いつも女が後になってからオレに知れるが、今度は先によりも先に知れたからね」
「客席に出るのが辛いから早く結婚してくれと、実は目下せがまれていてな」
「もう分かったよ」
「どうもお前は木石のようでいかんな」
大磯の宿へ入ってくると、十郎を認めて駆け寄ってきた一人の白拍子が、まだ化粧もしていない黒い顔を押しつけるようにして言いました。
「どうしたのよ、十郎さん。
ちっとも姿を見せないで。
お嬢さんがヒステリーで大変ですよ。
実はね、今もお嬢さんが悪侍と大ゲンカしてるんですよ」
「侍とケンカだって?」
「ええ、そうなんです。
身分の低い侍ですが、大そう腕っ節の強い奴らでしてね。
その親分格は『黒犬の権太』という奴ですが、ちかごろこの宿を軒並みに荒らしまわっているんです。
今日はうちへ来ましてね、無理に上がり込もうとするところへお嬢さんがスーッと現れたんです。
懐手(ふところて)かなんかで悪侍をハッと睨みつけてね。
『うちへ上がって酒を飲むなら、私をすっかり斬り殺してから上がっておくれ! 私が息をしているうちは一歩だって入れないよ!』と、あのお嬢さんがタンカを切っちゃったんですよ。
それというのも、十郎さんがあまり姿を見せないから、すっかり気が立っているんですよ」
「それから、どうした?」
「どうしたも、ありませんよ。
お嬢さんが悪侍を八人も相手にして、結局どうにもならないのは分かりきっているじゃありませんか。
私はすぐに裏から飛び出して、馬七だの蛸八だの芋十なぞの地回り(地元のごろつき)の連中に助勢を頼んだんです。
『今日はオフクロの命日だ』なんて言って、誰一人来てくれやしませんよ。
みんな、やられているんです。
地回りの不良グループじゃ歯が立たないんですよ。
私、どうしようかと思ってね。
ほんとに天の助けだわ!
十郎さんに急場を救っていただいて、お嬢さんの胸のつかえを取り去ってあげさせようっていう天の配剤、それでたぶん天がお嬢さんにタンカをきらせたんですよ。
早く、なんとかしてあげてください!」
「拙者は事情があって、一命を大切にしなければならない身だ。かりそめにも暴漢ごときと事を起こすわけにはいまい」
「何が『拙者』だ!
おたんこなす!
二世を誓った愛人が悪漢相手に苦しんでいるというのに、『事情あって一命』だと?
ヘン!
愛より深い事情があるかっ!
唐変木(とうへんぼく)め!」
「よく口のまわる女だ。
しかし、心配なことではあるな」
「当たり前じゃないか!
おい、男なら何とかしろ!
さもないと、私がタダじゃおかないよ。
女と思って見くびるな。
お前の向う脛(す脛)をかっ払うぞ!」
「待て、待て。
その方と事を起こすのは好まぬ。
事情あって、拙者は一命を大切に……」
「おたんこなすめ!」
白拍子が打ってかかろうとすると、五郎がひょいと軽くその肩を押さえました。
「むっ!
痛いっ!
うーーむ、この野郎、なんていう馬鹿力だ。
よせやい!
動けねえや。
痛いよ!」
「オレは事情があって事を起こすのが好きだな。
オレをお前のうちへ案内しろ」
「こら、五郎!
一命を大切に……」
「一命を大切にしてるよ!
ただ、事を起こすだけだよ。
早く案内しろ!
悪侍を退散させてから居候になるつもりだから、毎日うまいものを山盛り食わせるのを忘れるなよ」
「お前さんは誰だい?」
「箱根の天狗だ」
「よーーし!
気に入った!
さあ、おいで!」
「こら、待て、五郎!
一命を……」
「大切にするよ!」
女と五郎は走り出しました。
物見高い野次馬の連中もあとを追って走り出します。
仕方がないので十郎は、半分歩いて半分走りながら、「一命を大切に……」とブツブツ呟きながら足を引きずっていくのでした。
長者の門前へ来てみると、今まさに親分格の奴がズカズカと上がり込み、虎を軽々と押さえつけているところでした。
門を入った五郎は、悪侍に向かって大声で呼びかけました。
「おーい!
こらこら、蛸の足!」
「なんだと!?」
一同が振り返ってみると、雲を突き抜けそうなほどの大男がニコニコ笑って立っています。
「『蛸の足』とはなんだ!」
「八人だから、蛸の足だ」
「なるほど……!」
「オレは当家の居候だ!」「オレに断りなく上ってはこまるな」
「断って上るが、よいか」
「オレはよいが、オレの手に持つものに、きいてみろ」
「手に何も持たんじゃないか」
「いま、もつぞオ」
肩の弓矢を外して地においた五郎は、玄関脇の松の木にムンズと組みつきました。
「オ、松の木に相談するのか。面白いな」
「いまにもっと面白くなるから待ってろ。アリャ、リャ、リャ、リャ……」
ゆさぶるうちに大地がメリメリとさけてきました。
「エイッ。ヤッ」
と五郎が満身の力をふりしぼって押しつけると、悪侍の頭上へ松の木が倒れてきたので、みんなびっくり仰天です。
松の葉にさされながら逃げのびて、茫然と仲間の顔を見合っています。
「さあ、松の木にきいてみろ。たって上るか、どうだな」
さすがに親分の権太は、何食わぬ顔で五郎に近づくやいなや、太刀をぬいて斬りかかりました。
五郎は体をひらりとかわし、トントンと前へ泳いできた権太の利き腕をたたきました。
たいして力を入れて打ったようでもないのに、腕が折れてしまったかのようです。
ポロリと刀を落として、権太は目を白黒させています。
五郎はその片腕と襟首をつかんで、
「そうれ。上りたければ上げてやるぞ」
とブン廻しのようにグルグルと振り廻して手を放すと、屋根の上へとんでいきました。
「どうだ、上り心地は」
ガラガラドシンと下へ落ちて、目をまわしながら、
「ウーム。酩酊(めいてい)いたした」
と言えなかったというお話です。
残りの七人の悪侍は、気絶した親分を抱きかかえて、コソコソと逃げだしていきました。
門前の群集は大喜びで、逃げる悪侍めがけて石を投げつけています。
そこへ十郎がようやく辿りついて、弟を一同にひきあわせ、これまでの勘当の事情を説明して援助をたのみました。
長者は大そう喜んで、
「居候(いそうろう)なんて、とんでもない。大切なお客様ですよ!
いえ、お店のお客様よりも大切にいたしますとも。
何百年でもいてください。ねえ、虎や」
「ええ。その大きくて立派なお方は命の恩人ですから、大切にいたしますわ。だけど、連れの痩せっぽちは、追いだして塩をまいてちょうだい!」
と、虎はまだ大そう怒っています。
十郎は別室で虎にひらあやまりをし、勘当された弟の面倒を見なければならなかったので訪ねることができなかった事情を説明して、こう言いました。
「五郎がここへ居候することに決まれば安心だから、五郎をここに置いていく代わりに、お前をつれて曾我へ帰るが、どうだ。
まだ母に打ち明けていないからすぐ結婚というわけにはいかないが、しばらく二人だけで楽しく暮らそうじゃないか」
「ほんと! 二人だけになれるのね」
「そうだとも」
「うれしい! それならカンベンしてあげるわ」
というわけで、十郎は虎をつれて曾我の閑居へと戻っていきました。
一方、置き残された五郎は、待遇がすごく良いので大喜びです。
食っては立ち回りの稽古をし、また食っては立ち回りの稽古をする毎日。
初級翻訳・曽我の暴れん坊 第4話
坂口 安吾
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