初級翻訳・怪塔王 第8話

怪塔王

この大事件とともに、艦長の安西大佐から命ぜられたものでした。もちろんこのほかに東京から派遣された捜索隊や、県の警察署もそれぞれに活動していましたが、塩田大尉は、自分の乗組んでいた軍艦に起きた事件ですから、なんとかして自分の手で調べ上げたいと思っていました。

いま塩田大尉は、士官室の大きなテーブルの上にこの辺の地図を広げ、検察隊の士官や兵曹などと頭を突き合わせて相談をしているところです。

「どうも分からん」
と、塩田大尉は太い首を横に振りました。
「東京から派遣された調査隊の中に、帆村荘六という探偵がいたはずだが、その後一向にここへやって来ないじゃないか」
「それがですね、塩田大尉」
と、小浜という姓の兵曹長が、達磨のように頬ひげを剃ったあとの青々しい逞しい顔をあげて言いました。
「それがどうも変なのであります」
「なにが変だ」
「この先の別荘に泊まっているので、今朝からいくども使者をやっていますが、その別荘にはミチ子さんという親類のお嬢さんがいるきりで、本人は一彦君というミチ子さんの兄にあたる少年をともなって出たまま、まだ帰ってこないというのであります」
「ふーん、どこへ行ったのかな」
「お嬢さんもよく知らないと言っていましたが、なんでも向こうの塔を見に行ったとかいう話です」
「なに、塔だって?」「その塔とは、どこにある塔のことかね」
「さあ、それが……艦橋(かんきょう)からすぐ正面に見えていた、あの塔のことだと思われます」

2

「ああ、あの塔のことか」
 塩田大尉がそう言ったのを聞くと、彼もまた怪塔の存在を以前から知っていたようです。
そうでしょうとも。座礁した軍艦のすぐ目の前に、堂々と立っているのですから。
「おい、小浜兵曹長(へいそうちょう)。誰かを塔へ行かせて、帆村の様子を調べにやったかね?」
 すると兵曹長は頭をかいて、こう答えました。
「いえ、そこまではやっておりません。しかし塩田大尉、なぜ帆村探偵のことをそれほど気にされるのですか?」
「うん、理由はこうだ。僕は以前の遠洋航海のとき、あの帆村荘六が書いた『探偵実話』という本を読んだことがあるんだ。今もどこかにその本があるかもしれない。帆村探偵というのは理学士か何かで、最新の探偵術を使い、科学を悪用する犯人たちを次々とやっつけていくという変り者だ。だから彼が、わが軍艦『淡路』の事件でこの地にやって来た以上、きっと相当な活躍をしてくれるだろうと思っている。それをひそかに期待していたのだが、彼が別荘に帰ってこないというのは、どうにも解せないね」
 そう言って塩田大尉は、深く考え込むように首をかしげました。
それからしばらくしてのことです。階段をドタバタと急ぎ足で駆け下りてきたのは、小浜兵曹長でした。フーフーと荒い息を吐きながら、士官室に飛び込んできます。
「塩田大尉、た、大変です!」
 テーブルを前に、この事件をどう調べるか思案していた大尉は、小浜兵曹長の焦った顔をじっと見上げて言いました。
「なんだ小浜、また鶏のようにあわてているじゃないか」
「いや、あわてるだけのことはありますよ。私は酉(とり)年生まれですからね」
「酉年なのは知っている。で、大変なことというのは何だ?」
「そ、それです。塩田大尉、すぐに甲板へ上がってください。あなたでもきっと顔色を変えるような、とんでもないことが起きています!」

3

 甲板へ出れば何かが分かるという知らせです。塩田大尉は小浜兵曹長を連れて、すぐさま階段を駆け上がりました。軍艦『淡路』の甲板からは、いつものように九十九里浜の長い海岸線が美しく見渡せます。
しかし、塩田大尉の目には、特に変わった様子は映りませんでした。
「小浜兵曹長、大変とは一体何が大変なんだ?」
 すると兵曹長は、大尉の前に腕を伸ばして海岸の方を指さしました。
「塩田大尉、あれをご覧ください。あそこに立っていたはずの塔が、どこかへ姿を消してしまったではありませんか!」
「なんだと? 塔が姿を消した? 誰がそんな馬鹿げたことを本当にするものか」
「いえ、その馬鹿げたことが本当に起きたのです。では塩田大尉には、あの塔が見えるのでありますか?」
「見えないはずはない。あの塔は、確かにあの辺りに建っていたはずだが――」
 そう言って塩田大尉は甲板から小手をかざし、記憶にある場所を何度もキョロキョロと見渡しましたが、どうしても塔は見当たりません。
(変だな、確かにあの林のそばに建っていたはずだが……見えないとはどういうわけだ?)
 塩田大尉の顔はだんだんと赤くなり、次の瞬間、今度はサッと青ざめました。大尉は拳を固めると、欄干をドンと叩きました。
「これは不思議だ。小浜、お前の言う通りだ。確かにあの塔が見えなくなっている」
「やはり、私の申しました通りでしょう」
「うむ、これは一大事だ。あの塔が消えたとすると、あそこを調べに行った帆村探偵は、一体どうなってしまったのだろうか」

4

 九十九里浜に立っていた怪塔が、わずか一夜のうちに影も形もなくなってしまったのですから、これには塩田大尉もすっかり驚いてしまいました。
「これはすぐに偵察しなければならない。兵曹長、すぐに陸戦隊(りくせんたい)を用意しろ!」
 兵曹長はハッとして挙手の敬礼をすると、駆け出していきました。やがて、集合を命じる号笛の音が「ピピィーッ!」と響きます。
すぐに一隊の陸戦隊員が、白いゲートル姿も凛々(りり)しく、甲板へ駆け上がってきました。
「気をつけ! 番号!」
 銃剣をしっかりと握り、水兵たちはサッと整列しました。塩田大尉はその前に進み出て言いました。
「これから上陸して偵察任務を行う。場合によっては戦闘になるから、その覚悟でいけ」
 戦闘?
 水兵たちは「戦闘」という言葉を聞いて、心の中でこう思いました。
(しめた!)
 こんな内地で戦闘ができるとは、もっけの幸いです。大いに奮戦して、突いて突いて、突きまくろうと決心しました。
しかし、敵は何者なのでしょうか。塩田大尉はそのことについて、一言も説明しませんでした。陸戦隊はすぐさまボートを下ろし、海岸目指して漕ぎ出したのであります。まったく不思議な出来ごとがあったものです。
塔のなくなった海岸の景色は、なんだかすっかり間の抜けたものになりました。

「上陸!」

陸戦隊は一斉にボートから水際へとびおりました。
そこでいよいよ塩田大尉を先頭に、小浜兵曹長が付き添い、陸戦隊は塔があったと思われる例の森をめがけて、勇ましく行進していきました。
森はしずまりかえっています。
白い砂も、青草も、みな黙ったきりです。
迷子の怪塔はどこに立っているのでしょう。

怪塔の一つの謎

1

怪塔の一階では、いま帆村探偵と一彦少年とが、しきりに小首をかしげています。

「帆村おじさん、なぜこの塔の出口が、土の壁でふさがれたんだろうね」
「ふーむ、おじさんにもよくわからないのだ。だがね一彦君、これは土の壁というよりも、むしろ土壌(どじょう)といった方が正しいのだよ」
「えっ、どじょう。どじょう――って、あの髭のある、柳川鍋(やながわなべ)にするお魚のことだろう。

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