈り抜いて、相手を呪い負かすのだ」
「ほう、それは面白そうだ」
「なにを、今に泣きっ面を拝ませてやるぞ!」

覚心坊は天魔太郎を手招きすると、人波をかき分けて矢来の中に入り、北のやぐらにかけられた梯子を登って、六間上の頂上にある約一坪ほどの祭壇に立ちました。
「さて、面倒なことだな」
天魔太郎は空を見上げて、やぐらの高さを測ると、気合も入れずに大地を蹴りました。ポン、ポン、ポンと三度の飛躍で、あっという間にやぐらの頂上に登ってしまったのです。まるで足場を伝う牛若丸のような早業でした。

「おのれ、小癪な!」
覚心坊は壇の上の香炉に、三掴みほどの香を投げ込み、もうもうと立ち上る煙の中で、数珠を揉み合わせながら祈り始めました。
しかし、相手の天魔太郎は南のやぐらの上で、印も結ばず、呪文も唱えず、小唄でも歌い出しそうな涼しい顔をして立っていました。やがて頃合いを見計らって、
「ゆくぞ、坊主」
と刀の下緒(さげお)を解き、北のやぐらに向かってサッと放り投げました。
矢来の外の群衆から「ドッ」とどよめきが起きたのも無理はありません。天魔太郎が空中に投げた萌葱色(もえぎいろ)の下緒は、二度三度ととぐろを巻くとみるや、一転ごとに巨大化し、最後には三間(約六メートル)もの青い大蛇となって、覚心坊のやぐらに絡みついたのです。鏡のような二つの目をカッと見開き、真っ赤な炎を吐きながら、ゆらゆらとやぐらの頂上へ這い上がっていきます。

「や、おのれ、無礼千万!」
覚心坊は数珠を掲げて大蛇の頭をパシッと叩きましたが、大蛇は体を一ひねりして壇上に這い上がると、覚心坊の体を下から上へとキリキリと巻き上げました。坊主頭の上に臼のような鎌首をもたげ、カッと火炎を吹きかけます。
「ワーッ!」
それを見た覚心坊は、一瞬で目を回してしまいました。
大蛇は覚心坊を巻き込んだまま壇上からドッと落ちましたが、見ると、大地に転がったのは気を失った覚心坊だけ。しかもその首には、細い萌葱色の下緒が、まるで人間を馬鹿にするように二巻きほど巻き付いているだけでした。

山を埋め尽くす見物人は、しばらくの間、感極まって声も出ません。大蛇がただの紐に変わったと分かると、ホッとため息をついた直後、山も揺れるばかりの歓声が沸き起こりました。
続いて、勇士・青柳又八郎が太刀を引っ提げて竹矢来の中に飛び込みました。
「さあ、今度は拙者の番だ。覚心坊のように簡単にはいかんぞ!」
袴の襠(ももだち)を取って早襷(はやだすき)にし、一刀を引き抜いて、絶好の構えで立ち塞がります。
「さて、お前も恥をかきたいのか」
やぐらから降りた天魔太郎は、鉢巻もせず、襷もかけず、刀を下げたまま青柳又八郎の面前九尺(約三メートル)のところに立ちました。
「正当な技で来い! 卑怯な邪法は許さんぞ!」
青柳又八郎は叫びました。
「望み通りだ。蛇が怖いというのなら、素手で相手をしてやろう」
天魔太郎は落ち着き払って、刀を抜こうともしませんでした。両雄相争う

 青柳又八郎は、一刀を振りかぶると、竹矢来の真ん中でジリジリと距離を詰めていきます。
二十七、八歳で背が高く、青いヒゲを蓄えたその武士は、両の瞳をメラメラと毒蛇のように燃やしており、ただ者ではない雰囲気を漂わせていました。
それもそのはず、青柳又八郎といえば、尾州(現在の愛知県)名古屋の藩士であり、不思議な刀さばきと並外れた気力で、藩内にも敵なしと言われた邪剣の使い手です。天魔太郎は、じつにとんでもない相手を敵に回してしまったわけです。
「えーッ!」
 絹を裂くような鋭い気合とともに、又八郎の長剣が風を切り、真っ向から天魔太郎の頭上へと振り下ろされました。
走る稲妻にも例えられる必殺の一撃。
「おっ」
 それをサッと軽やかにかわして飛び退いた天魔太郎の姿は、まるで美しいアゲハチョウのように身軽です。
「ええい、逃げるか! 卑怯なやつめ!」
 追いすがる青柳又八郎の剣は、横から縦から、突きに斬りと、目にもとまらぬ早業で変化します。
天魔太郎は、それを実に見事に受け流していきました。
あいかわらず刀も抜かず、術も使わず、まるで激しい夕立の中をヒラリヒラリと飛び交うツバメのように、打ち立て突きたててくる又八郎の邪剣をかわしていましたが、やはり素手では防戦一方になってしまったのか、次第次第に追い詰められ、竹矢来の隅へ隅へと逃げ込んでしまいました。
「それっ、天魔太郎、もう後がないぞ!」
「又八郎をキリキリ舞いさせてやれ!」
 矢来の外にいる数万の群衆は、いつの間にやら天魔太郎の味方になっていました。
大きなアゲハチョウを見るような天魔太郎の美しい姿と、牛若丸のような身軽さに魅了され、何としても彼を負けさせたくないという気持ちになっていたのです。
しかし、天魔太郎はついに竹矢来の隅へ、ギュウギュウと追い詰められてしまいました。
青柳又八郎の長剣が頭上高くひらめくと、数万の群衆は声をそろえて、「ワーッ!」と絶体絶命の叫び声を上げました。
ところが天魔太郎は、何を考えたのか、まだ刀を抜こうとしません。
初夏の太陽が頭上でギラギラと照りつけ、又八郎の大刀は、獲物を狙う毒蛇のように空中で弧を描き、キラリキラリと輝いています。
「それ、行くぞ!」
 ついに最後の瞬間が訪れました。
又八郎の一刀が風を切ってサッと振り下ろされた、その瞬間です。天魔太郎の熨斗目の袖が横っ飛びに飛び散ったかと思うと、誰かが大地の上にドッと倒れました。
よく見るとそれは、髷(まげ)の根元を小刀で縫い留められた青柳又八郎でした。まるで針で刺された昆虫のように、頭を青草の上にとめられ、あさましくも手足をバタバタさせています。そのそばで、天魔太郎はあいかわらず空手のまま、ニコニコと笑って立っているではありませんか。
「青柳又八郎、もう一度来るか?」
 天魔太郎は静かに言いました。
足元に倒れている青柳又八郎を、斬ろうと思えば簡単に斬れるはずですが、その気もないらしく、又八郎の髪を大地に縫いつけていた小刀を抜いてやり、そう促すのです。
青柳又八郎はようやく身を起こしましたが、もはや再び立ち向かう気も失せたのか、草の上に投げ出されていた自分の大刀を拾って鞘に収めました。さすがに悪びれた様子もなく、目礼をしたまま、悠々と引き下がっていきます。

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