涙が止まりませんでしたよ」
「二分一分となるとね」と米良が計算して言いました。「二分に一分というと、ううむ、五両一分になるのか」
「それから私に預けるようになったのね」と、くには言いました。
「お姉様がこの家に嫁いで間もなくのことでしたね」と平五は言いました。「とにかく、ここよりほかに信用できる場所なんてないんですから」
「そんな秘密を打ち明けられたら、結局あたしが母親に怒られるだけじゃないの」
「お姉様が口外しない限り大丈夫ですよ」
「とすると」と米良が言いました。「この七年ばかりのあいだに、二十両以上も稼いだわけだな」
「遅くともあと五年、三十歳までには予定の額に到達させるつもりです。自分としてはあと三年でいけると踏んでいるんですがね」
米良が「なかなか切実な生き方だな」と言ったとき、若い家士がやってきて来客を告げました。「木挽町の敬二郎さまでございます」
平五は反射的に膝を立てました。「そいつはいけねえ。私は今のうちに退却します」
「そうするのかね」と米良は笑いながら家士に言いました。「客間へと通してもらってくれ」
「履物を回してあげるわ」と言って、くには立ち上がりました。
五 彼に対する清鑑堂の評
清鑑堂の主人である清兵衛は言いました。「小出さまの若旦那にはもう七八年ごひいきになっています。ええ、たいした方ですな。お侍にしておくのは惜しい方ですよ。大旦那が道具にかけては玄人はだしだそうで、いいえお世辞じゃあない、日本橋の大庄さんと弥左衛門町の松十さんがお出入りでしょう、お噂は市などでもよくうかがってます。つまりその血をひいてらっしゃるんですな。私の店などはごらんのとおり半端物をつくねたようなありさまですが、なにしろこのがらくたの中から、若旦那がこれとにらんだ物は必ず値が付くんですから、そんなことが幾たびあったかしれやしません。だもんですから私はお侍なんかやめなさいって云うんです。御三男の末っ子だそうですからな、いっそ大小を捨てて裏の細江さんのお嬢さんを貰って、道具屋を始めたらどうですって、そのほうが気楽でもあり、きっとひとしんしょうおこしますぜって、よくそう云ってあげるんです。
ええ、ああ細江さんですか、それは一つ向う路次の長屋にいる御浪人で、御主人は三年まえに亡くなり、いまはその御妻女と、みのと仰しゃるお嬢さんとお二人ぐらしです。この店へは御主人の病ちゅうから、お嬢さんが物を売りにいらっしゃるので存じあげているんですが、なにしろお武家育ちだから、内職をしてもなかなか賄えないんでしょう、いまでもちょくちょくおみえになります。初めはかなりいい品も頂きました。ええ、儲けさせて頂いたこともありますが、ちかごろはもうさっぱりです。お腰の物などもやむなく頂きましたが、そこのその、隅のところに埃をかぶっている始末で、市へ持ってゆく気にもなりません。
さようです、そのお嬢さんのことは小出の若旦那も御存じですよ。この店で幾たびか顔が合ったわけで、色には出さないがお互いに気をひかれているようすです。お嬢さんはたしか十八で、若担那とは六つ違いなんですから、年廻りもちょうどいいんですがな。いいえだめです、若旦那は侍で一家を立てるつもりだそうで、町人になる気なんぞこれっぽっちもありゃしません。本当に惜しいもんです、あれだけのめききを活かさないなんてもったいないみたようなもんですよ。ええ、十日ばかりおみえになりませんが、今日あたりいらっしゃるんじゃないかと思います」
六
米良でうちあけばなしをしたことを、平五はすぐに後悔した。
米良は大丈夫だが、姉はわからない。
その二番めの姉だけは、きょうだいじゅうでいちばん親しかったし、いつも自分の味方になってくれていたが、いまは米良家の人間であるし、なにより良人が大事である。
嫁して七年、まだ子に恵まれないのをつねづねひけめに感じているらしく、しばしば実家へ母を訪ねて来るから、どんなきっかけで口をすべらさないとも限らない。
「どうしてあんなことを饒舌ったろう」と彼は自分に舌打ちをした、「今年は正月からおかしなぐあいだ、よっぽど気をつけないとなにが起こるかわからないぞ」
こんど米良へいったら、よく姉に口止めをしておこう、と平五は思った。
四月、五月、六月と、無事に日が経っていった。
木挽町では兄の敬二郎に三番めの子が生れ、神谷町の木下では女のふた児が生れた。
平河町の森で、六月下旬に老母が亡くなったが、木挽町から看病にいっていた母のいつ女が、実母の死にまいったものか、葬儀の日に倒れたまま、七月いっぱい森家で病臥した。
その三十余日のあいだ、平五は毎日いちど平河町までみまいにかよった。
ただみまいにゆくだけではない、菓子とかくだものとか、兄嫁の作ったたべ物などを持たされるので、ちょうど残暑にかかる暑いさかりだったし、木挽町と平河町を毎日往復するだけでも相当こたえたが、それでも三日にいちどは、たいてい越中堀の清鑑堂へまわった。
あるじの清兵衛は午後はたいてい店にいるが、留守のときでも女房を相手に、店の品をあさったり、むだ話をしたりして帰る。
清兵衛夫妻はそれを仔細ありとみていた。
つまり平五がそんなふうに来て時間つぶしをするのは、細江の娘が来はしないかと待っているのに相違ない、というのである。「もちろん、嫌いなわけではないさ」と平五はまっすぐに答えた。「だけど、嫁に迎えることもできないのに、焦ってバタバタしたって仕方ないだろ」
「どうして、おップリセカップセだけでもなさらないんですか。お嬢さんのほうだって、貴方のことが好きなのは分かっているはずし」
「バカなことを言うなよ」と平五は少し顔を赤らめた。「おれが家を出て自分の力で生活を立てるには、まだまだ相当の時間がかかる。三年かかるか五年かかるかもわからない。そんな状態で婚約なんてできるわけないだろ。こっちはいいかもしれないが、向うはおばあさんになってしまう」
「だからこそ、思い切って道具屋さんになりなさいって言っているんですよ」
「その話はもうよしてくれ」と平五は冷たく首を振った。「侍には侍の血が流れているんだ。たとえおれが道具屋になりたいと思ったとしても、先祖代々から伝わっている侍の血がそれを許さない。おれにはそれがよくわかっているんだ」
「そういうものですかねぇ。なんだか怖いような話ですね」
「おい、もうあの娘のことは話さないでくれよ」
八月になり、母親は木挽町の家へと帰っていった。
その月の十日に行われた会のあと、来月は家に伝わる刀剣を持ち寄ることになった、という話を平五は耳にした。
それを聞いてすぐに頭に浮かんだのは、新庄の叔父のことだった。彼は田村小路にある叔父の家を訪ねてみることにした。
叔父は四十七歳で、なんと七人もの子供がいる。三十を過ぎてからの結婚だったため、長男がようやく十五歳になり、一番下の娘はまだ二歳にもなっていない。
おまけに、家付きの妻と、その妻の母親も一緒に暮らしているため、狭い家の中はいつも鶏小屋のようにワイワイと賑やかだった。
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