初級翻訳・火星兵団 第29話

海野 十三

そのうえ、車体はゴロゴロと転がり落ちながら、すぐに火を吹いてしまいました」
「その転がっていくところを見ていたのかね?」
「はい、私は崖の上から、その一部始終を見ておりました」
「そうか。
で、乗っていた人間の死骸が見当たらないという話だがね」
「はい。
死骸どころか、骨の一本も見当たらないのであります。
いったいどうやったら、そんなにきれいに燃えてしまうものなんでしょうなあ」
「……」
課長は何も答えず、懐中電灯を取り出して周囲をパッと照らした。
ぐしゃぐしゃに焼けただれた自動車のエンジンが、まるで地面にはりついているような不気味な形をしている。
そこからわずか二、三メートル先は、小さな川だった。
「ふうむ、どうにも腑に落ちないことだらけだな」
「いったい、どこが腑に落ちないと言うのですか?」
暗闇の中からぬっと顔を出したのは、佐々刑事だった。
彼は、大江山課長が何か口を開くのを待ち構えていたようだった。
「おお、佐々か」
課長は振り返って言った。
「どうにも納得がいかないことがあるんだ。
ガソリンに火がついて、崖の上から落ちた自動車が燃えたというのはよくわかる。だが、乗っていた人間の体はもちろん、骨の一本すら見当たらないのだ。
変だと思わないか?」
「だって課長、ガソリンに火がついてものすごく激しく燃えたから、骨の形なんてすっかり跡形もなく焼けちゃったんじゃないですかねえ?」
「いくらガソリンが燃えたくらいで、骨が跡形もなく消えてしまうものだろうか?
そんなはずはない。
骨は絶対にのこるものだ。
まあ、真っ黒こげになった死体が転がっているのが普通だろう」
「じゃあ、ガソリンじゃなくて、もっと強力に燃えるものが積まれていて、それが骨まで焼き尽くしちまったんじゃないですかねえ?
たとえば、焼夷弾(しょういだん)みたいなものが自動車に積んであったと考えてはどうでしょう」
「それも面白い考え方だな。
しかし、たとえ焼夷弾が燃え上がったとしても、そこから少し離れた場所にあるものは焼け残るはずだ。それに何より、骨が一本残らず燃え尽きて、灰すら見当たらないというのは、どうも少し変だな」
課長は首をかしげた。
佐々刑事は、だんだんイライラしてきた。
「課長!
ただ『変だ』と言ってばかりじゃ困りますよ。
で、その謎について何か名案でもあるんですか?」
「うむ。
だから私はこう考えてみた。
とにかく、この自動車に乗っていた人間は、まだ生きていると思う」
「えっ……生きている!?
まさかそんな……!」
佐々刑事は、あまりの意外さにぽかんと口を開けたまま、ふさがらないといった表情になった。
「課長、あなたのおっしゃることの方がおかしいですよ。
あんなふうに、ものすごく高い崖の上から自動車がここへ落っこちたんです。
たとえガソリンに火がつかなくたって、人間なら強いショックで脳震盪(のうしんとう)でも起こして死んでしまっているはずです。
生きているなんて、とても考えられませんよ!」
そう言いながら、佐々刑事は課長の顔をじっとのぞき込んだ。
課長は頭がおかしくなってしまったのではないかと疑ったのだ。
「だがな、佐々。
骨が一本も見当たらない以上、私は、乗っていた人間がここで焼け死んだとは思えないんだ」
「だって課長……」
「もちろん、私だって、あの高い崖の上から人間が落ちて、そう簡単に命が助かるとは思っていない。
しかし、骨が一切見当たらないのだから、崖から落ちた人間は命を取り留めて、どこかへ行ってしまったと考えるよりほかにないんだよ。
不思議としか言いようがないね」
「そんな無茶苦茶な話がありますか、課長!
崖の上から落ちた人間が、無事に生き延びたうえに、そのままどこかへ消えてしまっただなんて……!」
「だが、そう考えるしきれない事情があるのだ」「理屈のうえでは、そういうことになってしまうのだがね」
「それにしても、やっぱり変ですよ!
いくらなんでも、人間の体が鋼鉄でできているわけじゃありませんからね。
骨といってもそんなに頑丈なわけじゃないし、柔らかいお肉や皮でできている人間が、あんなに高い崖の上から落ちて、死にもせずにすぐどこかへ行っちゃうなんて……。
はっはっはっ!
これはどう考えてもおかしいですよ。
はっはっはっ!」
佐々刑事は、大きな声を出してケラケラと笑いました。

16 大発見

それは、まったく同じ日の夜の出来事でした。
崖の上にずらりと並んでいる蟻田博士の天文台では、新田先生が、昼間からずっと休みなしで望遠鏡をのぞき続けていました。
「おい、新田。
お前は本当にがんばり屋だなあ。
頼もしいやつだ」
蟻田博士が、いつになく新田先生をほめながら、椅子から立ち上がって歩み寄ってきました。
博士もなかなかの努力家で、この天文台に戻ってきてからは、休む間もなく本を読んだり、ひっきりなしに鉛筆を走らせて難しい計算をしたりと、勉強を続けていたのです。そんな博士が、今になってやっと新田先生の熱心さに気づいたのでした。
「おほめにあずかり、恐れ入ります。
しかし私は、モロー彗星が地球にぶつかるかもしれないという大変な事態が起きても、何とかして地球の人類を救いたいのです。
そう考えると、じっとなんてしていられなくなるのです」
新田先生は、その問題についてすっかり夢中になって取り組んでいました。
千二少年が無実の罪を着せられているのを一刻も早く助け出してあげたいとも思っていた先生ですが、博士からモロー彗星の話を聞いてからは、この地球の危機こそがいっそう一刻を争う重大な問題だと考えました。だからこそ、どうにかして人類を恐ろしい災いから救い出す方法はないか、その手がかりを見つけようと必死になっていたのです。
なんといっても、天体のことについては、世界中でこの蟻田博士が一番よく知っています。
博士のそばにいるうちに、せめて問題解決の糸口だけでも見つけておかないと、あとからでは大変なことになってしまいます。
気まぐれな蟻田博士は、いつまた気が変わって、どこかへ姿を隠してしまうかもしれないからです。
「今のうちだ!」と思った新田先生は、一生懸命に勉強を続けていたのでした。

実は、こうしてずっと望遠鏡をのぞき続けているのには、新田先生なりのある確信があったからでした。
新田先生の考えとは、ほかならぬ――。
空高く飛び去ったはずの「火星のボート」の姿を、この望遠鏡の中でしっかりと捉えることでした。
火星のボートの話は決してウソではないと、先生は固く信じていたのです。
あの千二少年がウソをつくような子どもはずですし、それに千二少年が枯れ尾花を幽霊と見間違えるような臆病者でもないと、先生は信じ切っていました。
火星のボートは、いったん天狗岩の上に降り立ったものの、そこからすぐに姿を消してしまいました。
一体どうしてしまったのでしょうか?
あの火星のボートは?

新田先生の考えでは、こうでした。
火星のボートは、千二の父親がじっと見ている目の前で、天狗岩から空のかなたへ飛び去ったに違いありません。

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