初級翻訳・親鳥子鳥 第21話

佐々木 邦

でも、お前が行かなければ文一さんも行けないんでしょう?」
「そうなんだ」
「まあいいでしょう、文一さんと一緒ならね。他のお友達と出かけちゃダメですよ」
 とお母さんは快く承知してくれる。
同じ頃、文一君は文一君で、こんなふうに立ち回っていた。
「お母さん、大内君は僕と一緒ならいいけれど、他の友達と遊ぶと家で叱られちゃうんだってさ」
 とお母さんに取り入っている。
「それはお隣同士でよく事情が分かっているからねえ。お前も他の人とはあんまり深く付き合わないほうがいいよ」
 と文一君のお母さんも異議はない。
「うん、大丈夫だよ。でもお母さん、大内君は今から映画に行くんだって。門のところで僕を待っているんだ」
「源太郎さんが行くからって、お前まで行ってはいけませんよ。お母さんがあとでお父さんに叱られちゃうんだからね」
「それじゃあ僕、断ってくるよ。でもさ、僕が行かなければ大内君も映画に行けなくなっちゃうんだよ」
「約束でもしたの?」
「ううん、大内君のお母さんは、僕となら一緒に行っていいって言ってくれたんだ」
「そうなの? それなら仕方がないから、お前も一緒に行ってきなさい。でも、何度も行ってはダメですよ」
「いってきまーす!」
 と、文一君もなんとかかんとかお母さんの許可をもらってくるのだ。
僕たちは正々堂々をモットーにしている。
親に隠れてこっそり映画を見に行ったりはしない。
僕は級長で、片山君は副級長だから、自然とクラスの同級生たちの模範にならなければならないと思って自分を引き締めているのだ。
この相互援助の作戦は、学校で学ぶ外交の知恵をうまく利用したものである。
例えば、運動会の前日などは、どうしても勉強に身が入らなくなる。
みんな「一時間だけでもいいから授業を休みたい!」という本能がむくむくと湧き上がってくる。
そんなとき、級長と副級長の自分たちだけが「まじめに勉強しましょう」と主張するのは、人情としてちょっとやりづらい。
みんなに迷惑をかけるような悪いことでない限り、クラスの多数決の意見には従わなければならないのだ。
「頼むよ、大内君!」
「片山、頼むから先生に言ってくれよ!」
「大内、なんとかしてくれ!」
 と、級友たちが四方八方から僕たちを励まし、後押しする。
そこで僕は片山君とこっそり相談して、恐る恐る教員室へと出頭する。
「先生」
 と吉岡先生の顔色をうかがいつつ、
「今日は、久保田先生が三時間目の授業を休んでくださるということなので、吉岡先生も四時間目を……」
 と言葉を濁す。
真っ赤な嘘をついているわけではないけれど、完全に本当の理由でもないので何だか申し訳ない気持ちになる。
「授業を休んでほしいっていう頼みかい?」
 と、先生も学生時代に同じようなことをやったと見えて、僕たちの企みをちゃっかり見抜いている。
「はい。少しみんなで練習しないと、他のクラスに負けちゃうんです」
 これは正真正銘の事実だから、後ろめたさは微塵もない。
「よし、久保田先生が休むなら、俺も授業を休んでやろう!」
 と、吉岡先生は快く引き受けてくれる。
少し厳しいところもあるけれど、話のよく分かる先生なのだ。
もう一方の片山君は、教員室の反対側の隅で、まさに久保田先生を捕まえて交渉している。
両方の先生に同時に交渉しているのがバレたら面白くない。
「先生、四時間目に吉岡先生が授業を休んでくださることになったので、先生も三時間目を休んでいただけませんか? みんなで練習しないと、他の組に勝てないんです」
「よしよし、吉岡先生が休むなら、僕も休んであげよう!」大にやり給え」
 と久保田先生も快く休んでくれる。
先生は大学を卒業したばかりだから、学生たちの気持ちによく共感してくれるのだ。
つまり、こんなふうに両方の先生から「いいよ」と言ってもらえれば、最初にちょっぴりついた嘘も、最後には本当のことに変わってしまう。
学校という場所は、お勉強を教えてもらうだけのところじゃないと、校長先生だっても言っている。
僕たちは教科書のお勉強だけでなく、こういう社会に出たときの外交やかけひきの修行もしているのだ。
これは女学校でも同じみたいで、現に僕の妹の郁子は、
「お母さん、お正月には金紗(きんしゃ:上質な絹織物)の着物を一枚作って頂戴よ。
もう二年生なんだから、普通の銘仙(めいせん:普段着用の絹織物)じゃカルタ会に行けないわ」
 とお母さんにねだっている。
「二年生から金紗を着なきゃいけないっていう校則でもあるの?」
「そんなこともないけれど、奥村さんも島さんも作ってもらうんだもの。
私一人だけそんなの着ていたら、みんなの前で恥ずかしいわ」
「お友達が作ってもらうなら、お母さんだってあなたに負けたくないからね。
何でも作ってあげるわよ」
 とお母さんはすっかりその気になって引き受けてしまう。
もう一方の奥村さんは、
「お母さん、校長先生が何とおっしゃっても、みんなすごく贅沢をしているのよ。
大内さんも島さんも、もう金紗の着物を作ってもらったわ。
私、お正月が来てもカルタ会には出られないわよ」
 と言っているに違いない。
島さんも同じようにちょっとすねた顔をして、お母さんの気持ちを動かすのだ。
そしてお正月には、三人とも金紗の着物を全身にまとって、お友達の家へお年賀の挨拶に行ったり来たりする。
三人の家のお母さんたちも、それぞれ娘に新しい着物を作ってあげてよかったと思うのだ。
みんなで助け合う「相互援助法」って、意外と使い道が広くて役に立つ。
それはそれとして、僕と文一君は「断金の友(切っても切れない固い絆で結ばれた親友)」だ。
お互いに助け合っていろんな作戦を立てるだけでなく、いいこともいつも一緒にやっている。
文一君が僕の家へ勉強しにやって来ることもあれば、僕の方から予習をしに押しかけることもある。
文一君は数学が得意で、僕は英語が少しできる。
二人で力を合わせれば、どんな難しい試験問題だってすらすら解けるのだ。
「調子はどうだい?」
 と僕は文一君の家に上がり込む。
文一君の勉強部屋は、玄関のすぐ隣にある。
「全然ダメだよ」
 と文一君が返事をする。
一昨日の晩もそんな感じで、二人並んで数学の問題と格闘していた。
文一君のお父さんは、ビールを作ってみんなを酔っ払わせる会社を経営しているのだが、立派な言葉で世の中の人々の心を導く僕のお父さんよりも、はるかに厳格でまじめな人だった。
家庭のしつけがものすごく厳しいのだ。
だから文一君はいつもピリピリしている。
何事も口だけでなく「自分で実際にやってみせる」のがお父さんの主義だった。
夕方になって会社から帰ってくると、まず着物を着替えて奥の隠居部屋へ行き、
「勝之進、ただいま戻りました」
 と言って、おばあさまの前にきちんとひれ伏すのだそうだ。
まるで時代劇のお芝居を見ているようだと、うちの女中さんが言っていた。
だから文一君も、毎日本当に気が抜けない苦労が多い。
学校から帰ってきたときも、
「文一、ただいま戻りました」
 とお母さんの前でかしこまらなければならない。

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