初級翻訳・親鳥子鳥 第33話

佐々木 邦

「どうも病気とは縁が切れなくて困ります。
しかし、もうご心配はいりませんよ。
そうそう閣下、閣下のお顔を拝見して思い出しましたが、神沢閣下が亡くなられましたな? 先ほど夕刊で拝見しましてね」
「ははあ、そうですか。それはそれは……」「どういうご病気だったのですか?」
「ご存知なかったのですか? 脳出血ですよ」
「やっぱり、人間は死ぬじゃないですか」
とお父さんは、さっそく言い負かしたと言わんばかりに言いました。
佐久間先生を見送ってから夕刊を広げてみると、なるほど、正三位勲一等功三級……と、神沢さんが新聞の隅の黒枠の中で亡くなったことが載っていました。
「どれどれ。
ふうむ。
私とは確か同い年だったが、惜しいことをしたな」
とお祖父さんは、昔の戦友の姿を思い出しているようでした。
「お祖父さん、こちらにも出ていますよ」
と、僕はもう一枚の夕刊の小さくニュースが載っているコーナーの中で、「神沢中将の死去」という記事を見つけました。
「どれどれ」
とお祖父さんは奪い取るようにして一気に読み終えると、
「驚いたなあ。
あっという間に逝ってしまったんだね」
とつぶやいて、眼鏡越しに僕の顔を見つめました。
「神沢さんって、日外謡曲(にちがいようきょく)の会に出ていらっしゃった方でしょう?」
と、僕もこの将軍の立派な功績とともにその顔を覚えていました。
「そうだよ。
あの立派なおヒゲの武者だ。
さあ、私もこうしちゃいられない」
「お父さん、お悔やみに行かれるのですか?」
「そうだ」
「明日にしていただけませんか。
今夜は寒いんです。
これ以上風邪なんかひいたら大変ですよ」
とお父さんは、すっかり神経質になっていました。

*

節分のチョコレート

浩二は、数字のことが大好きです。
数えられるものは、何でも数えてみたがります。
はじめて算数を習った小学校一年生らしく、ものを数えるのが面白くてたまらないのです。
家中の畳の数や電車の数はもちろんのこと、障子の格子や天井の木の枠まで数えています。
とにかく数字に興味津々なのです。
この間、銀座へ行く途中に電車の故障があって止まってしまったとき、
「駄目だよ、前の電車がたくさん止まっているよ」
と僕が教えると、
「いくつ止まっているか数えてみよう」
と言って、二十一台もの電車が立ち往生していることを突き止めました。
同じものが並んでいると、必ず数えずにはいられません。
冗談でも数字に関係するクイズを出されると大喜びします。
「兄さん、スズメが十羽いるのを一羽鉄砲で撃ったら、何羽残るかな?」
などと言って、僕をひっかけようとしてきます。
こちらも答えは分かっていながら、
「それはもちろん九羽残るさ」
と答えてあげます。
すると、
「いいえ、一羽も残りませんよ。
鉄砲の音でみんな逃げちゃいますから」
と、すっかりお兄ちゃんを言い負かしたつもりで得意になっています。
しかし時には、浩二の質問に本気で返り討ちに遭うこともあります。
「お父さん、家の階段って全部で何段ある?」
と突然聞かれたとき、お父さんは、
「これは一本取られたよ」
と、すぐに降参しました。
普段は知った顔をしているお父さんでも、自分の家の階段の段数なんて数えていないものです。
「一番上を入れて十二段だよ」
と、浩二はしっかり数えていたのです。

さて、節分の晩のことです。お祖父さんが離れから茶の間に入ってきて、
「さあ、今年も無事に豆をまこうかね」
と、しみじみとした気持ちを口にしたとき、
「お祖父さん、家中の人の年齢を合わせると、二百八十七になるんだよ!」
と浩二が言いました。
今夜は大晦日ならぬ節分(年の変わり目)だと聞いて、パッと思いついたのです。
「二百八十七? そんなものかな」
とお祖父さんは、お祖母さんと二人だけでも百三十いくつになるのだから、もっと多いと思っていたようです。
「お蔦さんを入れたら三百八、絹子さんも入れれば十一人で、三百二十八になるわよ」
と、千代子もすっかり暗記してスラスラと答えました。
絹子さんはもうお多福風邪(おたふくかぜ)が治って、元の通りの美人に戻っていたのですが、まだ我が家に滞在していました。
すっかり東京が気に入ったようだし、どうせ将来は東京でお嫁に行かせるつもりだから、しばらく預かってほしいと、田舎のご両親からあとでお手紙を頼まれていたのです。
「詳しいねえ。
道理で、千代子と浩二はこの間、帳面を持って隠居のところへ戸籍調べに来たわけだ」
とお祖父さんは笑っていました。
「子供の病気騒ぎですっかり忘れていたけれど、お父さんは今年で七十になられるんでしたな?」
と、家族の年齢さえいつもはうろ覚えのお父さんが、珍しくど真ん中を言い当てました。
「そうさ。
昔から珍しいとされる年齢(古稀)までよくぞ漕ぎ着けたものだよ」
「お祝いのことを考えていたんです。
私くらいの歳になって、両親がどちらも揃っているなんて滅多にいませんよ。
子供の側から言っても、本当に珍しいことです」
「まあまあ、当分は大丈夫だろう」
とお祖父さんは、ひいおじいさんがもっと長生きだったから自分も大丈夫だと自信満々です。
「何よりですね。
一つ、季節のいい時に親戚一同を呼び集めて、盛大にお祝いをしましょう!」
「いや、まだ早いよ。
八十八(米寿)まではここに預かってもらおう。
その前に七十七(喜寿)もあるしね」
「その時はその時でまた考えますよ。
しかし、それも決して夢物語じゃありませんよ」
「さあ、どうだか。
八十八と言うと、浩二が大学を卒業してお嫁さんをもらう頃になるな」
「そんなになりますかねえ」
とお父さんは、そこまでは考えていませんでした。
「浩二が中学校に入る頃には私は七十五さ。
それぐらいまでは何とか行けそうだよ。
源太郎はそろそろ大学を卒業するし、
郁子は二十二になるから、もうお嫁に行ってひ孫の一人くらい生んでいるだろう。
敏子は二十歳で、お嫁の話が雨のように降ってくるな」
「オホホホホ、まるで目の前で見ているようですね」
とお母さんはこういう楽しいお話が大好きなので、黙っていられませんでした。
「ヒマだからねえ、おばあさんと二人でいつもそんな計算ばかり研究しているのさ」「時にもうそろそろ(豆を)まくかな?」
「今、おばあさんが炒(い)でいらっしゃいます」
「そうか。
毎年、節分には『来年も元気に豆をまきたいものだ』と思うのだが、七十の声を聞くようになると心細くなるものだな。
神沢くんのようなこともあるからね」
とお祖父さんは独りごとのようにつぶやいて、立ち去っていきました。
人間というものは、六十や七十になると若い頃の友人の多くがこの世とあの世の境を分けてしまうものです。
「古稀(こき)」という言葉は、争いようのない統計から生まれたものです。
つまり、それは生き残りを意味しているのです。
僕は、お祖父さんが年に数回、青山斎場へ出かけていくのを知っています。
日清・日露戦争の戦友たちが、次々と亡くなっていくのです。

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