決して、殿をひとりで旅立たせたりはいたしません。
――人間はいつか必ず死ぬものです。遅かれ早かれ、いずれはみんなこの世を去っていくのです。
……殿、どうか死ぬことばかりを考えないでください。大切なのは、今こうして生きているその時間です!
できるだけ中身の濃い生き方を、広く深く、悔いのない生き方を一緒に考えましょう。その時が来るまで、生きられるうちにめいっぱい、生まれてきて本当によかったと思えるように生きることを考えましょうよ」
「――分かった、よく分かったよ」
正篤は、少し長い沈黙のあとにそう言いました。
「――生きられる限り、生きてみよう。おまえの言うとおり、大切なのは生きることだ。悠二郎、――おまえだけは、どんなことがあってもおれのそばを離れないでくれよ」
「どんなことがありましても」
悠二郎は固い誓いを立てるように言いました。
「――この世はもちろんのこと、あの世へ行くことになっても、決して殿のおそばを離れません」
正篤がそっと手を伸ばしました。
その手を、悠二郎は両手でしっかりと包み込みました。
雨は少しも止む気配を見せず、しんしんと屋根を叩き続けていました。
お医者さんが言っていた通り、正篤の病気は順調に回復し、五月中旬にはお布団から起きて歩けるようになりました。
そしてお医者さんのすすめもあり、正篤自身の希望で、すぐに下屋敷へと静養のために引っ越しました。
――あの夜の出来事があってからというもの、正篤はもう憂鬱な様子を一切見せなくなりました。それどころか、普段の立ち居振る舞いはとても元気になり、顔つきも以前より明るく、どっしりと頼もしいものに変わっていったのです。下屋敷へ移って四五日すると、
「悠二郎、暗くなったらでかけるぞ」
こう囁いて、その日初めて、夜になって屋敷をぬけ出した。
もう年も十八であるし、任官した藩主であったから、ぬけ出すにも以前ほど周囲の者に気をつかう必要はない。
しかし正篤はそれでいい気になるというふうはなく、二日おき三日おきくらいにでかけ、夜もあまり更けないうちにきちんと帰った。
おみつはもう十五歳で、みかけもすっかり娘らしくなったが、生来のませた気持はみかけよりずっと大人びていて、二人を弟かなんぞのように扱った。
「いい若いしがなによ、たまにはなか(吉原)へでもいってらっしゃい」
などと、きいたふうなことを云う。
「偉そうなこと云ってもだめよ、悠ちゃんなんか、梅干の種を鼻の穴じゃないの、――くやしかったら芸妓の情人でもつくってごらんなさい」
「なにょう云やあがる、こっちあ屋敷が本所にあるんだぜ」
悠二郎はむきになって口を尖らす。
「お屋敷が本所だからどうしたのよ」
「べらぼうめ、本所から深川はひと跨ぎだ、なあ信さん、こいつあなんにも知っちゃあいねえのさ、へ、可愛いもんさ」
「そんなら家へ伴れて来たらいいじゃないの、そんなお馴染があるんなら伴れていらっしゃいよ」
「べらぼうめ、こちとらあてめえのおっこちを見せまわるほど浅黄裏じゃあねえや、嘘だと思うんなら自分でいって聞いてみな、櫓下へいって当時こちらで信さんと悠さんに深間のお姐さんはどなたでござんすか、――こうきけば猫の仔でも教えて呉れらあ、ざまあみやがれ」
「そんならそっちへいったらいいじゃないの、こんな家へなんか来たって面白かあないでしょ、いらっしゃいよ、すぐ舟のしたくさせてあげるわ」
おみつはくやしそうに唇を噛む。
「おう待ってました、松吉にそいって呉れ、門限があるんだから早いとこ頼むってな」
「云うわよ、なんでもありゃしないわ、そう云えばいいんでしょ」
「云えばいいのさ、さっさと頼むぜ」
「わかったわよ、どうせいいわよ、きれいな顔をしてたって蔭じゃあそんなことをしているんだから、家じゃあ母ちゃんもあたしも待ってたんじゃないの、今日は家で悠くりして頂こうって、大騒ぎでいろいろ下拵えをして、芸人は誰と誰を呼ぼうかって、お父つぁんもいっしょに相談して、もういらっしゃるかしらってみんなで待ってたんじゃないの、それなのに」
「なんだ、泣くのか、こいつあ驚きだ」
おみつは泣きだし、正篤はにやにや笑っている。
悠二郎は途方にくれ、いまさら云いなだめるわけにもいかず、さりとてそのまま立てもせず、ごまかそうとして、てれて、うろうろして、ついにはおつねの助けを求める。
「どうしてそうなんだろう、顔を見るとすぐ喧嘩なんだから、――おまえが悪いんだよ、なんだねばかばかしい、自分でへんなこと云いだしたんじゃないの、だから悠さんにからかわれたんじゃないか、嘘だよあんなこと、からかわれてるんじゃないか、ばかだねこのひとは」
「いいわよ、拵えといたお肴みんな猫にやっちゃうから」
「猫がまっぴらだとさ」
「およしなさいったらねえいいかげんに、おみつは下へ来てお呉れ、煮物をみてて呉れなきゃあ困るよ」
そんな口諍いは番たびのことだが、もちろんすぐにからっと仲なおりができてしまう、二人が帰るときなどは外まで送って出て、「ちょっと待って、衿が曲ってるわ」などと悠二郎の着物のどこかしら、引いたり下げたり、なにかしなければ気が済まないらしい。
「信さんはきちんとなさるのに、どうして悠ちゃんはこう着かたが下手なんでしょう、ちょっとじっとして、だめよそんなに動いちゃあ」
「うるせえな、曲ってたっていいよ」
「よかあないわよ、ちょっと待ってよ、ここんとこ、あらいやだ、これ下から着なおさなくちゃだめだわ」
「なにょう云ってやんだい、あばよ」
しょうのないひとね、おみつは眉をひそめて、小走りに少し追って、正篤へは丁寧におじぎをしてあいそを云うのであった。
「どうぞまたおいで下さいまし、お待ち申しております」
舟仙の二階で遊んで帰るときはそのままだが、外へ出るときはたいてい職人の恰好であった。
小梅から向島のほうもよく歩き、桑の実を取って庭番にみつかって息を限りに逃げた、あの生垣の側も通ってみた。
「お庭の桑はどうしたでしょう、たしか六本くらい植えたんでしたね、――八本だったかしら」
「あれからもう七年経ってるじゃないか、一年に二本ずつ植える筈だったろう、おまえ忘れていたのか」
「じゃあずっと、あれから、二本ずつですか」
「おれのと悠二郎のと、……上屋敷へ戻ったらみにゆくがいい」
その年は久しぶりで小梅の勝んべに会った。
三社祭りの雑沓のなかで、悠二郎が呼びかけると彼は赤い顔をし、おと年から下谷竹町の左官屋へいっていると云った。「今戸の瓦屋の熊を知ってるね、あいつ板前になるんだって、いま中洲の百尺で皿洗いをやってるよ」勝はこんなことを云って、それから眼をしばしばさせながら、「――おらあ聞いたけど、悠ちゃんも信さんもお侍の子なんだってな」
綾瀬川でその年は正篤が五百匁あまりの鯉を釣った。
またおみつの案内で水神へ舟でゆき、そこの百姓家のような小さなうす暗い茶屋で川魚料理を喰べた。
九月になってまもなく上屋敷へ帰ると、すぐさま悠二郎は日月亭の裏へいってみた。
正篤の云うとおり、今年の春あたり植えたらしい二本を入れて、数えてみると十四本あった。
初め植えたのは丈も九尺あまりになり、正篤が手入れを禁じてあるので、枝を四方へ伸ばせるだけ伸ばしていた。
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