そのお茶も僕が入れたんだから」と言いました。
照子は姉と顔を見合わせて、いたずらっぽくクスクスと笑いました。
それでも夫に対しては、わざとらしく何も言い返しませんでした。まもなく信子は、妹夫婦と一緒に晩ごはんの食卓を囲むことになりました。
照子の説明によると、お膳に並んだ卵はみんな、庭の鶏が産んだものだそうです。
俊吉は信子にワインを勧めながら、「人間の生活なんて、結局は奪い合いで成り立っているんだよ。小さいところでは、この卵から始まってね」などと、社会主義者みたいな理屈を並べ立てました。
そのくせ、今ここにいる三人の中で、誰よりも一番卵に愛着を持っているのは、間違いなく俊吉本人でした。
照子はそれが面白くてたまらないといった様子で、子供のように無邪気な笑い声を上げました。
信子はそんな食卓の明るい空気の中でも、遠く離れた松林の中にある、あの寂しい茶の間の夕暮れをどうしても思い出さずにはいられませんでした。
食後の果物をみんなで平らげても、話は尽きることがありませんでした。
少しお酒が入っていい気分になった俊吉は、夜の長い時間を照らす電灯の下であぐらをかき、得意の「屁理屈(へりくつ)」をたくさん披露しました。
その勢いのあるおしゃべりが、信子の心をもう一度、若々しく刺激しました。
彼女は熱っぽい目で、「私も小説を書き始めようかしら」と言いました。
すると従兄の俊吉は、返事をする代わりに、フランスの作家グウルモンの有名な言葉をポンと投げかけました。
それは、「ミューズ(芸術の女神)たちは女だから、彼女たちを自由に虜にできるのは、男だけだ」という言葉でした。
信子と照子は二人で結託して、「そんなの認めないわ!」と反論しました。
「じゃあ、女だったら音楽家にはなれないっていうの? アポロ(音楽の神様)だって男じゃない!」と、照子は真面目な顔で言い返しました。
そうこうしているうちに夜も更け、信子は結局、そのまま泊まっていくことになりました。
寝る前に俊吉は、縁側の雨戸を一枚開けると、寝間着のまま狭い庭へ降りていきました。
そして誰を呼ぶでもなく、「ちょっと出てごらん。いい月だから」と声をかけました。
信子は一人で彼を追いかけ、沓脱石(くつぬぎいし)に置いてある庭下駄に足を入れました。
素足で履いた下駄の感触に、冷たい夜露の湿り気を感じました。
月は、庭の隅にある枯れかけた檜(ひのき)の木の梢(こずえ)にかかっていました。
従兄はその檜の下に立ち、うっすらと明るい夜空をじっと眺めていました。
「ずいぶん草が生えているのね」
信子は荒れた庭を少し気味悪く思いながら、おそるおそる彼のいるほうへ歩み寄りました。
しかし彼は空を見上げたまま、「十三夜かな」とつぶやいただけでした。
しばらく静かな時間が流れたあと、俊吉はゆっくりと視線を戻して、「鶏小屋をのぞいてみようか」と言いました。
信子は黙ってうなずきました。
鶏小屋はちょうど檜とは反対側の、庭の隅にありました。
二人は肩を並べながら、ゆっくりとその場所まで歩いていきました。
しかし、むしろで囲われた中には、鶏のにおいと、ぼんやりとした光と影があるだけでした。
俊吉はその小屋をのぞき込んで、独り言のように「寝ているよ」と彼女にささやきました。
(卵を人間に取られてしまった鶏たちが……)
信子は草むらに立ったまま、そう考えずにはいられませんでした。
二人が庭から戻ってくると、照子は夫の机の前で、電灯をぼんやりと眺めていました。
青い羽虫が一匹だけ、ランプの傘に這い回っている電灯を。
翌朝、俊吉は一番いいスーツを着て、朝食のあとに玄関へ向かいました。
亡くなった友人の一周忌のお墓参りに行くのだそうです。
「いいかい、待っているんだぜ。お昼頃までにはきっと帰ってくるから」
彼はコートを羽織りながら、信子にそう念を押しました。
しかし信子は、華奢な手に彼の中折れ帽子を持ったまま、ただ黙って微笑むだけでした。
照子は夫を見送ると、姉を長火鉢の向こう側に招いて、甲斐甲斐しくお茶を淹れてくれました。
近所の奥さんの話や、訪問してきた記者の話、それから俊吉と見に行った外国の歌劇団の話など、楽しい話題はまだまだたくさんあるようでした。
けれど、信子の心はどこか沈んでいました。
ふと気づくと、自分は適当な相槌ばかり打っていました。
それがついに、照子の目にも留まってしまったようです。
妹は心配そうに姉の顔をのぞき込み、「どうしたの?」と尋ねてくれました。
しかし、信子自身にも、どうしてそんな気持ちになるのか、はっきりとした理由は分かりませんでした。
柱時計が十時を打ったとき、信子はだるそうな目で時計を見上げて、「俊さんは、なかなか帰ってきそうにないわね」と言いました。
照子も姉の言葉に合わせて時計を見上げましたが、意外にもあっさりと「まだねえ」とだけ答えました。
信子には、その言葉の中に、夫との生活に十分に満たされている新妻の余裕があるような気がしました。
そう思うと、ますます彼女の気持ちは憂鬱(ゆううつ)なほうへ傾いてしまいました。
「照さんは幸せね」
信子は顎(あご)を襟元に埋めながら、冗談っぽく言いました。
けれど、言葉の端々に自然と混じってしまう、切実な羨ましさの響きまでは隠すことができませんでした。
照子は無邪気な様子で、相変わらずキラキラした笑顔を浮かべながら、「覚えていてくださいよ!」と姉を睨む真似をしました。
そしてすぐに、「お姉様だって幸せなくせに」と甘えるように付け加えました。
その言葉が、ピシリと信子の心に刺さりました。
彼女は少しだけ顔を上げて、「そう思っているの?」と問い返しました。
問い返した直後、すぐに後悔しました。
照子は一瞬、不思議そうな顔をして姉と目を見合わせました。
その顔には、同じように隠しきれない後悔の色が浮かんでいました。信子は無理をして微笑みました。
「そう思ってもらえるだけでも、幸せなことね」
二人の間に、沈黙が訪れました。
柱時計が時を刻む音の下で、二人は長火鉢の鉄瓶がシュンシュンと沸騰する音を、聞くともなくじっと聞き入っていました。
「でも、お兄様は優しくしてくださらないの?」
やがて照子は小さな声で、おそるおそるそう尋ねました。
その声には、明らかに姉をかわいそうに思う響きが混じっていました。けれど、この時の信子の心は、同情されることを何よりも強く拒絶したい気分でした。彼女は新聞を膝の上に乗せたまま、そこに視線を落として、わざと何も答えませんでした。
新聞には、大阪と同じように、米の値段が上がっているというニュースが載っていました。
その静かな茶の間の中で、かすかに誰かが泣く気配がしました。
信子は新聞から目を離し、袖を顔に当てて泣いている妹を、長火鉢の向こう側に見つけました。
「泣かなくたっていいのよ」
姉にそう慰められても、照子はなかなか泣き止もうとしませんでした。
信子は、妹の震える肩を眺めながら、どこか残酷な喜びを感じていました。それから、女中に聞かれないように気を配りながら、照子の方へ顔を向けて、低い声でこう言い続けました。
「もし私が悪かったら、謝るわ。
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