初級翻訳・純情狸 第2話

佐藤 垢石

名は小みどりといい、三味線、笛、太鼓はもちろんのこと、芸事全般に精を出し、本を読むことでも人には負けません。
その上、美しい容姿はまるで薔薇の花にも勝ると言われていたのですから、大したものです。

翌朝、小みどりが庭下駄を突っかけて花壇へ花を折りに出ると、塀の近くに何か丸まった紙が落ちているのが目に入りました。
拾ってシワを伸ばしてみると、そこには詩が書かれているではありませんか。
詩の内容を読み解くと、「まだ姿を見たことはないけれど、唄の主であるあなたをずっと恋い慕っている」ともとれるような、情熱的なものでした。
仙公狸の方はまだ小みどりの姿を見たことがありませんでしたが、小みどりの方は、仙公が朝夕に庭先を散歩しながら本を読んでいる姿を、障子の隙間から何度もこっそりと覗き見たことがあったのです。
自分が毎晩の宴席で接待している酒飲みの男たちとは、まるで人種が違うほど人品が良く、気品があります。
自分もいずれはこの卑しい稼業をやめて、人間らしく堂々と結婚しなければならないのですが、もし婿を選ぶのなら、隣に下宿しているような学生がいい。
そんなことを時折考えていた矢先の出来事でした。
詩を読み終えると、小みどりは自分でも驚くほど心臓が激しく脈打つのを感じました。
そこで、この機会を逃してはならないと考え、小みどりは仙公の詩の韻を踏み、自分のありったけの想いを詩に表現しました。
そしてその日の夕方、それを白紙に書いて、仙公の部屋の廊下へと投げ入れたのです。

仙公がそれを拾って読んだのは、言うまでもありません。
(これは、わが輩の想像以上に大した娘だ。これと結婚して、しかもわが輩の妖気を見破られなかったら、儲けものだ)
(全国の狸界に君臨しても、誰も文句を挟めない日が必ず来るだろう。もし看破られて天秤棒で追い回されたとしても、尻尾を巻いて故郷の水沢観音の床下へ逃げ込めばそれでいい。大して損はないのだから)

二、三日過ぎた夜の初め頃、仙公が低い声で詩を吟じながら塀のあたりをぶらついていると、それを聞きつけた小みどりが庭へと走り出てきました。
「やあやあ、お隣のお嬢さんですか」
「あら、お嬢さんなんて、恥ずかしいわ」
仙公はそのまま、小みどりを自分の部屋へ招き入れました。
小みどりは、まだおぼこであるとはいえ、宴席に侍るのが仕事ですから、世間知らずの娘とは違って、それほど人怖じはしません。
招かれるままに、仙公の部屋へと上がったのです。
「貴女の詩は、大したものですなあ。女の人でこれだけ詠めるなんて、本当に凄い」
「あら、お恥ずかしい……あなたこそ」
「私、すっかり魅せられてしまいましたよ」
こうして二人は、それから親密に付き合うようになったのです。

ある日、小みどりは仙公を訪ねてきて、改めて真面目な顔で尋ねました。
「あなた、奥様はいらっしゃるのですか?」
出し抜けの質問に、仙公は答えました。
「冗談じゃありません。私はまだ学生ですよ。結婚なんて、ずっと先の話です」
「あら、嬉しい。でも、どうしてまだ結婚なさらないの?」
この質問に仙公は返答に窮しましたが、何とか言い繕いました。
「貴女のような美しい方と巡り合えればと思っているのですが、理想の人というものは、めったにいるものではありませんからねえ」
「あら、本当なのですか?」
心と心が通じ合うのは、まさにこの時でした。
そこで二人は固く一生添い遂げることを約束して別れました。

仙公狸は有頂天になりました。
(いよいよ、わが計画も緒についたわけか。まずこれを親友の※に報告して、彼を喜ばせてやらねばなるまい)
そう考えた仙公は、一両日休学して水沢の九十九谷へと走っていきました。
「※さん、いるかい?」
「いるよ」
目を丸くし、大きなお尻を振りながら、※は穴の奥から入口の方へ出てきました。
「久しぶりだね。あまり便りがないから、ことによると貴公、人間に尻尾を押さえられて打ち殺されたんじゃないかと思って、ここ四、五日はカラスの鳴き声を聞くたびに心配していたのだよ。まあ、元気な顔を見られてよかった。入れ、入れ」
「とんでもない、私はすこぶる元気だぞ」めったなことでは、尻尾を出して正体を見せるような仙公じゃない――。
安心してくれ。
そうか、そうでなくては叶わん。
ところで、貴公の青年ぶりはとても立派なものだな、あか抜けていて垢抜けている。
さもありなん。
先祖から伝わる不思議な力を心得ている上に、近ごろは人間さまと深く付き合っているのだから、この山の中にいる連中とは、見た目もだいぶ変わってくるだろうさ。
それで今日は貴公に報告して、喜んでもらいたいことができたので、わざわざ学校を休んでやってきたんだ。
ほう、なんだね。
というのは、このごろわが輩に恋人ができたんだ。
そうか、それはおめでたい、してみると、賑やかな厩橋(うまやばし)の城下の真ん中にも、狸の雌が棲んでいるらしいのか?
いやいや、狸じゃない、人間さまの雌だ。
そうか、まあそうだろうな。
おれはこの二、三日夢見が悪いが、さてはそれだな。
夢見が悪いとは変なことを言うけれど、相手はぞっこんわが輩を慕っているのだ。
もう幾千代もかけての契りまで結んだのだぞ。
鼻毛が長い(うぬぼれが強い)ぞ。
これでわが輩の長い間のもくろみも、その意を達する機会が到来したわけだが、兄弟、喜んでくれまいかね。
まあ、結構だろう。
だがね、随分と用心してくれよ、相手は人間だ。
わが輩の手腕と力量を信用してくれ。

以上、友に相談したところ、あえて強く反対するほどでもなかったので、厩橋の下宿へ戻り、小みどりの母へ縁談を持ち込んだ。
母は、まだ相手が学生であるという理由から、最初のうちは反対したけれど、愛しい娘が病の床に伏したまま起き上がらないのを見て、ついに同意した。
しかし条件があった。
それは、家の事情で、あと一、二年は稼業を続けさせてほしいということ。
暮らし向きに余裕ができしだい、婿さんに引き取ってもらうことにするから、というのである。

さて、瀧川一益の家臣に、吉野雀右衛門と呼ぶ分別盛りの武士があった。
厩橋の市中を取り締まる役目についているのだけれど、雀右衛門という男は、この頃の政府の役人のように権力を振りかざして、賄賂を人々から巻き上げるのを常習としていた。
そして、酒癖がひどく悪い。
宴席での口論から、同僚を傷つけたこともあった。
当時は戦国で世の中が乱れていたから、権力を振りかざすことや、少しばかりの収賄については、藩主もこれをとがめる暇がなかった。
特に一益は女も好きだし酒も好きだったので、人の酒の上の失敗については深い理解を持っていた。
酒の上の過ちなど、聞かなかったふりをしていたのだ。
だが、いかに乱世とはいえ、同僚を傷つけたのはただ事ではない。
これを黙って見ていたのでは家中の示しがつかないという事態となり、雀右衛門は厩橋城から追い出されそうになったのである。

どうしたものだろう、何かうまい知恵はないものか。
雀右衛門は、自分の部下を呼んで相談し、悩み苦しむ様子はまことに哀れであった。
雀右衛門の部下というのは、小知恵が回る男であった。

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