初級翻訳・親鳥子鳥 第18話

佐々木 邦

寿命は、結局のところ『ものが食えるか、食えないか』で決まるんだ」
 と、大男はさらに持論を主張して間もなく電車を降りていきましたが、きっと若い部下を牛肉屋に引っ張っていったに違いありません。

「初老」とは四十歳の別の呼び方であると覚えています。
こんな難しい熟語が入学試験に出ないとも限らないので、僕は念のために辞書を引いてみたら、果然その通りでした。
しかし、「初老」の詳しい中身に至っては、もっと研究が必要です。
あんなに急にトイレが近くなったり白髪が生えたりするのは、いくらなんでも少し大げさではないかと感じられました。

うちのお父さんは、その「初老」を過ぎて、まさに「厄年(やくどし)」にあたります。
日本人は年齢を苦労の節目にするせいか、年ごとの別称がものすごくたくさんあります。
とにかくこの歳が四十二の本厄(ほんやく)、去年の四十一が前厄(ぜんやく)、一昨年が初老、というふうに続いているのです。
あまりめでたい年回りではありません。
「あなた、今年は厄年ですから、特に気をつけてくださいよ」
とお母さんも心配しているので、ひょっとするとさっきの大男の主張通り、四十の声を聞くというのはそれなりに体に影響があるのかもしれません。
他人事ではないと思った僕は、「初老」の実態に深い興味を持ち、お父さんの日頃の言動を注意深く観察し始めることにしました。

手始めに、「ものが食えるか食えないか」という根本的な問題から確かめてみるのが一番の近道だと考えてそれとなく様子をうかがってみましたが、お父さんはもともと食べ物にあまり執着がありません。
味がまずければ文句を言うけれど、うまければ黙って食べています。
お母さんとしては、なんだか張り合いがないそうです。
いつまでたってもはっきりしないので、僕はとある日、思い切って尋ねてみました。
「お父さん、厄年になると、やっぱり体になにか影響があるものなの?」
「なんだい?」
この素朴な質問に対して、お父さんが急に僕をギロッと睨みつけたのは、まったく予想外の出来事でした。
「厄年って……」
「そんな不吉な言葉を使うもんじゃない。
お鶴、お前がよくないぞ。
お前は子どもにそんな迷信を吹き込むつもりか?」
「吹き込んだりなんてしませんけれど、昔から四十二は厄年じゃありませんか?」
とお母さんは、思いがけないとばっちりを受けてしまいました。
「お前は去年一年中『厄年だ厄年だ』と言い続けたね。
今年も言っている。
来年もまた言うつもりだろう?」
「だって実際に厄年なんだから、仕方ないじゃありませんか!」
「いくら教えても全然わからないんだな。
そんな調子で子どもの教育ができると思っているのかい?」
とお父さんは呆れ返ったように言いました。
「あなたは何でもかんでも一概に迷信と決めつけますが、それではかえって教育によくありませんわ。
この間だっておばあさんが、しゃっくりが止まるようにお箸をまたいでからお湯を飲みとおっしゃったら、浩二は『そんなの迷信だよ』ってハッキリ言い返しましたよ」
「それは浩二の言うことが正しい。
しゃっくりは箸をまたいで飲まなくても止まる。
深呼吸をしたって止まるさ」
「だけど、お年寄りの機嫌が露骨に悪くなるじゃありませんか?」
「それはそれ、別問題さ。
お年寄りの機嫌を損ねないように、別の方法で教えればいいんだよ」
「それじゃあ二度手間じゃありませんか」
「教育なんて、どうせ手間がかかるものさ」
とお父さんは少し言葉に詰まりました。
「厄年が迷信かどうかも大きな問題ですわ。
私、お医者さまにもお伺いしてみたんですが、やっぱり厄年は本当にあるそうですよ」
「医者がそんな馬鹿なことを言うものか」
「いいえ、おっしゃいましたよ」
「いったい誰がそんなことを言ったんだ?」
「佐久間さんがおっしゃいました」
「あの馬鹿なら、そんなことを言いかねないな」
「それならどうして、子どもが病気の時に佐久間先生をお呼びになるんですか?」
「小児科の腕がいいから呼んでいるんだ。
馬鹿なやつでも、将棋だけはアマ五段の腕前を持つ男だまりからね」
「体の健康に関することですから、お医者さまのおっしゃることは大いに参考になりますわ。
厄年は、ちょうど体に大きな変化が起きる年頃に当たるそうですよ。
そこさえ無事に通り過ぎれば、あとは六十年配までは大丈夫なんだから、やっぱり用心するに越したことはないとおっしゃっていましたわ」
「前厄、本厄、後厄と、三年も網を張って待ち構えていれば、そりゃあ何か病気も引っかかるさ。
いっそチブスになってやろうか」
「こっちは本気で心配しているのに、あなたは変なことばかり言って!」
とお母さんはすっかりムキになりました。
僕は、よりによってこんな面倒な話題を持ち出してしまったと後悔しながらも、
「お父さん、初老なら迷信じゃないでしょう?」
と、話題を軌道修正しようと尋ね直しました。
「初老ならいいさ。
その初老がどうしたっていうんだ?」
とお父さんはまだ少し怒っていました。
「初老になると、やっぱり体に何か影響が出るものなの?」
「ほらご覧なさい、子どもまであなたのお体を心配しているじゃありませんか」
とお母さんはすかさず切り込みました。
「一向に影響なんかないね。
だけど、世間の馬鹿どもは、迷信的に何かあると思い込んでいるんだ」
とお父さんは僕をクッションにしてお母さんへ言い返しました。
「憎らしい口をきく人ね」
とお母さんは心底悔しそうに言いました。
「まあまあ、二人とも黙って聞きなさい。
医者に言わせれば、人間の体は二十五歳で完全に成熟するという。
しかし俺に言わせれば、人間の『精神』は四十でようやく成熟するんだ。
孔子が『四十にして惑わず(不惑)』と言ったのは、案外いいところを突いていると感心している。
俺はこれからが本番だ。
最近は特にそれを強く実感して、みなぎるような元気を感じているんだ。
厄年だの初老だのと、不景気なことばかり言って水を差すんじゃない!」
「……安心しました」
とお父さんの迫力に押され、僕はおとなしく頭を下げるほかありませんでした。こんな機嫌の悪いときには、関わらないのが一番だ。
孔子さまでさえ同僚扱いしてしまうお父さんだから、うっかり口を出そうものなら盛大に叱り飛ばされてしまう。
ところが、その翌日の夜のことだった。
お父さんはいつになく茶の間の長火鉢の側にどっしりと腰を据え、しきりにタバコをふかしながら、
「お鶴や、俺は大発見をしたよ」
 と大きなため息をついた。
「何があったんですか?」
 とお母さんはまるで待ち構えていたかのようにすぐさま尋ねた。
「左の耳が悪くなった」
「まあ? 痛むんですの?」
「いや、痛みは何もないんだが、よく聞こえないんだよ」
「耳がおかしくなっていらっしゃるんじゃないですか? 耳鳴りがするんじゃありませんの?」
「いや、どうやら聴力だけの問題らしい。
さっき帰ってきて二階に上がる時、階段の途中で時計を落しちゃったんだよ。
『しまった!』と思って左耳に近づけてみたら、確かに時計の音が止まっている。

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