初級翻訳・火星探険 第26話

海野 十三

「だめなんだ、これがうちの車が出せる一番低いスピードなんだよ!」
「そんなことってあるかい」
「いや、本当なんだってば!
この火星の上では、重力が地球のときの約三分の一しかないんだ。
だから地面との摩擦(まさし)も三分の一になっちゃうから、思っている以上にすごくスピードが出すぎてしまうんだよ」
「そうなのか……。そんな信じられないことが本当にあるのかねえ」
 山木には、それがどうしても不思議でたまりませんでした。
とその時、河合が「あっ!」と大きな声をあげました。
次の瞬間、箱自動車はグラリと大きく激しく揺れ動き、「ガタン!」とものすごい音を立ててパタッと止まってしまったのです。
「うわっ!」
 箱自動車の屋根の上に乗っていた張とネッドは、不意を突かれていきなり空中にポンと放り出され、「あっ」と思う間もなく、ドサリと砂の中へ激しく叩きつけられました。
幸いなことに、下は硬い岩ではなく砂だったからよかったものの、もしゴツゴツした岩場だったら、頭をめちゃくちゃに打ち砕いてしまうところでした。
すると、待ち構えていた火星人の群れの中から、「きゃん、きゃん」と、お腹の底に響くような気味の悪い笑い声がわき起こりました。
なんと砂漠の地面には、火星人たちによる巧妙な落とし穴が隠されていたのです。
そうとは知らずに、河合は箱自動車をものすごい勢いで飛ばしたあげく、その落とし穴の中へと真っ逆さまに落ち込んでしまったのでした。

 状況は一気に不利になってしまいました。
ただ不幸中の幸いなことに、河合も山木も、おでこに大きなコブを一つ作ったくらいで命に別状はなく、張やネッドもすぐに砂の中から自力ではい上がることができました。
しかし、みんなの顔面は青ざめ、すっかり表情が変わってしまいました。
一番の頼みの綱だった箱自動車が、こんな深い落とし穴の中に落ちて身動きが取れなくなってしまった以上、これからは自分たちの足でトコトコと歩いていくしかありません。
それはあまりにも心細く、不安な道のりでした。
「これからいったい、どうしたらいいんだろう……」
「本当に困っちゃったねえ」
 張とネッドは顔を見合わせ、今にもしくしくと泣き出しそうな顔をしています。
「おい河合、どうしたらいいんだよ!」
 山木に名前を呼ばれた河合は、なんと落とし穴の中にスルスルともぐり込んで、車の車体をしげしげと調べていました。
「おーい、みんな! 安心してくれよ、車はどこも壊れていないぞ!」
「ちょっと待ってくれよ河合! 車がいくら無事だったとしても、こんな深い落とし穴の底でエンストして動けなくなっていたら意味がないじゃないか。そんなの何の役にも立たないよ!」
「ううん、大丈夫だってば。みんな、手を貸してくれよ!
この車を、ここから上へ力いっぱい引っ張り上げればいいんだからさ」
「なんだって!? こんな深い落とし穴から、この重い車を引っ張り上げるだって?
そんなこと、できるわけないだろ!
ぼくたちは子どもばかりだし、自動車はずっしりと重いし、絶対に無理だよ!」
 ネッドがそう言って、やれやれと両肩をすくめました。
「大丈夫だ、持ち上がるって! グズグズしていないで、みんなも穴の中へ降りてきて力を貸してくれよ。さあ、早く早く!」
 張とネッド、そして山木の三人は、河合の言うことをまだ半分信じきれずにいましたが、河合があまりにも急かすので、しかたなくしぶしぶと穴の底へと降りていきました。
「よし、それじゃあこっち側から押すんだぞ!
行くぞ……一(いち)、二(に)、三(さん)!
それ、よいしょーっ!」
「よいしょ、おやっ……!?」
「よいしょ、よいしょ、よいしょ!」
 なんと、みんなが驚いたことに、あれほど重かったはずの箱自動車はスルスルと動き出し、穴の険しい斜面をゆらゆらと揺れながらも、ぐんぐん上へと押し上げられていったのです。
そして、あっという間に車は元の砂漠の上へと無事に這い上がりました。
「変だなあ……。この自動車、どうしてこんなに軽くなっちゃったんだろう?」
「だからさっきも言っただろ、そのわけを!
火星の上では、地球とくらべて重力が約三分の一しかないんだよ。
だから、どんなものでも重さが三分の一に感じられるってわけさ」
「へえーっ、本当なんだなあ……!」
 残りの三人は、目を丸くしてパチパチとまばたきをしました。
「まだ信じられないっていうなら、ためしに地面を思いっきり蹴って、ぴょんぴょんと飛び跳ねてごらんよ。びっくりするくらい高くジャンプできるからさ!」
 河合がそう言うと、一番のお調子者であるネッドが「それじゃあ!」とばかりに、さっそく地面をぴょんと蹴って飛び上がりました。
するとどうでしょう、見なさいこの不思議な光景を!
ネッドの体は、まるで軽いボール紙を空へ放り投げたかのようにスゥーーッと軽く持ち上がり、なんと三人の少年の頭の上よりも、はるかに高い空へと飛び跳ねていったのです。
「わあ、あんなに上まで飛んでいったぞ!
まるで空を飛ぶ天狗みたいじゃないか!」
「すごい、これはめちゃくちゃ面白いぞ!
もっともっと高く跳んでやれ!」
 ネッドはすっかりいい気分になって、さらにぴょん、またぴょんと、フワフワと空中を舞うようにジャンプを何度も何度も繰り返したのでした。そのたびに、お尻につけている太い狸の尻尾が宙にゆれて、じつにおかしかったので、皆は火星人の大群を前にひかえている危険さえもすっかり忘れて、お腹をかかえて大笑いしました。
ネッドはますますいい気になって、ぴょんと飛び上がる勢いのまま、おどけた格好をみんなに見せつけるのでした。
「おい、ネッド!
もうそのへんにしておきなよ。
それからみんな、早く自動車に乗り込むんだ!」
 河合がそう言って、運転席の上から大声で叫びました。
それでようやく他の三人称もハッと我に返り、あわてて自動車によじ登りました。
自動車は、再び赤い砂漠の上を元気よく走り出しました。

音楽の魅力

 それ以来、少年たちは急にモリモリと元気になったようです。
どうしてそんなに元気になったかというと、おそらく、さっきまで一番しょげていたネッドが、すっかりバカみたいにご機嫌になってしまったからでしょう。
彼はジャンプをするたびに、あまりにも体が軽々とフワフワと飛び上がるものだから、うれしくてたまらなくなってしまったらしいのです。
ネッドは、この自動車の中に積んであった電気蓄音機(レコードプレーヤー)をかけてみようと言い出しました。
河合もそれに大賛成しましたが、古い蓄音機が途中で壊れていないかとちょっと心配でした。
ところが、いざスイッチを入れてみると機械はちゃんと元気に回りだし、あの愉快な「證城寺の狸ばやし」の音楽がスピーカーから高らかに流れ出したのです。
「あっ、これは最高だ!
みんな、自動車の上で狸踊りを踊ろうぜ!」
「よし、ぼくもやるぞ!」
ふだんはあまり喋らない張までが、ネッドにつられてすっかりウキウキした気分になってしまいました。
そこへ山木も加わった三人が、箱自動車の屋根の上で、あの愉快な狸踊りをパタパタと踊り始めたのです。

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