それとも、あまりにも伊那丸さまの姿を血眼になって探しているせいで、気のせいなのだろうか……」
忍剣がひとりでぶつぶつとつぶやいていると、その鼻先へスーッと薄紫色の煙が流れてきました。「おや……」とヒョイと振り返ってみると、すぐ自分の後ろに、真っ白な服を着た男がタバコをふかしながら、忍剣の顔を見てニタリと笑っていました。
「こいつだ!」
と見て、忍剣もぐっとにらみつけました。
男は背中に笈(おい:旅僧が仏具や経巻を入れる箱)を背負った六部(ろくぶ:全国を巡礼する修行僧)です。
妖怪ではないに違いありません。
にらまれても落ち着いたもので、パチパチ、パチパチと二、三服吸うと、ポンと立木の横でキセルを叩き、挨拶もせずにまたスタスタと出かけていく様子です。
「待て、六部、待て!」
とあわてて立ち上がりましたが、もう彼の姿は、あたりにも先にも見えません。
忍剣はあきれ返りました。
世の中には奇怪なやつもいるものだと、ぼうぜんとしてしまいました。
疑心暗鬼とでも言うのでしょうか、状況が状況だけに、忍剣にはどうも今の六部の挙動が怪しく思えてなりません。
なんとなく伊那丸の身を闇に包んだのも、こいつの仕業ではないかと思うと、いま目の前にいたのを逃してしまったことが悔やまれてなりません。
「怪しい六部だ。
よし、どんな早足を持っていようとも、この忍剣の根気で、ひっとらえずにはおかぬぞ!」
と彼はまたも、一目散に駆け出しました。
月の裾野
並木が途切れたところからは、一望千里の裾野が見渡せます。
忍剣は、この方角とにらんだ道を、一念発揮して探していくと、やがて行く手に一宇(いちう)の六角堂が目につきました。
「おお、あれはいつの年か、このあたりで戦いがあったときに焼け残った文殊閣に違いない。
もしかすると、あの六部の隠れ家も、あそこかもしれないぞ……」
と勇み立って近づいていくと、はたして、崩れかけた文殊閣の石段の上に、白衣の六部が月でも眺めているのか、悠然とした顔をして腰掛けています。
「こりゃ六部、あれほど呼んだのに、なぜ待たなかったのだ!」
忍剣は今度こそ逃がさぬぞという構えで、その目の前にずっと立ちました。
「何かご用でござるか」
と、彼は知らぬ顔をして言いました。
「ああそうだ、問うべきことがあればこそ呼んだのだ。
年頃十四、五に見える若君を見失ったのだ。
知っていたら教えてくれ」
「知らない、ほかのところで聞いてくれ」
六部の答えは、まるで忍剣を愚弄しているようです。
「黙れッ、この裾野の夜更けに、尋ねる人間がいるか!
そういうお前の口ぶりこそ怪しい。正直に言わないと、これだぞッ!」
と、ぬっと鉄杖を鼻先に突きつけると、六部は軽くその先をつかんで、自分の腰の下へ敷いてしまいました。
「これッ、何をするのだ!」
忍剣は全身の力を振り絞って、それを引き抜こうと試みましたが、抜けるどころか、まるで大山に押さえつけられたかのように一寸の揺るぎもしません。
しかも、六部は平気な顔で、両膝に頬杖をついて笑っています。
「むっ……」
と忍剣は、総身の力を振り絞りました。
力にかけては怪童と言われ、恵林寺の大きな庭石を軽々と持ち上げて山門の階段を登った自分です。
「なにをッ、なにをッ」と、引いてもねじっても、鉄杖の方が曲がりそうになるだけで、六部の体は微動だにしません。
すると、ふいに六部が腰を浮かしました。
「あっ――」
思わず後ろへよろけた忍剣は、かっとなってその鉄杖を振りかぶるが早いか、磐石(ばんじゃく)をも粉々に砕けと打ち込みましたが、六部の姿はひらりとかわし、空を切った鉄杖の先が、はっしと石の粉を飛び散らせました。
「無念ッ!」と返す力で横ざまに払い上げた鉄杖を、ふたたびくぐり抜けた六部は、杖に仕込んである反りのない冷たい刀を、抜く手も見せず、ピカリと片手にひらめかせて、
「若僧、雲水(うんすい)」
と、錆を含んだ声で呼びました。
「なにッ!」
と持ち直した鉄杖を真っ向に振りかぶった忍剣は、怒気に燃えた目をみひらいて、ジリジリと相手の隙を狙い詰めました。
六部といえば、片手に伸ばした一刀を、肩から切先まで水平に構えて、忍剣の胸元へと、うす気味の悪い死の影を、ひら、ひら――とときおりひらめかせていきます――。
互いの息と息は、その一瞬、水のようにひそやかでした。
しかも、総身の毛穴から燃え立つ熱気は炎となって、いまにも双方の切先から火の輪を描きそうに見えます……。
突如、風を切って踊った銀の蛇が、忍剣の眉間へと飛びかかりました。
「おうッ!」
と叫び返した忍剣はそれを鉄杖で払い落としましたが、空を切って前のめりになったとたん、背後をとられ、六部はまたサッと斬り下ろしてきました。
その速さ、かわす間あらばこそ、忍剣も、ポンと後ろへ飛び退くよりほか術がありませんでした。
そして、踏みとどまるが早いか、ふたたび鉄杖を横構えに持つと、
「待て!」
と六部の声がかかりました。
「怯(ひる)んだかッ!」
と、叩き返すように忍剣が言いました。
「いや、後れは取らぬ。
しかし、きさまの鉄杖は珍しい。
いったいどこの何者だか聞かせてくれ」
「あてのない旅を続ける雲水の忍剣というものだ」「ところで、お前こそただの六部(ろくぶ)ではまいな」
「怪しいことなどみじんもない。ありふれた木遁(もくとん)の隠れ身の術で、ちょっとお前をからかってみたのさ」
「ふらちなやつめ! さては貴様、どこかの大の手先になって国中をうかがう、スパイだな!」
「バカを言うな。忍びの技に長けているからといって、みんながスパイとは限まい。このとおり、六部として世渡りをしている木隠龍太郎(こがくれりゅうたろう)という者だ。こう名乗ったところで聞いてくれが、さっきお前がたずねていた若君とは、いったい誰のことだ?」
「その口ぶりにいつわりはないようだから教えてやろう。実は、さる高貴なお方のお供をしているのだ」
「そうか。では、武田の御曹子(おんぞうし)だな……」
「なに、どうしてそれを知っているのだ!」
「恵林寺(えりんじ)の炎の中から逃げ出したと聞いて、遠くは飛騨や信濃の山中から、この富士の裾野の一帯まで、必死になって探し続けていたのだ。お前の話を聞いて、もうおいでになる場所が俺の目にはっきりと見えてきたぞ。この先は、伊那丸(いなまる)さまに力不足ながらこの六部がお供をするから、お前は安心してどこへでも立ち去るがいい」
忍剣(にんけん)はびっくり仰天しました。まったくこの六部の言うこと、なすことは、いちいち腑(ふ)に落ちません。そのうえ、自分を追い払って、伊那丸さまを独り占めで探し出そうという野心もあるようです。
「ふざけたことを言うな! 伊那丸さまはこの忍剣が命にかけてお守りしているんだ!」
「そのお守り役が、さらわれたことも知らずにいるとは笑わせるじゃないか。御曹子はもともと俺が探していたお方だ、もうお前に用はない!」
「言わせておけば、なんという無礼な言葉!」
「それほど言うなら、お前はお前で勝手に探すがいい。
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