初級翻訳・煙草と悪魔 第2話

煙草と悪魔

見ると、紫の花が咲き乱れる畑の柵の中で、黒い僧服にツバの広い帽子をかぶった、南蛮から来た修道士(イルマン)が、一生懸命に葉についた虫を取っています。
牛商人は、その花があまりに珍しいので、思わず足を止め、笠を脱いで丁寧に修道士に声をかけました。
「もし、お上人様(しょうにんさま)、その花は何という名前でございますか?」
修道士は振り返りました。
鼻が低く、目が小さく、いかにも人の良さそうな西洋人です。
「これですか?」
「さようでございます」
西洋人は畑の柵にもたれかかりながら、首を振りました。そして、慣れない日本語で言いました。
「この名前だけは、残念ですが人には教えられません」
「はてな、すると、フランシスコ様が『言ってはならない』とでもおっしゃったのでございますか?」
「いいえ、そうではありません」
「では、一つ教えていただけませんか。手前も近ごろは、フランシスコ様の教えを受けて、この通りキリスト教に帰依(きえ)しておりますので」
牛商人は、得意そうに自分の胸を指さしました。
見ると、なるほど、小さな真鍮(しんちゅう)の十字架が、日に輝きながら首にかかっています。
すると、それが眩(まぶ)しかったのか、修道士は少し顔をしかめて下を見ましたが、すぐにまた、先ほどよりも人懐っこい調子で、冗談とも本気ともつかない口調で言いました。
「それでもいけませんよ。これは私の国の決まりで、人に話してはならないことになっているのです。それより、あなたが自分で当ててごらんなさい。日本の人は賢いから、きっと当たります。当たったら、この畑に生えているものを、みんなあなたにあげましょう」
牛商人は、修道士が自分をからかっているのだと思ったのでしょう。
彼は日に焼けた顔に微笑を浮かべながら、わざと大げさに小首をかしげました。
「何でございますかな。どうも、すぐには分かりかねますが」
「なに、今日でなくてもいいのです。三日の間に、よく考えておいでなさい。誰かに聞いてきてもかまいません。当たったら、これをみんなあげます。この他にも、珍しい酒をあげましょう。それとも、美しい絵をあげましょうか?」
牛商人は、相手があまりに熱心なので驚いたようです。
「では、当たらなかったら、どういたしましょう?」
修道士は帽子を少し斜めにかぶり直しながら、手を振って笑いました。
牛商人が少し意外に思うほど、鋭く、まるでカラスのような声で笑ったのです。
「当たらなかったら、私があなたから何かをもらいます。賭けです。当たるか、当たらないかの賭けです。当たったら、これを全部あげますから」
そう言いながら、西洋人はいつの間にか、また人懐っこい声に戻っていました。
「よろしいでしょう。では私も奮発して、何でもおっしゃるものを差し上げましょう」
「何でもくれるのですか? その牛でも?」
「これでよろしければ、今でも差し上げますよ」
牛商人は笑いながら、黄色い牛の額をなでました。
彼はどこまでも、これを人の良い修道士の冗談だと思っているようです。
「その代わり、私が勝ったら、その花の咲く草をいただきますよ」
「よろしい。よろしい」では、確かな約束ですね。
――確かに、お約束いたしました。
主イエス・キリストの御名にかけて、お誓い申し上げます。
修道士(イルマン)はこれを聞くと、小さな目をキラキラと輝かせ、二、三度満足そうに鼻を鳴らしました。
それから左手を腰にあて、少し体を反らせながら、右手で紫の花をさわり、こう言いました。
――では、もし名前を当てられなかったら……あなたの体と魂を、私がいただきますよ。
そう言いながら、その赤毛の男は大きく右手を振り回して、帽子を脱ぎました。
もじゃもじゃした髪の毛の間からは、なんと山羊のような角が二本、ニョキリと生えていたのです。
牛商人は思わず顔色を変え、手に持っていた笠を地面に落としてしまいました。
日が陰ったせいでしょうか、畑の花や葉が、一瞬にしてあざやかな色を失いました。
牛でさえ、何かに怯えたのか、角を低くして、地鳴りのような声で唸っています。
……
――私とした約束でも、約束は約束ですよ。
私が名前を言えないものを指して、あなたは誓ったのでしょう。
忘れてはいけませんよ。
期限は三日です。
では、さようなら。
人をバカにしたような、わざとらしいほど丁寧な調子でそう言いながら、悪魔は牛商人に深くおじぎをしました。

*      *      *

牛商人は、うっかり悪魔の術中にハマってしまったことを後悔しました。
このままでは、結局あの「悪魔」につかまって、体も魂も「消えることのない地獄の業火」で焼かれてしまいます。
それでは、せっかく今までの信仰を捨てて、洗礼を受けた甲斐がありません。
とはいえ、主イエス・キリストの名で誓った以上、一度した約束を破ることはできません。
もちろん、フランシスコ様がいればなんとかなるかもしれませんが、あいにく今は旅に出ていて留守なのです。
そこで彼は三日間、夜も眠らずに、悪魔の企みを打ち破る方法を考えました。
それにはどうしても、あの植物の名前を知る以外に方法がありません。
しかし、フランシスコ様でさえ知らない名前を、一体誰が知っているというのでしょう。
……
牛商人は、ついに約束の期限が切れる夜、またあの黄色い牛を連れて、こっそりと修道士の住む家のそばへ忍び寄りました。
家は畑と並んで、通りに面しています。
行ってみると、もう修道士も寝静まったのか、窓から漏れる明かりもありません。
月は出ていますが、ぼんやりと曇った夜で、ひっそりとした畑のあちこちでは、あの紫の花が心細そうに、薄暗い中でほのかに揺れています。
もともと牛商人は、確証はないものの、ある作戦を思いついてここまでやって来たのですが、この静まり返った景色を見ると、なんだか怖くなってきて、このまま帰ってしまおうかとも思いました。
特に、あの戸の向こうには、山羊のような角を持つ先生が、地獄の夢でも見ているのかと思うと、せっかく張り詰めていた勇気も意気地なくくじけてしまいます。
ですが、体と魂を「悪魔」の手に渡すことを思えば、弱音を吐いている場合ではありません。
そこで牛商人は、聖母マリア様の加護を願いながら、思い切って計画を実行しました。
計画というのは、他でもありません。
――連れてきた黄色い牛の綱を解き、お尻を強く叩いて、例の畑へ勢いよく追い込んだのです。
牛は打たれたお尻の痛さに跳ね上がりながら、柵を破って畑をめちゃくちゃに踏み荒らしました。
角を家の壁板にぶつけることも、一度や二度ではありません。
その上、蹄の音と鳴き声が、薄い夜の霧を震わせて、恐ろしいほど四方に響き渡りました。
すると、窓の戸を開けて顔を出したものがあります。
暗くて顔は見えませんが、修道士に化けた悪魔に違いありません。
気のせいか、頭の角は夜目にもはっきりと見えました。
――この畜生め、なぜ俺のタバコ畑を荒らすんだ!
悪魔は手を振りながら、眠たそうな声でそう怒鳴りました。
寝入りばなを邪魔されたのが、よほど腹に据えかねたのでしょう。

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