せっかくの機会ですから、娘さんたちに三帰(さんき=仏様の教えを受け継ぐ誓い)を授けてあげましょう。私が唱える通りに、みなさんも手を合わせて唱えなさい」
「それがいい、それがいい!」
円通さんも大賛成しました。
まるでキツネにばかされたかのようなポカンとした顔で顔を見合わせたご主人とお姉さんたちでしたが、二人の和尚さんをくるりと囲むように丸く座り、胸の前でキュッと手を合わせました。
座敷の中は、しーんと静まりかえりました。
夕方の涼しい風が吹き抜けてきたのか、青いすだれがゆらゆらと揺れています。
水をまいてすっきりとしたお庭には、黒っぽい味わいのある鞍馬石(くらまいし)がバランスよく置かれ、その脇には可憐で青々とした若い竹が丁寧に植えられています。
ここが大人の遊び場である色町だとはとても思えないほど、澄みきった静かな時間が流れていきます。
木々の向こうにある離れの部屋から、もう別のお客さんが来ているらしく、上品でうっとりするような歌声が聞こえてきます。
「渡りくらべて世の中見れば 阿波の鳴門(なると)に波もなし〜」
一方、こちらの部屋では、法眼さんの渋くてさわやかな声でお経が唱え始められました。
「なむ きえ ぶつ……(仏様に心からお仕えします)」
「なむ きえ ほう……(仏様の教えに心からお仕えします)」
「なむ きえ そう……(仏様の弟子たちの決まりに心からお仕えします)」
その言葉を素直に真似して口々に唱えているうちに、若い女の人たちは、心の底から今まで味わったこともないような、温かくて明るく、じーんと胸に染み入る気持ちになっていきました。自然と合わせている手にもギュッと力が入り、「あれあれ、なんで涙が出てくるんだろう?」と自分でも不思議に思うほど、温かくて心地よい涙がぽろぽろと目頭をぬらしていくのでした。
「なむ きえ ぶつ……」
「なむ きえ ほう……」
「なむ きえ そう……」
みんなで何度も何度も、その言葉を繰り返しました。
新しく汲み替えられて、まるで透明な水晶のように澄み切った手水鉢(ちょうずばち)の水には、空に出た青い三日月が綺麗に映っていました。
それが終わると、二人の和尚さんは言いました。
「さて、そろそろ帰るとしよう。ご主人、お会計はいくらですか?」
「いいえ! お坊様がたからお金をいただくなんて、とてもできません!」
「ホホウ! それはなんともご親切でありがたいことですな!」
こうして、清らかな心を持った二人の和尚さんは、泊まっていたお寺へと帰っていきました。
そして、すっかり大満足で、茶屋を見学したときの話を若いお弟子のお坊さんたちにドヤ顔で聞かせてあげました。さらに、こんな感想まで付け加えたのです。
「なるほど、茶屋という場所は本当に素晴らしいところじゃな! 若いお坊さんたちが行きたがるのも当然だ。みんなとても礼儀正しく、最高のごちそうを出してくれて、しかもお金すら取らないのだからな! あそこなら、みんなも遠慮せずどんどん行きなさい!」
若いお坊さんたちは、本当の茶屋がどんな遊び場なのかをちゃんと知っていたので、この純粋すぎる和尚さん二人の「茶屋探検レポート」を聞いてからは、なんだかすっかり申し訳なくなってしまって、こっそり茶屋へ遊びに行くのを完全にやめてしまったのでした。
一方その頃、祇園にある四郎兵衛さんの茶屋では、働いているお姉さんたちが顔を寄せてウワサ話をしていました。
「にあのおじいさん和尚さんたちは、なんてすごい心を持っているお人なんだろう。ほんの短い時間だったのに、私たちの心をあんなにじーんと温かい気持ちにさせてくれるなんて……。私たちは今までたくさんの男の人と恋をしてきたけれど、どんな恋人と一緒にいた時だって、あんなに素晴らしい気持ちになれたことなんて一度もなかったわね」
コメント