彼は、ふと、窓のそばによった。
凍りついたつめたい窓硝子の向こうに、今、真赤な月がのぼりつつあった。
ああ、月がのぼる。「月を見ると、思い出すなあ」
と、岡部伍長は、ふと、ひとりごとをいった。
「ゴルフ場ともしらず、三十頭のもぐらを放して、もぐらが土を掘るところを研究したあの夜、あの月を見たなあ」
もぐら事件のことを思うと、たのしいやら、おかしいやらであった。
彼は、あのだだっぴろいうつくしい大草原が、ゴルフ場だとは、気がつかなかったのであった。
ゴルフ場と知ったら、もちろん、もぐらを放すような、そんならんぼうなことをやらなかったろう。
それがゴルフ場だとわかったのは、あの事件が、新聞に出てからのことであった。
その新聞記事というのが、ふるっていた。
“○○ゴルフ場の怪事件、某国落下傘隊の仕業か、多数のもぐらを降下さす”
彼には、すっかりわけがわかっていたからこの新聞記事を読んでいるうちに、ふきだしてしまった。
だが……。
あのゴルフ場の番人が、真夜中になって、クラブハウスの窓から、はるか向こうのゴルフ場の一隅に、怪火がゆらぎ(これは一郎のもっていた懐中電灯のことだ)それから朝になっていってみると、約百頭のもぐらが、折角手入れしてあったゴルフ場のフェアウェイを、めちゃめちゃに掘りかえしてあったというのだ。
百頭とは、話が多すぎる。
とにかく、このように多数のもぐらが、一時に、ゴルフ場へ匐いこむ筈がない。
だからこれはきっと、空中から落下傘で、もぐらを下ろしたのであろう。
その目的は、どんなことか、さっぱりわからないが、あの怪火は、落下傘隊員がふりまわしたものであろう――と、まことしやかに報じていた。
「あれは、おかしかったなあ。
――しかし、それはそれとして、おれはやっぱりもぐらを基本とした地下戦車を設計するぞ」
岡部伍長は、自信あり気に、独言した。
方眼紙
岡部伍長は、仕事はじめの夜に、窓から見たまんまるい月のことを、いつまでも忘れられなかった。
その夜、彼は午後九時まで、地下戦車の設計に、頭をひねったのであった。
その結果、どんなものが出来たであろうか。
岡部の机のうえには、大きな方眼紙がのべられ、そのそばには、さきをとがらせた製図鉛筆が三本、置かれてあったが、午後九時、彼が寝台へ立つまでに、その方眼紙のうえには、一本の線も引かれはしなかった。
「むずかしい。
とても、むずかしい!」
さすがの岡部伍長も、太い溜息とともに、憂鬱な顔をした。
ふだん、こんなものが出来たらいいだろうと思うがとか、そいつは、こんな恰好のものになるだろうとか、頭の中で、あそび半分に考えているときは、思いの外、まとまった或る形が、うかびあがってくるものだが、さあ本当にこしらえてみよということになると、手をつけるのに、なかなか骨が折れる。
それはそのはずである。
実際につくるとなると、車輪一つのことだって、正しい知識が入用になるのだ。
錐をつかえばいいと分っていても、しからば、実際にはどんな形の錐にすればいいのか、その錐をうける土のかたさは、どんな抵抗を生じるものであろうか。
錐をうごかす動力は、どのくらい入用で、どんなエンジンを使えばいいか等々、かぞえ切れないほどの問題が出てくるのであった。
それだけではない。
こっちをたてると、あっちがたたないことがまた問題となる。
土をけずる錐は、大きいほどいいわけだが、錐を大きくすると、こんどは地下戦車自身が大きなものになって、地下の孔をくぐることがむずかしく、速度も出なければ、馬力ばかりたくさん要って不経済のようにも思う。
こっちをたてて有利にすれば、あっちがたたなくなって不利となるのだ。
「うわーい、いやになっちまうな」
岡部伍長は、線一本引いてない方眼紙の上をにらみつけながら、丸刈のあたまを、やけにガリガリとかいて、寝所へ立った。
寝台へもぐりこんだが、もちろん岡部伍長は、ねむられなかった。
「ええと、どうしてやるかな。
形は、どうも土龍式がいいと思うのだが……」
もぐらの鼻の代りに、円錐形の廻転錐をつかうのがいいと、はじめから思っていた。
しかしそれをどうして廻すか。
それを廻して、はたして土はけずれるか。
けずれても前進するかどうか。
それから第一、廻転錐を廻す動力をどうするのか。
また、けずりとられた土をどうするのか。
――岡部伍長の頭の中は、麻のようにみだれた。
みなさんだったら、このような問題を、どう片づけますか?
岡部伍長は、寝ぐるしい一夜を送った。
彼は、すこしも睡れなかった――と思っていた。
しかし、夜中に営内の巡視が、彼の寝ている部屋へも廻ってきたとき、彼、岡部伍長は、たしかに眼をとじ、ごうごうといびきをかいて寝ていたそうである。
(この男は、えらいいびきだな)
巡視の士官は、苦笑をして、後に従っている下士官をふりかえった。(は、よく寝とります)
すると岡部は、むにゃむにゃと口をうごかし、
(……あ、そうか。もぐら君、君の鼻に、錐を直結すれば、よかったんだな。なあんだ、わしゃ、そこに気がつかなかったよ。はははは)
と、気味のわるいこえをたてて、岡部は笑った。
そして、とたんに、くるりと、寝がえりをうって、また、ぐうぐうと寝こんでしまった。
士官と下士官とは、思わず目と目を見合わせた。
(夢を見て、寝言をいっとるようじゃが、あれは一体なんじゃ)
(さあ、もぐらがどうとかしたといっておりました。報告書に書いて置きますか)
(ふむ。――いや、それにもおよばん。毛布をよくかけといてやれ)
熱心な投書
巡視の士官たちが、戸口から出ていってしまうと、岡部は、その物音に夢をやぶられたか、ぱっと毛布をおしのけて、寝台のうえに半身をおこした。
「ああ、成功。大成功だ。すばらしい考えを思いついたぞ!」
彼は、寝言ではなく、はっきりとものをいって、いそいで寝台を下りた。
上靴をつっかけて、彼は、とことこと歩きだしたが、五六歩あるいて、急にはっとした思いいれで、その場に立ちどまり、
「……忘れないうちに、いまのすばらしい発明を手帖に書きとめて置かなければならないと思ったが……ちぇっ、なあんだ、ばかばかしい。わはははは」
彼は、だれも見ていないのに、きまりわるげに、あたまを、ガリガリとかいて、寝台の方へ廻れ右をした。
そしてまた、毛布の中に、もぐりこんだ。
「ちぇっ、夢だったか、ばかばかしい。行軍していると、水車小屋のかげから現れたもぐらというのが、体の大きいやつで牛ぐらいあるもぐらの王様だったから、こいつは使えるなと思ったんだ。そのもぐらの先生め、わしの鼻に廻転錐を直結しなさいという。なるほど、これは何というすばらしい考えだと……いや、目がさめてみれば、あれまあ、なんというばかばかしい夢をみたもんだな! な、なあーんだ」
彼は、毛布の中で、くっくっと、いつまでも笑いがとまらなかった。
その夜は明けて、翌日となった。
岡部伍長は、腫れぼったい瞼をこすりながら、また自分の机にかじりついた。
「きょうこそは、なんとか形をこしらえなければ……」
と、彼は、がんばりはじめた。
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