見物客にまじってふらりとやってきた三人は、結局のところ、木の下にござでも敷いて一晩明かすほかなさそうでした。
三
登山口の手前にある御岳の宿場町も、明日から三日間続く山上の盛大な催しを見ようと、諸国や近郷からやってきた人々で埋め尽くされていました。どこの宿屋も人で溢れかえり、民家の軒先に戸板を並べて野宿する覚悟の人々が、あちこちに見受けられました。
カアーン、カアーン。
鉦(かね)を叩きながら歩く地蔵行者の姿がありました。
足でも痛めているのか、背中に笈(おい)を背負ったその行者は、右足を引きずっています。
少し歩いては休み、また少し歩いては休みして、
「カアーン、カアーン……」と、物乞いの鉦を寂しげに叩いています。
「まだ足の痛みはひどいのですか?」
そう言って、痛々しそうに行者の足元をのぞき込んだのは、道連れの女巡礼でした。彼女は坂東三十三ヶ所の札所を巡っている証(しるし)を背負った女房です。
「いや、もうたいしたことはないよ」
菊村宮内(きくむらくない)は寂しげに笑って言いました。
「おまえさんこそ、今日は随分と歩いたから、さぞかし疲れただろう。さっきから休み場所を探しているんだが、どうもひどい混雑でね……」
「ご心配なさらないでください。私は少しも疲れてなんておりません。……ああ、行者さま。昨日のことを思うと、世の中には本当にありがたい方がいらっしゃるものだと、涙がこぼれてきて仕方がないのです」
「何を言っているんだ。あれしきのことで」
「私の困りごとの身代わりになって、あの人足たちに打たれるやら蹴られるやら……それでも、あなたは手出しもせず、じっと我慢していらっしゃった。だから、とうとう気絶してしまわれたではありませんか」
「それでも死ななかったのは、お地蔵さまのお加護だよ」
「私の目には、あの時、あなたさまの背中に後光が差しているように見えました」
「とんでもない。私はただの、しがない凡人ですよ」
世の中に鬼ばかりではありません。今も二人が立ち話をしていたところ、ある民家の軒下から、
「もしもし、お地蔵さん、ここへ来て休んでいきなさいよ」
と、親切に声をかけてくれる人がいました。
「ありがとうございます」
二人は丁寧に頭を下げてその軒下へ入り、笈を下ろして温かいお茶をご馳走になりました。
そこでも、明日の御岳見物の話で持ちきりでした。しかし、雑談の端々で身の上を聞かれた女巡礼は、涙を浮かべてうつ向いてしまいました。
菊村宮内は、昨日たまたま阿弥陀街道の茶店で、この女房が悪人たちに絡まれているのを助けました。そこからここへ来るまでの道すがら、彼女の身の上話を聞いていたのです。
「私から申し上げるのは少々差し出がましいかもしれませんが、多くの方に知っていただいたほうが、この方のためにもなるでしょう。聞いている範囲でお話しいたしますが」
宮内は、人前では口をきけない巡礼の女房に代わって語り始めました。
「実はこの女は、甲州の水晶掘りの女房で、お時という者です。ある事情があって、一人離れ離れになってしまった子供を探し歩いているのです」
「へえ、子供をね……ふむ……それはかわいそうなことだ」
「どこかで生きていれば十四、五になる男の子です。幼い頃、伊勢参りの途中で迷子になってしまって。何の証拠もありませんが、たった一つだけ……」
「ふむ、ふむ」
その場の全員の視線が、お時と宮内に集まりました。
「――唯一の手がかりは、その子の背中に『お諏訪さまの禁厭(まじない)』として据えた、大きな虫刺されのような灸(きゅう)の跡があることだけなのです」
「なるほど、背中にお諏訪さまの灸の跡があれば、そのうちきっと見つかるでしょう。あの灸点は甲府の近郷で行われているもので、他の国ではあまり見かけない大きな灸だからね」
「まあ、気を落とさないでください」
「坂東三十三ヶ所を巡った功徳があれば、きっとすぐに見つかりますよ」
地元の人々の言葉は温かく、わずかなお金を出し合って施しをしたり、握り飯を分けてくれたりして二人を慰めていました。そうして話に花が咲き、誰もが油断していたその隙のことでした。
宮内にも何も言わず、巡礼のお時は軒下から走り出していました。
そして、人混みをかき分け、狭い宿場町の雑踏を縫うようにして駆けていきます。
「あの子じゃないかしら?」
お時は、前方を歩く一人の少年の背中を追いかけていたのでした。いつもなら、あとでがっかりすることになると分かっていても、ちょうど探し求めている年頃の少年を見ると、お時はどうしてもあとを追わずにはいられませんでした。
「あの子かしら?」
そう思うと、その顔も、死んだ夫に似ているように見えてきます。いまにもニッコリと振り返って、「あっ!お母さん!」と飛びついてくるのではないか、そんな気がしてならないのです。
「ああ、足が速い。なんて足が速い子なんだろう。ちょっとこっちを振り返って、わたしに横顔だけでも見せてくれればいいのに」
途中で待たせている菊村宮内のことを心配する気持ちも、今はすっかり忘れてしまっていました。
――そんなこととは知らずに先へ行くのは、十五、六歳くらいの大きな腕白小僧。
ピキ、ピッピキ、トッピキピー。
木の葉笛を唇に当てて、しきりに奇妙で風変わりな調子で大人をからかいながら歩いています。どこかへ買い物に行ってきたのか、片方の手には風呂敷包みを提げています。その風呂敷の存在すら忘れているかのように、ピキ、ピッピキ、トッピキピーと、木の葉笛を吹いて上機嫌です。
「ああ、あれが自分の子だったら、どんなにいいだろう」
お時も夢中で追いかけました。女の足では苦しいほど急いで、やっと後ろから追いつきかけたお時は、横へ回り込むように駆け抜けて、その少年の横顔を覗き込みました。
――見れば、あまり整った顔立ちではありません。少しばかり青っ鼻を垂らしかけています。
けれど、お時の目には、やっぱり死んだ夫に似ているように見えました。なんとかして話しかけてみたい。その気持ちに引きずられるように、また見え隠れしながらついて行きました。
「ちぇっ、ずいぶん距離があるな、宿から麓までは」
四つ角でそう言って、木の葉笛の吹きすぎで少し疲れたのか、頬の上から歯茎を揉んでいるところを見ると、それは鼻かけ卜斎(ぼくさい)のお供でこの御岳へ来て、昨晩から麓の小屋に泊まっている泣き虫の蛾次郎でした。
「そうだ……」
何がそうなのか、ひとりでコクンと頷いて、
「バカバカしいや。いまから帰ったって、また蛾次郎、足をもめ、腰をさすれと師匠に擂粉木(すりこぎ)みたいにこき使われて、かなったもんじゃない。どこかですこし、うまい道草はないかなあ」
ピキピッピッキ、トッピッピである。
そこで蛾次郎は四つ角をうろうろと回り、何か見世物小屋でもないかと、月ノ宮神社の境内へ入ろうとしました。
――と、蛾次郎はギョロリと目を据えて、
「いけねえ、また変なところでぶつかってしまったぞ」
急に尻尾を巻いたような様子で後ろへ戻ると、突然駆け足になってどこかへ姿を隠してしまいました。
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