初級翻訳・末っ子 第6話

山本 周五郎

 平五は叔父の居間で話をしたが、その部屋はたった三畳しかなかった。窓の外には板塀に鼻がぶつかりそうなほど狭い庭があり、痩せたアオキの木がしおれた葉をだらりと垂らしている、いかにも暑苦しくて寂れた景色だった。
 話はすぐに終わり、平五は十五分ほどでそこを辞去したが、そのほんの短い時間の間にも、子供たちが居間に出入りしたり、喧嘩をしながら走り回ったりして、まったく落ち着く暇がなかった。
 主殿(叔父)は平五を見送りながら、いつものように何かを欲しそうな、ねだるような目を向けた。
 いつもひどい貧乏暮らしをしているものだから、この甥っ子の顔を見ると(とくに必要のないときでも)何かをねだりたくなってしまうらしい。
 夕方に訪ねたときはたいてい食事に誘われるのだが、まだ昼間のことだったので、平五は気づかないふりをして別れの挨拶を告げた。
「刀のこととなれば、お手のものさ」と平五は歩きながらぶつぶつ呟いた。
「ここで一番、叔父さんの顔を立ててやるとしよう。父親は刀のことは何もわからないし、集まってくる連中も素人ばかりなんだから、いまに目玉を飛び出させてやるから見ていろよ」

 彼はそのまま、越中堀の清鑑堂へと足を向けた。
 横丁へ曲がり、店の前まで来ると、なんと店の中にあの娘の姿があった。
 細江みのだ。
 洗いざらした単衣(ひとえ)の着物に古い帯をしめ、あちこちに継ぎの当てられた足袋をはいている。
 狭い店のあがりかまちに、横座りの姿勢で腰をかけているものだから、細くしなやかな腰の線が、驚くほど女らしい色気を漂わせていた。
 肌は少し浅黒くて引き締まっており、目と口が小さい。
 その小さな目と口に、平五は逆らえないほど強く引きつけられてしまう。
初めてその店で見かけたときからずっと、いつ会ってもその小さな目と口元は、強く深く彼の心を捉えて離さないのだった。

 なんとなくお店に入りそびれて、平五が通り過ぎようとしたとき、店の中から清兵衛が声をかけてきた。
「小出さま、どうなされたんですか。寄っていかれないんですか?」
 平五は立ち止まり、それから少し優柔不断な様子で店の中へと入っていった。
 娘はさっと腰を浮かせ、目を伏せながら会釈をして、脇へとよけた。
「どうぞ」と平五は会釈を返し、「どうぞ用事を済ませてください。私はただ通りがかりに寄っただけですから」と言った。
「ありがとうございます」と娘が答えた。低くて細い声だったが、はっきりと言葉を聞き取れた。「わたくしも、いまちょうど用事が済んだところでございますの。どうぞ」
 どうぞお掛けください、というようなしぐけをした。
 清兵衛は銭箱を開け、いくらかの銭を紙の上へと取り出しているところだった。
「厳しい残暑ですね」と平五が切り出した。
娘が「はい」と答え、それからしばらくしてから、平五がまた口を開いた。
「ひと雨ほしいところですね」
「はい」と娘がまた答えた。
「ああっ」と平五が急に声をあげた。「失礼いたしました。私は小出平五という者です」
 娘は何も言わずに、静かに頭を下げた。
「お待たせいたしました」と言いながら、清兵衛は紙にのせた銭を娘に差し出した。「どうかお確かめになってください」
 娘はその銭を受け取るとしっかりと数え、受け取った紙で包んで自分の袂(たもと)へとしまった。
 そして清兵衛と平五に向かってそれぞれ会釈をし、静かに店から出ていった。
 平五があがりかまちに腰を下ろすと、清兵衛は奥に向かって「お茶を持ってこい!」と命じながら、くすくすと意地悪そうに笑った。「どうなすったんです」と清兵衛が笑いながら云った、「三年もまえにもう名のっていらっしゃるじゃありませんか、お忘れになったんですか」

七

「そうだったかな」と平五はとぼけた、「そんなことはどっちでもいい、今日は頼みがあって来たんだ」
 とぼけたけれども事実はそのとおりで、ずっとまえにいちど名のったことがあり、そのとき娘の名前も聞いたのであるが、話の続きにどう返していいか困ってしまい、つい、まだ自分の名前を伝えていなかったような気がしてしまったのだった。
 清兵衛は平五の頼み事を快く引き受け、さっそく心あたりを探してみようと言った。そして、ふと思いたったような様子で、脇に置いてあった白鞘(しらさや)の短刀を指し示した。
「これはどうでしょう。たったいま細江さまから買い取ったばかりの品なんですが」
「おいおい、お前はたった二分二朱(にぶにしゅ)しか払わなかったんだろ」
「二分二朱でも、こっちは泣きたいくらいおカネが苦しかったんですよ」と清兵衛は言い訳した。「お母さまが腰を痛めてしまわれたそうで、よっぽど困っていらっしゃる様子だったから、仕方なく買ったんです。
まえに買い取った大小の刀も、店の奥にそのまま積み上げっぱなしですしね。でも、この短刀は、若旦那の探している条件にぴったりですよ」
「どういうことだよ」
「若旦那の注文は『古刀(ことう)のニセモノ』ってことでしたよね。これは、なんとあの有名な『正宗(まさむね)』のニセモノだそうですよ」
「それじゃダメだ」と平五は首を横に振った。「いくら親しい仲でも、正宗なんて大物はハッタリに使いにくい」
「でしょうねえ」と清兵衛は大きなため息をついた。「わかりました、別の品を探してみますから、二、三日したらまた来てみてください」
 それから、月のおしまい近くまで待つことになった。
 五、六回も道具屋の清鑑堂(せいかんどう)に通い、二、三本の刀を見せてもらったが、どれも心に響くような思わしい品ではなかった。
 刀の寄合(よりあい)に集まる連中をあっと言わせ、叔父さんの面目をしっかり立ててやるのが今回の目的なのだから、そこらへんにあるようなありふれた品では全く効果がない。
 どうしても、名前の知られた有名な古刀のニセモノで、刀に詳しくない素人の目には、本物かニセモノかなかなか判断がつかないような絶妙な品が欲しかったのである。
 だが、月の終わりになると、ついに清兵衛は両手を挙げて降参してしまった。
「もうお手上げです」と清兵衛は首を振った。「そもそも私なんかには刀の目利きなんて専門外ですし、はじめからムリな相談だったんですよ」そして、再びあの細江から買った短刀を持ち上げて見せた。「いかがですかこれ、だまされたと思って、いちど隅々まで見てみませんか」
 平五はその短刀を受け取り、さっと鞘(さや)を抜いてみたが、すぐに首を振りながら元の場所へぽんと置いた。
「そういえばさ、――」と平五は切り出した。「まえに細江さんから買ったっていう、あの大小の刀を見せてくれよ」
 清兵衛は立ち上がり、店いっぱいに散らばるごちゃごちゃしたガラクタの中からその大小の刀を引っ張り出し、ボロ布でホコリを拭き取って平五に手渡した。
 平五はまず脇差をじっと眺め、次に長刀(刀)を改めた。
 どちらもうまく作られていない。室町時代以前の古い備前物(びぜんもの)のようではあるが、刀全体の姿かたちに気品が全く感じられない。
「値打ちがあるのは外装(拵え)の部分だけですね」と清兵衛が説明した。

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