いや、たとえ馬と共に血を吐くことになろうとも、それまでに三方ヶ原へ駆けつけねばならぬ!」
「おお、もちろんそのくらいのこと、この際なんでもありません! して、着いた時には?」
「手段を選んでいる時間はない。ただ群衆に紛れて、一瞬の隙に矢来(やらい)の中へ斬り込み、若君をはじめ二人の盟友を救い出すまでだ」
「心得ました!」
小文治は腕を鳴らし、朱柄の槍を振るいました。朝の爽やかな風が、馬のたてがみを心地よく吹き散らします。ヒュッと一鞭(ひとむち)入れると、三騎はそのまま馬首を並べて、東へ東へと疾走していきました。
やがて、目の前には渺茫(びょうぼう)とした裾野と、果てしない青空が広がります。まるで海のようです。五月の裾野、五月の澄んだ大気。目の届く限り、十何里にもわたって、ただ一色の青いススキが風に揺れ、波のようにうねっています。その中を、三騎の小さな影が駆け抜けていきます。風に隠れ、風に現れ、風を切り裂いて疾走するのです。
ああ、東海道まではまだ遠い。浜松や三方ヶ原には、まだ途方もない道のりが残されているのです。覚悟のとおり、あの三騎は、途中で馬が血を吐いて倒れてしまいはせぬだろうか。
このような場合には、千里を飛ぶ名馬であってももどかしく感じられ、一日の過ぎゆく時間も瞬く間のように感じられる。
すでにその日は暮れて天龍川のほとりに至った三騎の人々――はたして、翌日の午後までに、刑場の矢来のきわまで駆けつけることができるのだろうか?
三
ついに、その日、その時刻がやってきた。
都田川の右岸には、青竹を組んだ矢来の先が、まるで針の山のようにそびえ立っている。
その周囲には、噂を聞きつけて集まった大勢の群衆が、すし詰めになって押し寄せていた。
夕暮れの風が、矢来の竹をカラカラともの寂しく鳴らすほかは、群れ集まった人々も静まり返り、まるで水のようにひそまり返っている。
少し前、浜松の城下から三方ヶ原を通っていった裸馬には、まだ幼い若君と、お坊さんの姿をした者、そして旅の行者の姿をした者がくくりつけられてこの刑場へ運ばれてきたのだから、もう間もなく、首斬りの役人が太刀に水を注ぐだろうと予想するだけでも、みんなの息が詰まる思いだった。
その時――丁字形に幕を張った矢来の隅の控えた場所から、黒い服をまとった男がのっそりと刑場の真ん中に歩み出て、ジロジロと矢来の周囲を見回したり、空を見上げて何かをつぶやいたりしている様子が見えた。
「おや、伴天連(バテレン)が来ているぞ」
と、人々は耳を寄せ合い、小声で囁き合った。
すると、それから少し遅れて、矢来の死門から三人の縄つきの罪人が引き立てられてきた。
菊池半助がその縄を取る者の後ろから、おごそかに口を真一文字に結んで従ってくる。
「ごくろうでした」
「そちらこそ」
と、伴天連と半助は軽く会釈を交わし、すぐに刑吏に指示を出して、処刑の座敷をしつらえさせ、血だまりのための穴を掘らせ、水柄杓を運ばせた。
その傍らでは、奉行や検視の役人などが床几(しょうぎ)に腰掛け、忙しそうに働く下人たちの様子を眺めながら、ときどき下役へ注意を与えていた。
かけや(大きな木槌)を持った一人の男が、やがて三つの死のむしろのそばへ、三本の杭をコーン、コーンと力強く打ち込んだ。
「それッ!」
菊池半助が時刻を計りながら目くばせをする。
「武田伊那丸ッ、立て!」
まっ先の杭へ、男は荒々しく伊那丸を引きずっていき、縄でギリギリと厳しくいましめの端を巻きつけた。
むしろの上にすえられたその姿は、力が抜けたようにうなだれていた。
さすがの家康も、その高貴な身分を思ってか、衣服は着けたままの白い綸子(りんず)であり、そこにははっきりと武田菱の紋が見て取れる。前髪の残る幼い姿とともに、事情を知らない群衆の目にも、あまりに哀れで痛いたしい涙をそそらせるものがあった。
さらにひどかったのは、その次に控えていた、お坊さんの姿をした者と白衣を着た人に対する刑吏たちの扱いだった。
打つ、蹴るの暴行を加えたあげく、伊那丸と同じように杭に引き据えて、何かと口荒くののしり散らしたのだ。
その二人も、ついに怒りをこらえきれず、刑吏たちへ鋭い言葉を投げ返した。
だが、目は白い布でふさぎ隠され、両手は杭に縛りつけられている二人の怒声は、冷酷な役人たちの心には、ありふれたただの世迷い言としか響かなかった。
なお、矢来の外にいる群衆には、その激しいやり取りを見るだけで、言葉の細かい意味までは聞き取れなかった。
「罪人どもの泣き言や叫び声を、いちいち取り合っていてはいつまで経っても終わらん。
それッ、時刻の過ぎぬうちに支度をせい!」
奉行役人がそう大きな声で怒鳴ったのは、誰の耳にもはっきりと聞き取れた。
「太刀取りのお方――」
そう言って目くばせすると、それまで小気味よさそうに三人をにらみつけていた伴天連風の怪人は、こう言った。
「半助どのに、処刑の代理をお願いいたしたい。
この呂宋兵衛(るそんべえ)は、先ごろ桑名で少し右腕を傷めておりますので……」
そう言って、自ら辞退したのだ。
その妖異な姿をした者こそ、伊那丸の通過を密告し、またもやおとなしいふりをして徳川家のふところにうまく食い込もうと猫をかぶり続けている、和田呂宋兵衛その人であった。
呂宋兵衛の辞退を聞くと、半助は――誰もが刑場に立つと一種の鬼気におそわれるものだが、この男もその臆病風にやられたのだなと心の中で苦笑しながら、
「さようか。
では、不肖この半助が、代刀をつかまつりましょう」
と、奉行にも告げて、刑吏の手から飾りのない無作りの大刀を受け取り、すぐにシャキッと鞘(さや)を払った。
小さな柄杓の水をサラサラと刃に流し、その雫(しずく)のしたたる切っ先を、まず右の端にいた者の目の前に突きつけて、
「忍剣ッ!」
と、大声で呼びかけた。
白い布で目をふさがれているお坊さん姿の者は、そのときハッと顔を上げ、肩を激しく揺すぶって、何やら無念そうに叫ぼうとしたが、
「徳川家に仇をなす者め、やがてあとから行く伊那丸の先駆けをしてこいッ!」
という半助の怒声にかき消されてしまった。それと同時に、カッと鋭く剣がひらめいた。
バサッ――と鮮やかな血しぶきが舞い上がった。
とたんに、うつぶせとなった死骸の斬り口から、まるで百匹千匹のミミズが這い出すようにドクドクと血が流れ出した。
矢来の外で息をのんで見つめていた群衆も、さすがに目をそむけ、手に冷たい汗をぎゅっと握りしめた。「木隠龍太郎ッ――」
続いて、そう叫ぶ声が響きました。恐ろしいものを見たいという好奇心から、恐る恐る目を向けてみると、袴の裾に返り血をつけた半助の姿がありました。彼はすさまじい切れ味を見せた大刀へ、再び手桶の水を注ぎ直すと、次の者へとズカリと歩み寄りました。
「龍太郎ッ! 覚悟はよいか? ――」
そう言って、光り輝く刃を振りかぶりました。
「覚悟? そんなものはないッ」
その叫び声が終わるか終わらないかのうちに、風を切る刃が斜めに振り下ろされ、白衣の全身が真っ赤に染まりました。
あとは伊那丸ひとりです。菊池半助は悠々とした様子で、三人目の成敗に取りかかろうとしていました。
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