初級翻訳・海豚と河豚 第3話

佐藤 垢石

これを友人たち数人と道玄坂の割烹店へ持ち込みましたが、残念なことに、あの船で食べたような調理の旨味を再現することはできませんでした。
最近、大阪へ旅行した際に有名な新町の鯨料理屋へ行って食べてみましたが、ここの水炊きと醤油漬けはさすがに美味しかった。
瓦斯ビル裏の鯨料理には、あまり感心しませんでした。
キャッチャーボートは、この月末に母船と共に、巨鯨を狙って南極の海へ出発するそうです。
その船長たちが二、三日前に東京へ来て会食した際、来年の四月に日本へ帰ってくるときには、南氷洋の雄鯨の睾丸と甲状腺、そして雌鯨の腰肉を塩漬けにして持ってくると約束してくれました。
それを食べたら、来年の夏は随分と元気が出ることでしょう。

五

 河豚(ふぐ)の魔力のような美味しさに、陶酔する季節がやってきました。
もっとも、河豚の毒にあたって天国へ行ってしまっては元も子もありませんが、そう滅多に中毒するものではないので安心です。
日本の近海には三十数種類の河豚がいるそうです。
そのうちナゴヤフグ(コサイフグ)、メアカ、トラフグ、コガネフグ、ギンフグ、キタマクラ、カゴメフグなどが一般的に知られています。
私たちが料理屋で食べるのはトラフグ、ナゴヤフグ、世間ではキンフグと呼ばれているコガネフグですが、メアカやキタマクラ、カゴメは猛毒の持ち主で、食べれば大抵は極楽行きです。
ナゴヤフグという名前の由来は、「身の終わり(死)」だから名古屋とこじつけたのだと言う人もいますが、それは当てになりません。
ナゴヤフグに中毒した人は、昔から珍しいからです。
キタマクラは名前が示す通り、一度食べたら北枕に寝かされることを覚悟しなければならない、という危ない代物です。
一番人々に歓迎されるのはトラフグで、水揚げもたくさんあります。味が上等で、門司ではこれを「紋河豚」と呼び、皮膚にざらざらとした刺があって、二貫目(約7.5キログラム)以上にまで育ちます。味の点では「黄金河豚」が圧倒的です。しかし、魚体が小さく百匁(約375グラム)くらいより大きくならないうえ、獲れる時期が非常に短いので惜しまれています。虎河豚のように皮膚に刺はなく、肌に黄金色の艶があるのが特徴です。「銀河豚」も、なかなかおいしいものです。これも黄金河豚と同じく、皮膚に刺はありません。

名古屋河豚は、関東では主に「小斎河豚」と呼ばれています。河豚料理にまだあまり理解がなかった江戸時代から、東京では場末の縄暖簾(大衆的な居酒屋)でもこの小斎河豚を売っていました。それほど、小斎河豚の味は広く知れ渡っているのです。ですが、味は決して格別とは言えません。河豚の中では、一番風味に乏しいと言ってよいでしょう。やはり皮膚に刺がなく、大きなものになると二貫目以上に育ちます。市中の小料理屋で「鉄砲鍋」や「小斎鍋」と言って売っているのがこれで、毒が少ないため、これならば命に別状はありません。昔、江戸っ子が「河豚なんてうまくねえ」と貶していたのは、安全なものとしてこの味の劣る小斎ばかりを選んできたからだと思います。

河豚は、海釣りの外道として釣り人からは仇のように憎まれています。それもそのはずでしょう。上あごと下あごに生えている一枚歯は、まるでノコギリのように力強く、カミソリのように鋭いのです。この歯に噛まれたら、どんなに太い釣り糸であっても、一噛みでプツリと切られてしまいます。鯛釣り漁師は、丹精を込めて繋いだ百尋(約180メートル)もの長い釣り糸を、時々河豚に切られてしまうので、「河豚にかかったら泣いても泣ききれない」とこぼすほどです。だから釣り人は河豚が釣れると憎しみのあまり、骨も砕けよとばかりに渾身の力で船の舷や岩角へ叩きつけるのですが、河豚は腹をふくらませるだけで、けろりとしています。皮膚が硬いので、いくら強く叩きつけられても怪我ひとつしません。むしろ、目をぱちぱちさせてこちらを眺めています。魚の中で、まばたきをするのは河豚と、どんこ沙魚(ハゼ)ぐらいのものでしょう。

六

近年、東京の市中に河豚料理屋がだいぶ増えました。そのうち一流の河豚料理屋というものは、一両年前まで「手前どもでは本場の下関から材料を取り寄せています」と大ぼらを吹いたものですが、今日ではそんな言葉に騙される人はまずいないでしょう。

瀬戸内海では、下関方面から広島、九州の中津沖、徳山湾で獲れたものが有名です。広島近くでは宮島や江田島、大阪近くでは播州の家島群島の中の鞍掛島、太島、宇和島、加島など、また淡路島の福良から由良へかけての荒い瀬戸、紀淡海峡などのものが「本格もの」とされています。けれど、東京近くにも立派な河豚が獲れる海がいくらでもあるのです。

東京湾内の三浦半島の野島と房総半島の木更津、そして第二海堡を繋ぐ線の上には、一之瀬、二之瀬、三之瀬という釣り場があります。これらを総称して「中之瀬」と呼びますが、ここには素敵に河豚が沢山いて、種類も多く味もいいのです。それから三浦半島の鴨居沖や、三崎の湾口。房総半島では、大貫、湊、竹岡、金谷、勝山、館山などで獲れる河豚は、どこへ出しても関西ものに勝るとも劣っていません。

また、相模灘へ出れば網代沖から伊東方面、下田から伊豆半島の南端長津呂の牛ヶ瀬、神子元島のまわりへ行けば、澄んだ海の中層に三、四尾ずつ繋がり合って泳いでいるのを見かけます。ですが残念ながら、外海の河豚は波が荒い場所で育つため、肉の質が粗く味が落ちます。東京湾内のものに比べると、あまり推奨はできません。

こんなわけで、いわゆる食通と言われる連中が「下関の河豚だ」と信じきって舌なめずりしている河豚は、大抵が東京湾内から集まってきたものを食べているのです。このごろではかえって東京から関西方面へ荷が回っているくらいですから、世の中というのは妙なものです。

まずは、河豚通になろうと思えば、横浜の宝来町の河豚屋へ行って、そこの料理場を見せてもらってから食べてみるといいでしょう。ここのなら、本当に確かです。

河豚の毒を「テトロドトキシン」と言うのは誰でも知っていますが、この毒は呼吸中枢を麻痺させるため、人間が死んでしまっても二、三十分間は心臓が動いていることがあります。そして目もぱちぱちしているそうです。河豚が岸角へ叩きつけられたときと同じような風采だといいます。

この猛毒が一番多量に含まれているのは、河豚の胸びれの下の皮膚についている寄生虫です。これを「蝶々」と呼んでいます。河豚の皮膚と同じ灰色で、大きさは犬のダニくらいしかありません。一匹の蝶々を鶏に与えると、その場で死んでしまうくらいの猛毒の持ち主です。ですから河豚料理のうち、皮はよほど注意しないと間違いが起こりやすいのです。

次に、雌河豚の卵巣もいけません。卵巣のことは一般に「マコ」と言っています。薄墨色をしていて肝臓と間違いやすく、もしこれを食べれば即死です。けれど、これは婦人病には特効があるというので、日陰干しにして売っているところもあります。味はカラスミに似てそれ以上であるといいますから、酒の肴には絶好の品なのでしょうけれど、恐ろしくて恐ろしくて仕方がありません。

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