初級翻訳・狼疾記 第5話

中島 敦

真正面からぶつかっていく勇気も根気もない――ただ結局のところ、ギリギリの結末だけを聞きたいと思っていたんだ。
(誰に? 神様にだろうか?)「一体、私たちの魂は永遠に残るものですか? それとも、体と一緒に消えてしまうものですか?」もし「永遠に残る」という答えをもらったとしても、それで救われるとは思わないが(というより、死を恐れる気持ちの中には、自分という存在が消えることへの恐怖だけでなく、今この瞬間の自分という形に愛着があることも大きく含まれていると思われたが、それをはっきりと自分の中で見定めることは彼にはできなかった)、どうしても「自分」という存在が消えてしまうことが我慢ならなかった。それに、(これは二の次だが)人間の誰もが、こんな恐ろしい思いをしなければならないように出来ていることが、どう考えても納得いかなかったのだ。
「永遠に生き続けることの恐ろしさ」? それはまた別の話だ。
俺たちは今そんなことを考える必要はない。
それに、それはまるで、使い道に困るほど大金を持っているお金持ちの贅沢と同じじゃないか、と当時の三造はそう思ったのである。

二

ポケットを探って取り出した部屋の合鍵が、手のひらに冷たい感触を伝えるような季節になっていた。
暗い部屋に入って電気をつけ、まずは表に面した窓を全開にして空気を入れ替える。
それから、隅に吊るしたオウムの籠をのぞいて餌が入っているか確認してから、服も着替えずにベッドの上に仰向けになり、両手のひらを頭の下に組んでひっくり返る。
そんなに疲れるようなことはしていないはずなのに、ひどく疲れ切ったような感じがする。
今日一日、何をしただろう? 何もしていない。
朝遅く起きて、朝昼兼用の食事を階下の食堂で済ませてから、読みたくもない本を無理やり辞書と首っぴきで十ページほど読み、それに飽きると、親戚の子が亡くなったことへのお悔やみの手紙を出さなきゃいけなかったことを思い出して書こうとしたが、どうしても書けない。
結局手紙はあきらめて、外に飛び出し、街へ行って映画館に入り、そうして帰ってきただけのことだ。
なんてくだらない一日! 明日は? 明日は金曜日だ。
仕事がある日だ。
そう思うと、かえって何か助かったような気になるのが、自分でも腹立たしかった。
世の中の流れについていくにはあまりにのろまで、人と付き合うにはあまりに臆病な、一介の貧乏な書生。
職業でいえば、週二日だけ出勤する、女学校の博物学の講師。
授業にそこまで熱心というわけでもないし、かといって、特別怠けているというわけでもない。
教えることよりも、少女たちと接して、彼女たちに対して「心優しき軽蔑」を感じることに興味を持ち、そうしてひそかにスピノザという哲学者の真似をして、女学生の行動についての皮肉な定理と、その補足説明を集めた「幾何学書」でも作ろうか、などと考えている。
(例えば、「定理十八。女学生は公平を最も嫌うものである。証明。彼女らは常に自分に有利な不公平だけを愛するからである。」といったようなものだ。)
結局、学校へ行く二日間は自分の人生の中でそれほど重要ではないと、この男は思い込もうとしているのだが、最近ではそうもいかなくなってきた。時として、学校が、というよりも、あの少女たちが、自分の生活の中でかなり大きな場所を占めているらしいことに気づいて、自分でも驚いてしまうことがある。
学校を卒業して二年目、父の死によって身寄りが全くなくなった三造が、その時残されたわずかな遺産を元手に、これからの生活の設計を立てた。
その設計に従って、あの時自分がぬくぬくと潜り込もうとしたその場所が、なんと、ぐずぐずとふやけていて、なんとも情けなく、だらしないものだったことか。今の三造は、自分自身に対して腹が立って、どうしようもない気持ちでいっぱいだった。
あの時、彼は自分のこれからの生き方として、二つの道があると考えたんだ。

一つは、いわゆる出世という道だ。名声や地位を得ることを一生の目標にして、必死に頑張る生き方。
もちろん、実業家や政治家といった仕事は、三造の性格や、これまで学んできた学問の分野を考えても、まったく向いていない。
結局は、学問の世界で認められて名誉を得るということになるけれど、それでも、いつかたどり着くかもしれない遠い目標のために(もしかしたら、そこに到達する前に死んでしまうかもしれないのに)、今という一日一日の生活を犠牲にしてしまう生き方であることに変わりはない。

もう一つの道は、名声や仕事の成功なんてことは一切考えないで、一日一日の生活を、その時その時でたっぷり楽しんでいこうというやり方だ。ただし、それはカビが生えそうなほど古臭いヨーロッパの「楽しんだもん勝ち」という考え方に、少しだけ東洋の文人っぽい、ひねくれた寂しさを混ぜ合わせたような、今思えば、とてもウジウジした、いじけた生き方だった。

さて、三造は二番目の生活を選んだ。
今にして思えば、これを選ばせたのは、結局のところ彼の体の弱さだったのだろう。
喘息や胃弱、蓄膿症にいつも苦しめられている彼の体は、自分の命がそう長くはないだろうということを直感していて、第一の生き方のような苦しさを無意識に避けていたのかもしれない。
それから、今に至るまで治る気配のない、彼の「臆病な自尊心」も、この道を選ばせた大きな理由の一つに違いない。
人前に出ることをひどく恥ずかしがるくせに、自分のことは誰よりも優れていると信じている彼の性格が、もし才能不足だとバレてしまったらどうしよう、という不安から、第一の生き方を自然と拒否させたのだろう。

とにかく、三造は二番目の生き方を選んだ。
そして、それから二年後の今、この生活はどうだ? この、安っぽい飾りしかない一人暮らしの部屋の、秋の夜のなんと物寂しいことか。壁に掛けてある趣味の悪い絵の複製も、今となっては見るのも嫌だ。
レコードボックスにはベートーヴェンの晩年の弦楽四重奏曲だけは揃えてあるけれど、今さら聴こうという気にもなれない。
小笠原への旅から持ち帰った大きなウミガメの甲羅も、もう旅へ行こうというワクワクした気持ちを誘ってくれない。
壁際の書棚には、彼が学んだ専門分野とはだいぶ系統の違うヴォルテールやモンテーニュの本が、空しく薄いホコリをかぶって並んでいる。
オウムや黄牡丹インコに餌をやるのさえ、面倒くさい。
ベッドの上にひっくり返って、三造はただボーッとしている。
体も心も、芯が抜けてしまったような状態だ。
日々の生活が何の中身もないせいで、心の中に大きな穴が開いてしまったのだろうか。
それは、さっき思い出した、あの底なしの不安とは全く別物だ。
魂が抜けてしまって、不安も苦痛も何も感じなくなったような、麻痺した状態なんだ。

ぼやけた意識の隅に、明日出勤する学校の少女たちの雰囲気が、唯一、彼の仮死状態のような生活の中で生きた存在であるかのように、明るく浮かび上がってきた。
一人一人見れば、醜かったり、卑しかったり、愚かだったりする少女たちが、自分の生活の中で触れ合える唯一の「生きた存在」だなんて? 豊かにしようと決めていたはずの日々が、なんて乏しくて虚しいことか。

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