初級翻訳・神サマを生んだ人々 第4話

坂口 安吾

あの夫人にはたしかに妙な霊力があるし、それに管長が若年に似ず商売熱心なんだね。
教祖が直接患者を診察するのは一度だけで、あとは管長その他が代診するらしいが、ボクの娘の場合で言うと、治るまで管長が毎日欠かさず水行(みずごり)を取りに来てくれたぜ。
冬のさなかに裸でバケツの水を何杯も何杯も浴びるのさ。
そんなこと、安福軒にはできやしないよ。
コイツは怠け者で女に売春をさせてケチな稼ぎをさせることしか能がないから、女に逃げられて、肝心な大儲けをフイにするのさ。
近ごろ毎日メソメソ泣き言ばかり並べやがる」
「何を言ってますか。
水行まで取ってあくせく稼ぐことはないですよ。
教祖や管長その他に奮闘努力してもらって、ちょっと手を合わせて拝むだけで然るべき棚からボタ餅にありつくことができる商売は悪くないですよ」
「君も教祖を持薬に使っているそうだが」
 大巻先生がこう川野に訊くと、川野はもっともらしくうなずいて、
「頭痛、肩の凝り、二日酔いなんかにすごく効くよ。
教祖の指圧がよく効くのだが、出張してもらうわけにいかないから、弟子に来てもらうんだが、マッサージに比べるとたしかにいい。
小豆を袋につめたものでゴシゴシやったり、一時に三人がかりでもんでみたり、頭や背中をゴムの棒で叩いたり、いろいろと工夫している。
これは弟子のやり方だね。
教祖はそんなことはしない。
掌の霊力の放射で治す。
手をじっとかざすと、そこが焼けるように熱くなるね。
その手が背中に吸いついて離れないこともある。
手が離れたときにはスーと軽くなるのだよ。
いや、本当です。
ボクは阿二羅教の宣伝なんかする必要はないから、自分の経験を言っているだけだ。
たしかに効きますよ。君も、よかったらやってもらいなさいよ」
安福軒がそばでニヤッと笑って、
「熱くなるって、いったいどんなふうにですか?」
「火のそばに近づいたみたいに、ジリジリと熱くなるんだよ」
「十人のうち三人は、そういうふうに言う人が現れますね。
何本もの光がスッと差し込んできたのが分かったっていう人も、十人に一人はいますよ。
光がスッと差し込んでくる感じのほうは、どうなんですか?」
「君は信者のふりをしてお金を稼いで、自分だけ頭がいいつもりでいるみたいだけど、本当に信仰して少しでもありがたい効果を得ているほうが、もっと賢いってことが分からないらしいな」
「あなたは効果を得ているんですか?」
「マッサージの代わりに使って、ちゃーんと効果を得てるよ」
「それは言い訳ですねえ。
マッサージの代わりだなんて、なんだかケチくさいですよ。
マッサージの代わり程度だったら、ほかにも効果を得る方法はいくらでもあるでしょうに。
宗教の効果っていうのは、もっと丸ごと全体的なものじゃなきゃウソですよ。
ねえ、大巻先生。
そうでしょう?
川野先生は、どこかでウソをついてますよ。
あなたはきっと、本当は全然信仰してないんだと思いますね。
ただ、すごい霊力があることにして信じたいだけなんですよ」
安福軒は、自信満々のふてぶてしい目で、遠慮なく川野を見つめた。
大巻先生は、自分がはじめて彼女の旅館へ案内されたとき、安福軒がずっとこんなふうに自信に満ちた目をしていたのを思い出していた。
いわばこの目こそが、阿二羅教が生まれたきっかけの目なのだ。
なぜだか、そんなふうに思えてくるのだった。
しかし、安福軒はその自信たっぷりでふてぶてしい目で相手をガンジガラメに見つめながら、「あなたには信仰心がない、ただありがたがって信じたいだけだ」と、教団の裏をかくようなとんでもないことを平気で言っているのだ。
安福軒という男は、まったく変わったやつだな、と大巻先生は思った。
もしかすると、小説家の川野なんかよりもずっと鋭く、もっと冷酷に、現実や自分のことを見つめているのではないだろうか?
人間は、せいぜい小説家くらいのレベルでしか現実を見ることができない。
ところが安福軒は、もっと深く底まで現実を見つめているのかもしれない。
かつて自分の愛人にいかがわしい仕事をさせていたような、あの冷酷さをもって。
その冷酷さは、人間というものをまるでモノのように見て扱うことに慣れている大巻先生にとっても、決して理解できないものではなかった。
「嫌なやつではあるけれど、この冷酷さを憎みきりることもできないな」
大巻先生はそう結論づけた。
そして、ともかく一度、その阿二羅教というものをこの目で見てみたいという欲求が、むくむくと大きく膨れ上がってきたのである。
「僕を教祖と管長に会わせてくれないかね」
彼は安福軒にそう頼んだ。
「いいですよ、向こうは大喜びしますとも。
教団のパンフレットには、まず大巻先生が教祖の神聖さを認めた、ってちゃんと書いてあるんですからね。
大歓迎されますよ。
川野先生も、どうですか?
これをいい機会に、もう一度彼女の手から出る熱を実験してみたらどうですか」
「だけど、今日は大事な行事がある日じゃないのかい?」
「教祖と管長なんて、一時間足らず顔を見せればあとはもう用事なんかないんです。
忙しいのはほかの幹部や信者たちだけで、こういう日のほうが、かえって誰にも邪魔されずにゆっくり教祖や管長に会えるんですよ」
安福軒は、まるで見習い腕利きの宿屋の客引きみたいに、自信満々で説明した。
そういうわけで、川野水太郎もいっしょについて行くことになったのである。

神サマの実力

むかしある大金持ちの別荘だった大きなお屋敷が、阿二羅教の本部になっていた。
母屋の方では、一階も二階も信者たちでごったがえしていたが、裏にある離れだけは、特別な幹部でなければ立ち入ることができず、真昼だというのに気味が悪いほどひっそりとしていた。
この入口まで来ると、さすがの安福軒ですらもう中へ入ることはできない。
ほかの幹部が代わって、二人の男を中へ案内してくれる。
「じゃあ、お帰りをお待ちしてますよ」
そう小声でつぶやくと、安福軒はあとは知らんぷりで、急にものすごくいかめしく真面目な顔になり、手を合わせて目を閉じ、奥にいる教祖に向けてお辞儀をすると帰っていった。
まずは書院で、管長に会うことになった。
ビシッとしたギャバジン(上質な布地)の洋服を着ていたころの面影はどこへやら、頭は青々とツルツル坊主に丸められ、なんだかお坊さんの法衣のような特別な服を着ている。
これではかえって、昔の呉服屋の手代(店員)だったころの雰囲気がどれほど残っているのか、分からないくらいだった。
ただ手代らしくないのは、おそらくものすごく高いものに違いない香水の匂いが、彼の体中からプンプンと漂っていることだった。
「随分といい匂いがしますねえ。
いったい何の匂いなんです?」
川野が不思議そうに尋ねると、管長はとっても気楽にニコニコしながら答えた。
「フランスの、ちょっとしたいい香水ですよ。
この前、先生がいらしたとき、ボクまだこれつけてませんでしたかしら?」
「前に僕が来たときは酔っ払ってたし、もう半年以上も前のことだからねえ。
この本部に引っ越してからは、一度も来たことがないんだよ」
日野クンは、青々と光り輝く自分のツルツル頭を二人に突き出すようにして、言った。

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