初級翻訳・良寛物語 手毬と鉢の子 第16話

新美 南吉

悪い人間でしたけれど、人間が人間の手で、あんなふうに処刑してしまっていいのでしょうか。可哀そうで……あまりにも、ひどすぎます」
「そうだな。だが、世の中にはいろいろなことがあるものだ。良いこともあれば、悪いこともある」
「いくら良いことがあったとしても、一方でこんなにひどいことがあるなんて、どうしても我慢ができません」
「お前さんのような人には、世の中の悪いことだけが、ひときわ大きく強く見えてしまうのだろうな。わしもそうだった。わしが若かった頃も……」
「私は、どうしたらいいのでしょう」
「まあ、お茶を飲みなさい。わしが今、その者のために心経を供養して差し上げよう」

 二人は立ち上がって本堂へ行きました。和尚さんは仏様に明かりを供えると、その前の座につきました。栄蔵は賽銭箱の前の冷たい畳の上に座りました。和尚さんは太く、なめらかな声でお経を読み始めました。栄蔵は目を閉じて、心の中でつぶやきました。

――みんなが、あなたにあんなひどいことをしました。どうぞ許してください。私にはどうすることもできませんでした。みんなを止めようにも、私のような無力な者には、どうしようもなかったのです。許してください。誰が悪いのでもありません。みんなが悪いのではありません。私たちには、自分が何をしているのか、それがよく分かっていないのです……。

 外では風が悲しい声を立てていました。非業の死を遂げた者の魂が、帰る場所を失って訴えているかのように、栄蔵には感じられました。和尚さんは力のこもった太い声でお経を読み続けました。和尚さんは、意味の分からないお経の言葉を通して、悲しみに叫んでいる荒野の魂を、一心に鎮めようとしているようでした。

 和尚さんの声は、風の音に負けませんでした。風がどんなにお堂のあたりでわめいても、和尚さんの声はびくともせず、続きました。だんだんと風の音は遠ざかっていきました。まるで、子守歌に心地よく揺られて、眠りに誘われていく子供のように。

――静かなところに帰っていきなさい。安らかに帰っていきなさい――

 栄蔵はそう祈りました。すると、栄蔵の心もいくぶん鎮まりました。お経が終わると、二人はまた庫裏(くり)の炉端へ戻ってきました。

「お願いがあるのですが、聞いていただけますか」
 栄蔵は姿勢を正して言いました。
「何かな?」
「私も僧にしてください。ここに置いてください」
「ほほう」
 和尚さんは目を丸くしました。
「お前さんは今日、あまりに激しく心を動かされたので、気が動転しているのだよ。一時の感動に駆られて、そういったことを言う人がよくいるが、そんなことでは禅坊主の修行には、とても耐えられないぞ」
「一時の感動ではありません。私は前から、僧になりたいと思っていたのです」
「それはまた、どうして?」
「私のような愚か者には、名主の職は満足に務められないのです。私はこの職についていることが、苦痛でたまりません」
「みんなから崇められる名主の職がいやだというのは、一体どういうわけかな」
「こういうことがありました。代官さまと出雲崎の百姓たちが、あることで争いを起こしたのです」
「うん、少しはわしの耳にも入っていたな。この春の時期のことだったろう」
「はい。私が父から名主の職を受け継いで間もない頃でした。名主は代官さまと百姓たちの間に立って、争いをなだめる役目です。私はまず百姓たちを家へ呼んで、その言い分をすっかり聞きました。百姓たちは、代官さまがどういうやり方で自分たちを苦しめるのか、一つ一つ事細かに話してくれたのです」
「うん、それで?」
「そこで今度は、代官さまのところへ行きました。そして百姓たちが言ったことを、一から十まで、少しも言葉を飾らずにそのまま代官さまに伝えました」
「いやはや。……うむ、それから?」
「代官さまは、かんかんになって怒りました。そして百姓たちのいけない点を、ひどい言葉でなじったのです。私は百姓たちのところへ帰ると、代官さまが仰ったことを、そのまま伝えました」
「それでは、百姓たちも怒っただろう」
「その通りです。代官など生意気だ、あの屋敷を焼き払ってやる、などと言い出しましたので、私は手を合わせんばかりにして、ようやくみんなをなだめました。しかし、代官さまと百姓たちの仲は一向によくならず、ますます悪くなっていきました」
「そりゃ、もっともなことだのう」「わたしは代官さまに呼びつけられ、ひどく叱られました。
きさまのような馬鹿な奴は、今まで見たことがないとまで仰いました。
そんな仲裁の仕方があるかと、厳しく言われたのです。
私が家に帰ってきて、父にそのことを話しましたら、父も呆れて私を叱りました。
お前があまりに本当のことばかり言うからいけないのだ、と父は申しました」

「ふむ」

「私はあのとき、嘘をつくべきだったのです。
百姓たちにはうまいことを言ってなだめすかし、代官さまの前では、百姓たちのことを悪く言って、代官さまのご機嫌をとるようにすればよかったのです。
そうするべきだったのです。
ですが、私にはそれができません。
私は本当のことが好きなのです。
嘘は嫌いなのです」

「嘘が、か。
ふむ、わしもそうだった。
わしも、嘘が言えなかったのだよ」

「そう考えてみると、世の中には本当に嘘やへつらいが沢山あります。
世の中は、嘘やへつらいがないと一日も過ごせないように見受けられます。
世の中が一つの大きな車の輪だとしたら、嘘やへつらいはそれを滑らかに回すための油のように思えてくるのです」

「そうとばかりも言えんがのう」

 和尚さんは、この一生懸命に話す若者を、いとおしむように優しく見守りながら、言いたいだけ言わせてやりました。

「それから、こんなこともありました。
つい二月ほど前、佐渡奉行さまが江戸からやって来て、出雲崎に泊まられました。
私は名主ですから、宿や船のことなど、いろいろとお世話をしなければなりませんでした」

「うん、うん」

「佐渡奉行さまは、柄の長い立派な駕籠で来られました。
その駕籠を船で佐渡ヶ島まで運ぶのだと仰いました。
ところが船頭たちが申すには、あのような長い柄は邪魔になって、とても船には載せられない、あれを載せられるような船は出雲崎はおろか、近辺どこを探してもないのだそうです」

「ふむ、困ったことだのう」

「いいえ、私は困りませんでした。
長すぎるのなら、その柄をいいだけ切ってしまえと命じました。
ただの柄なのですから、切ったところで差し支えないと思ったのです」

「なるほど、それも一つの案だな。
しかし、佐渡奉行は喜ばなかったのだろう?」

「仰せの通りです。
ひどく怒られました。
名主の職を、きさまの家から取り上げてやるとまで言って怒られたのです。
ですが、私にはなぜ佐渡奉行さまが怒られたのか、わけが分かりませんでした。
奉行さまといえば、下々の者をいたわるお役目に違いありません。
下々の苦しみを救ってやらねばならないはずです。
駕籠の柄が長すぎて船頭たちが困っているのなら、黙ってはいられないはずでしょう。
そこで、私が気を利かせて柄を切らせたのです。
柄はまた後から付け直すこともできるはずですから。

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