「あっ」
中は二人の警官が警備しており、床の上には、まだ洗い流されていない血が、赤い膠(にかわ)のようにこびりついていました。
「お嬢さんたちの入るところじゃありません。向こうへ行って、向こうへ」
二人の可愛らしい断髪の少女が入ってきたのを見ると、警官は驚いて止めましたが、その時にはもう、窓の下に駆け寄った綾子が、テーブルクロスから覗く亡骸(なきがら)にすがりつくようにして、
「爺や、どうしたの。誰がこんなひどいことをしたの」
と、ハラハラと涙をこぼしていました。
その時です。
「正平が殺されたというではないか。一体全体、なんということだ!」
玄関から、怒鳴り込んできた人物がいました。
「あなたは、どなたですか」
警官が二人、扉の左右から行く手を阻みました。
「いや、これは失礼。つい興奮してしまってね。私は唐崎荘之介という。亡くなった立花博士の平泉館発掘事業に資金を半分投資していた者だ」
「あの、唐崎商事の?」
「その通り」
唐崎商事の社長といえば、実業界ではかなり知られた人物です。四十五、六歳で、少し古風な頬ひげを蓄えた堂々たる風采が、なんとなくあたりを威圧するのも無理はありませんでした。
「あっ、唐崎さん」
と、助手の滝山が飛んできました。
「記録はどうした、滝山くん」
「盗まれました」
「な、何? 盗まれただと。銅板は紛失し、立花博士は死に、その上記録まで盗まれては、発掘事業は完全に絶望ではないか。いよいよ、未決のまま死んだ立花博士の大詐欺を裏書きするようなものだ――それはいいが、一体私の損害をどうしてくれるんだ!」
「…………」
「記録のコピーはないのか、滝山くん」
「ありませんよ」
「それほどの大事な記録のコピーを取っておかないとは、君の落ち度じゃないか」
「いいえ、盗まれる危険を少なくするために、博士はコピーを作らせなかったんです」
「記録の内容をすっかり頭に入れていた博士ならそれでよかっただろうが、我々は困るんだ。ともかく警察にお願いして、どんなことをしても探してもらうんだな。次第によっては懸賞を出してもいい。一万円くらいなら」
唐崎荘之介は、金庫も爺やの亡骸も見ようともせず、そのまま玄関から引き返しました。
「綾子さん、あの人、どこかおかしいと思わない?」
「えっ?」
唐崎荘之介を見送って、燿子は綾子の耳元で不思議なことをささやきました。「あの人、この家にはしょっちゅう来るのかしら」
「ええ、勝手に入ってくるのよ」
「そんなに親しい仲なのに、どうして中に入って様子を見ようともせず、玄関から帰っていったのかしら。綾子さんに対して一言も声をかけないのもおかしいわ。大事な記録を盗まれたというのに、金庫の様子すら確かめないなんて、変だと思わない?」
「…………」
「それからね、滝山さんが昨夜、爺やさんが殺された頃にどこへ行っていたのか、聞いてみてくれないかしら。滝山さんの奥さんは一緒にいたのかどうかも。あと、滝山さんが昨夜着ていた着物を見せてもらうことはできないかしら」
燿子は、そんな妙なことを言い出しました。
川底に埋まる――平泉文明の遺跡
綾子と燿子は、その日のうちに鎌倉の翠川家別邸へと引き揚げました。
「お兄様、大変なことが起こったわ」
「聞いたよ。綾子さんの家のお爺さんのことだろう?」
水泳の練習から帰ってきた健一は、太陽に焼かれた素晴らしい身体に急いで浴衣を羽織り、ベランダへ出てきました。
「それもあるけれど、もっともっと大変なことなの。綾子さんから、お父様――立花博士――のお仕事である、平泉館(ひらいずみだて)発掘のことについて、詳しくお話を聞こうと思っているの」
「大変なことになったね」
健一と燿子、そして綾子の三人は、蔦が這うベランダの涼しい風に吹かれながら、籐(とう)の椅子を近くへ寄せ合いました。
「――知っているでしょう? お父様(立花博士)は詐欺師だの泥棒だのと言われて、裁判が終わらないうちに収監されて亡くなったけれど、決してそんなことをする人じゃないの。あれは運が悪かったのと、誰とも知れない悪い人に騙されてしまったのよ」
「…………」
綾子はせわしない様子で語り始めました。
その話というのは、こういうことでした。
――綾子の父である立花博士は有名な歴史家で、特に平泉の史跡に興味を持って調べているうちに、大変なことを発見してしまったのです。
これは日本の歴史にも詳しく載っていますが、鎮守府将軍・藤原清衡(ふじわらのきよひら)が、奥州の豊田館から平泉に館を移したのは堀河天皇の御代で、今からおよそ八百四十年前のことです。それから基衡、秀衡、泰衡と四代にわたり、平泉館に住んで奥州一円に号令をかけていました。
その間には戦争があったり、牛若丸が秀衡を訪ねてきたりと様々な事件がありましたが、とにかく一時、平泉は鎌倉にも劣らぬ繁栄を極め、藤原一家の勢力は清盛や頼朝でさえもどうすることもできないほどでした。
平泉館という奥御館(おくみたち)のほかにも、清衡が築いた柳の御所、秀衡がいた伽羅(きゃら)の御所、のちに義経が頼朝に追われて入った高館(たかだち)などの大建築があり、その外側には家の子郎党たちの屋敷が軒を並べていました。西方には中尊寺や光堂(これは今でも残っています)、南方には毛越寺といった巨大な寺院があり、堂塔は十、坊舎は千という、今では想像もつかないほどの繁栄ぶりでしたが、義経を匿ったために頼朝の怒りを買い、文治五年(今から七百四十五年前)、天下の軍勢を相手に戦って敗れ、兵火によってほとんど何もかもが焼き払われてしまったのです。
これだけが歴史として一般的に知られている表面的な事実ですが、立花博士の調査によると、藤原秀衡は一代の英傑であり、子孫の万一に備えて、夥(おびただ)しい金銀財宝や古美術品を平泉館の地下に埋めたというのです。
ところがその後、平泉の東方を流れていた北上川の流域が変わり、西の方へ迂回するようになりました。その結果、平泉館、柳の御所、伽羅の御所、そして高館の一部という、藤原四代の栄華の最も重要な地点の上を川が流れることになり、これらの古跡の大部分は、北上川の川底に沈んでしまったのでした。
これは決して作り話ではありません。
詳しいことは、平泉の古地図と現在の地図を比べてみればよく分かります。
立花博士は利欲などを眼中に置くような人ではありませんでしたが、高館(別名・判官館)の南、今は猫間ヶ淵(ねこまがふち)に沈んでいると思われる水中の大密室を開くことができれば、歴史上非常に有益な参考品が得られるという見込みで、一生懸命に発掘計画を進めていました。しかし、学者の常として仕事をするための資金が続かなかったため、知り合いの実業家である唐崎荘之介にその話をもちかけたのです。
奥州は有名な金の産地であり、金華山を領地にしていた藤原家にどれほどの富があったか、想像もつきません。
「平泉館の密室には砂金、延金(のべがね)、海鼠(なまこ=金塊のこと)、金塊などが山のように隠してあるだろう」と聞いて、唐崎荘之介は大いに乗り気になりました。
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