初級翻訳・牛若と弁慶 第2話

楠山 正雄

九州の松浦の太夫は弓を千ちょうとうつぼを千本そろえてもっている。
おれも刀を千本そろえよう。
都へ出て集めたら、千本くらいわけなくできる。」
こう考えて、弁慶は黒糸おどしの鎧の上に墨ぞめの衣を着て、白い頭巾をかぶり、なぎなたを杖について、毎晩五条の橋のたもとに立っていました。
そしてよさそうな刀をさした人が来ると、だしぬけにとび出して行って奪いとります。
逃げようとしたり、すなおに渡さなかったりするものは、なぎなたでなぎ倒しました。
すると、このごろは毎晩五条の橋に大坊主が出て、人の刀をとるという評判がぱっと高くなりました。
坊主ではない、てんぐだというものもありました。
そしてみんなこわがって、日が暮れると五条の橋をとおる者がなくなりました。
ある時弁慶がとって来た刀を出して数えてみますと、ちょうど九百九十九本ありました。
弁慶はよろこんで、
「うまい、うまい、もう一本で千本だぞ。
おしまいに一ばんいい刀を取ってやりたいものだ。」
と独り言をいいました。
そしてその晩はわざわざ五条の天神さまにおまいりをして、
「もう一本で千本になります。
どうぞ一ばんいい刀をお授け下さい。」
といって、それからいつものように、五条の橋の下へ行って立っていました。

三

牛若は五条の橋の大どろぼうのうわさを聞くと、
「ふん、それはおもしろい。
てんぐでも鬼でも、そいつを負かして家来にしてやろう。」
と思いました。
月のいい夏の晩でした。
牛若は腹巻をして、その上に白い直垂を着ました。
そして黄金づくりの刀をはいて、笛を吹きながら、五条の橋の方へ歩いて行きました。
橋の下に立っていた弁慶は、遠くの方から笛の音が聞こえて来ると、
「来たな。」
と思って、待っていました。
そのうち笛の音はだんだん近くなって、色の白い、きれいな稚児が歩いて来ました。
弁慶は、
「なんだ、子供か。」
とがっかりしましたが、そのはいている太刀に気がつくと、
「おや、これは、」
と思いました。
弁慶は橋のまん中に飛び出して行って、牛若の行く道に立ちはだかりました。
牛若は笛を吹きやめて、
「じゃまだ。
どかないか。」
といいました。
弁慶は笑って、
「その太刀をわたせ。
どいてやろう。」
といいました。
牛若は心の中で、
「こいつが太刀どろぼうだな。
よしよし、ひとつからかってやれ。」
と思いました。
「ほしけりゃ、やってもいいが、ただではやられないよ。」
牛若はこういって、きっと弁慶の顔を見つめました。
弁慶はいら立って、
「どうしたらよこす。」
とこわい顔をしました。
「力ずくでとってみろ。」
と牛若がいいました。
弁慶はまっ赤になって、
「なんだと。」
といいながら、いきなりなぎなたで横なぐりに切りつけました。
すると牛若はとうに二三間後に飛びのいていました。
弁慶は少しおどろいて、また切ってかかりました。
牛若はひょいと橋の欄干にとび上がって、腰にさした扇をとって、弁慶の眉間をめがけて打ちつけました。
ふいを打たれて弁慶は面くらったはずみに、なぎなたを欄干に突き立てました。
牛若はその間にすばやく弁慶の後ろに下りてしまいました。
そして弁慶がなぎなたを抜こうとあせっている間に、後ろからどんとひどくつきとばしました。
弁慶はそのままとんとんと五六間飛んで行って、前へのめりました。
牛若はすぐとその上に馬乗りに乗って、
「どうだ、まいったか。」
といいました。
弁慶はくやしがって、はね起きようとしましたが、重い石で押えられたようにちっとも動かれないので、うんうんうなっていました。
牛若は背中の上で、
「どうだ、降参しておれの家来になるか。」
といいました。
弁慶は閉口して、
「はい、降参します。
御家来になります。」
と答えました。
「よしよし。」
と牛若いいって、弁慶をおこしてやりました。弁慶は両手を地面についたまま、
「わたくしはこれまで、自分のことをずいぶん強いと思っていましたが、あなたにはとてもかないません。あなたはいったい、どなたでいらっしゃいますか?」
と尋ねました。
牛若は胸を張って、
「おれは牛若だ!」
と答えました。
弁慶はびっくりして、
「それでは、源氏の若君さまでいらっしゃるのですね!」
と言いました。
「そうだ、佐馬頭義朝の末っ子だ。お前はだれだ?」
「どうりで、ただ者ではないと思いました。わたくしは武蔵坊弁慶という者です。あなたのような立派なご主人さまにお仕えできるなら、わたくしも本望でございます。」
と弁慶は言いました。
こうして、牛若と弁慶は主従の固い約束をかわしたのです。

四

牛若はまもなく大人になる儀式(元服)をすませて、九郎義経と名乗るようになりました。
そして、おにいさんの源頼朝をたすけて、平家を滅ぼしました。
弁慶は義経といっしょに何度も戦場に出て、すばらしい手柄をたてました。
のちに、義経が頼朝と仲が悪くなってしまい、奥州へ落ち延びて行ったときも、いつも変わらず義経にお供をして忠義をつくしました。
そしてさいごには、奥州の衣川という場所で、義経のために戦って命を落としたのです。
そのとき、体じゅうに矢を受けながらも、じっと立ったまま敵をにらみつけた息絶えていたため、のちに「弁慶の立ち往生」と呼ばれ、人々を大いに驚かせたのでした。

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