初級翻訳・純情狸 第3話

佐藤 垢石

「吉野さん、そう心配しなくてもよい、わしに考えがあります」
「よき考えがあるか、助けてくれ」
「殿様が好色であることは、藩の中で誰もが知らぬ者はいません。そこで、領内から見目よい女を二、三人探し出し、それを殿様に献上すれば、免職どころの話ではありません。かえって禄高が増すかもしれませんよ」
「まことに、壺にはまった名案だわい。貴殿が、それに叶う美女を探してくれまいか」
「合点承知!」

町奉行を勤める雀右衛門とその部下が、大勢の家来や隠密などを動員して、権力を盾にして領内を捜すのであるから、それほど骨の折れる仕事ではない。
この美女捜しの隊から、一番に白羽の矢を立てられたのは、厩橋花街の華と謳われる小みどりである。
まことにこれは当然の成り行きであった。
部下は雀右衛門に言った。
「身の代金は、百両も与えたらよいでしょう」
「そうか、なるべく安いのがよろしい。ところで、わずかに百両でわが輩の首がつながると思えば、大した負担でもない」

小みどりの母に、奉行所から娘を差し出すよう指令が届いた。
仙公狸は、すぐにこれを伝え聞いて、仰天したのである。
自分が不思議な力を発揮して美人に化け、小みどりの身代わりとなって奉行所へ生贄として出向いても構わないが、化けの皮を剥がれたときのことも考えておかなければならない。
いかに狸界の重鎮である自分とはいえ、相手が武士では始末に負えない。
かといって、みすみす小みどりを奉行所に奪われてしまえば、恋の破滅だ。
「時勢に応じた考えはないものか」と、仙公は長いため息をついて、尻尾で畳を打った。
母の嘆きは、それ以上だ。
次第によっては、老いた母が娘の身代わりにもなりたいが、このしわくちゃな顔では話にならない。
娘と手を取り合って泣き暮らしたのである。
人の嘆きなどお構いなしに、部下は者どもに命じ、小みどりを駕籠(かご)に押し込めて、奉行所へ連れて行ってしまった。
逃げ出す恐れがあるというので、雀右衛門は小みどりを離れの一間に軟禁した。そして瀧川一益の機嫌をうかがい、これを献上して自分の首を救うことはもちろん、あわよくば出世まで夢見て、部下たちと祝杯をあげました。
ですが、運悪く一益は、日頃のあまりの女好きがたたって体調を崩しており、近ごろは家臣の多くに面会しないということでした。
それならば、殿のご病気が全快するのを待って、吉報を待つより他に方法はありません。
それまでの間に、うっかりミスをしてせっかくの美女を傷つけてはいけないというので、離れの一間の警戒は、より一層厳重になっていきました。

仙公は、恋人を奪われてからというもの、もう何日も経っていました。
もう我慢ができなくなってきたのです。やつれきって、見るからに痛々しい男姿になってしまいました。狸とはいえ、恋には純情なのです。隙があれば小みどりを盗み出そうと企てました。
毎晩、先祖から伝わる不思議な力を使って、奉行所の離れの庭先へ忍び込み、小みどりの様子をうかがっていました。しかし、武士たちの見回りが厳しく、なかなかその一室へ近づくことはできません。
石灯籠の影に身を隠し、頭を長く伸ばし、丸く縁取った目をキョロキョロさせて、懸命に心を焦がしていました。

「怪しいやつめ、推参!」
一人の武士が大きな声で叫ぶと、刀をひっつかんだ五、六人の逞しい武士たちが駆けつけ、佐々木彦三郎(仙公が化けていた姿)を取り囲み、あっという間に縛り上げてしまいました。
「近ごろ、なんとなくこの屋敷に怪しい気配がすると思っていたが、こいつの仕業か」
「わしも、夜になると妙なにおいが邸内に漂うと思っていたが、これだったのか。あの小みどりの恋人という若者は」
「それそれ、今晩はわれらの手柄だ。これから一杯いけるというものだ」
「もう少し厳しく締め上げろ。絶対に逃がすな」
そうして奉行所の白州(裁判の場)へと引き立てられました。

吉野雀右衛門は、これまでの経緯をすべて聞き、部下と共に白州の正面に座ると、激しい口調で訊問を始めました。しかし、どんなに責めても怪しい男は一言も口を開きません。
「拷問にかけろ!」
それは、まるで当時の取り調べ室の光景そのものでした。
怪しい男の膝の上に重い大谷石を乗せ、係の役人が太い棒で背中を滅多打ちにしました。ところが、最後の一打が当たりどころが悪かったようです。
「うっ!」
と一言唸ると、怪しい男はあっけなくグニャリと崩れ落ち、横倒しになってしまいました。
同時に、息が止まったようです。
「こら役人、少し打ち方が激しすぎたぞ」
「はい、ですが水をかければすぐに息を吹き返します」
手桶から柄杓で頭に水をかけた途端、十重二十重に縛られたままの怪しい若者は、子牛ほども大きい立派な大狸の姿に化けてしまいました。
実に、思いがけない出来事です。
「うへっ!」
武士たちは顔色を変えて後ろへ飛び退きました。雀右衛門の手は刀の柄に伸びました。
「奇っ怪な変化だ」
雀右衛門はおそるおそる白州へ降りてきて、その古狸を蹴ってみましたが、やはり狸です。狸特有の大きな金玉が、股の間からダラリと垂れ下がっていました。
人間が狸を恋人にするなんて、昔から聞いたこともありません。
「ひょっとすると、あの小みどりも雌狸かもしれないぞ。逃がすな、捕らえろ!」
吉野の命令で、武士たちは離れ座敷へ駆けつけ、泣き叫ぶ小みどりを厳しく縛り上げました。

「妖怪変化は、そのまま葬っては幽霊となってまた戻ってくる恐れがある。まず皮を剥いで取っておき、死体は油をかけて焼いてしまえ、者ども!」
仙公狸の死体を白州から庭へ引きずり出し、上から木切れを積み上げ、油をかけて火を放ちました。自ら望んだこととはいえ、人間を恋したばかりに、何とも哀れな狸の最期でした。
やがて積み上げた木切れも焼け落ち、油も燃え尽きてから灰をかき分けてみると、狸の肉も骨もすっかり灰になっていました。
ですが、灰の中に何かフニャフニャしたものが残っています。
不思議に思って一人の武士がそれを棒でかき出し、目を近づけて見ると、狸の肝のようです。
庭下駄で蹴ってみました。
すると、フニャフニャとぬるぬるした肝の中から、妙なものが飛び出しました。蝋燭の火を近づけて眺めると、なんと人間の形をしているではありませんか。
大きさは親指の頭ほどです。雀右衛門はそれを水で洗わせました。
付いていた汚れが落ちると、それは黄金色にキラキラと輝き出しました。恐る恐る指で触れると、その感触は金属のようで、宝石のように硬いのです。
衣類から足袋、顔の形から眉や髪に至るまで、小みどりの美しい姿にそっくりそのままです。あまりの珍しさに雀右衛門は、それを掌に乗せて目を見開いたまま、しばらく言葉を失いました。
しかし、すぐに我に返り、こう言いました。
「古今未曾有の怪事だ。あの雌狸をここへ連れてこい。一刻も早く、あれも殺してしまえ」

夜中から始まった仙公騒動だったため、もう夜明けが近くなっていました。
やがて、東の空がうっすらと淡い色に染まり始めました。
小みどりを同じ白州へ引き据えました。友禅模様のまばゆいばかりに華やかな着物と、緋色の縮緬の長襦袢が、縛られた姿の裾からこぼれんばかりです。

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