人の命は若い時も年をとってからもいつ終わるか分からない(老少不定:ろうしょうふじょう)とはいうものの、概して元帥、大将、中将といった階級の高い古い順から訃報が届きます。
これは世の勢いとして仕方のないことです。
お祖父さんもそれをよく納得しています。
「大将閣下は弘化元年の生まれで八十二歳だったそうだから、お年に不足はない。
地位も家臣や人民としても極めるところまで極められたし、息子さんも将官になられているし、思い残すことはなかっただろう」
と言って、不満や文句は言いません。
自分と同じ少将であっても、
「あの男は確か俺より五つ六つ年上だな。
体が弱くて出世が早く止まってしまったが、そのぶん地上で大儲けをしている。
二、三年前に会った時もう骨と皮ばかりだった。
お金で自分の命を買っていたようなものさ」
と、きれいに諦めがつく場合もあります。
大将であっても少将であっても、先に生まれた者が先に死ぬのは当然のことです。
しかし時には、何かの手違いか、ずっと若い後輩がポックリと逝ってしまうこともあります。
そんな折には、
「四十五ぐらいでは若死にだが、こればかりはどうしようもない。
やはりそれまでの約束事(寿命)だったのだろう」
と言って、「老少不定」の理屈を役立てるのです。
こんな具合で、年上が死んでも年下が死んでも、それぞれにそれ相応の説明をつけて悟りを開いているのですが、自分と同年代の者が死ぬと、急に慌てふためき出します。
そういう人の葬式から帰ってきた時は、
「今度は俺の番かもしれないな」
と、まるで冗談のように仰るのです。
とりわけ先日の神沢中将は心を通わせた間柄だったから、お祖父さんにはものすごくこたえたようでした。
体が丈夫だとはいっても、年寄りは自分の先が見えています。
何事につけても、まるで急かされているような心持ちがするに違いありません。
僕は、お祖父さんやお祖母さんを観察していて、時には心細い思いをしているのだろうと察しています。
去年の秋、門のそばにあった椎(しい)の木が風で折れて、新しい木を植え替える必要が起きた折も、傍らで見ていると、つくづく老齢の寂しさを感じさせられました。
お祖父さんは早速、植木屋の親父を呼んで、
「どうかね? 今度は一つ思い切って大きいのを植えようと思うが、いい品物はあるかい?」
と相談したのです。
「ありますとも!
歌舞伎の『千本桜』に出てくる椎の木場(しのきば)にも負けないような立派なやつを持って参りますよ」
「大きい分には、いくら大きくてもいいぞ」
「かしこまりました。
旦那、植木屋の商売は御隠居さんを相手にするに限りますよ」
と親父は喜びました。
「なぜかね?」
「若い若旦那なら、中くらいの品をご注文なさいますからね。
若い方々は鋳掛屋(いかけや)の天秤棒みたいに、先(将来)が長うございますからな。
ところが旦那さまや手前どもになりますと、もう『一番勝負』でございます。
後がありませんからね」
「なるほど」
「三年や五年と、木がのんびり伸びるのを待っちゃいられませんものね」
「いかにもそうだな。
ところで、このじいさんはいくつになるね?」
「安政五年の午(うま)年で、六十九になります」
「ふうむ、それじゃ俺の方が上か? 俺は巳(み)年の七十だ」
「ほら、ご覧なさい。
旦那の方がお年寄りじゃありませんか。
大きいのを植えようか、小さいので間に合わせようかという時、こちら側から申せば、十両の儲けになるか一両削られるかという時、お年寄りがノコノコと出て来てくだされば、もうこっちのもの(占めたもの)です。
金に糸目はつけませんや。
盆栽にしてもそうですよ。
お年寄にはいいものを高く押し付けるんです。
それで忰(せがれ)にもよく教えてありますが、『御隠居さんをおびき出すことだ』、これが植木屋の世渡りのコツですよ」
「上手いことを言う。
よしよし、それじゃ一つそのおだてに乗って、うんと太い奴を植えようじゃないか」
とお祖父さんは、庭の椎の木一本をとっても、自分自身の残された命の短さや長さを感じ取っていたのでした。
それ以来、僕は年寄りに「死」という言葉をなるべく連想させまいと、子供心にも、及ばずながら努めています。
年齢の言い方も、大いに繰り上げるようにしました。
よそのお年寄りの噂が出てきて、
「もう六十七だそうです」
と今までなら言うところを、
「まだ六十七だそうです」
と言い換えるのです。
「もう六十七」では、もう先がないように聞こえます。
しかし「まだ六十七」なら、未だ前途遼遠であるかのように受け取れます。
ほんのちょっとした違いだけれど、感じ方は大分違うものです。
よく見ていると、お父さんもこれを心がけているようでした。
お父さんに初老(中年)の時期がやって来て間もない頃、頭に白髪がポツポツと目立ち始めました。
負け惜しみの強いお父さんは、
「なに、これは若白髪だ」
と理屈をつけてごまかしていましたが、最近は再び頭髪が真っ黒に戻っています。
「あなた、うまく健康になられたと見えて、白髪がすっかり引っ込みましたわね」
とお母さんが不思議がったほどでした。
「頭の毛が引っ込んで、体の中に溜まるものか。
これにはちゃと細工があるんだよ」
とお父さんは笑っていました。「髪を染めていらっしゃるんですか?」
「いや、まだ染めるほどでもないから、黒いポマード(黒チック)を塗っているんだよ」
「そんなものがあるんですか?」
「あるとも。デパートの松屋で売っているんだ。当分はあれでごまかせるさ」
「そんなものを塗ってまで、お若く見せたいものなんですかね?」
「いや、これは親孝行なのさ。俺の頭が真っ白になると、お父さんやお母さんは自分たちが年をとったことをしみじみと感じてしまう。だから、いつまでも黒く見せておくのさ。親を老け込ませないための、せめてもの工夫というわけさ」
「へえ、それは立派な親孝行でございますね。モダンなカフェなんかに行ってもお若く見えるでしょうから、一石二鳥で自然と気合も入るってものですね」
とお母さんはからかった。
すっかり話が横道にそれて年寄りについての話になってしまったが、大晦日の夜ということで許していただきたい。
さて、居間から戻ってきたお祖父さんは、すぐに羽織袴(はおりばかま)の正装に着替え、一升枡(いっしょうます)の中に豆をいっぱい入れてやってきた。
浩二は盆提灯(ぼんちょうちん)を持って案内役をつとめている。
これがやりたくて、指折り数えて待ちわびていたのだ。
妹たちはみんな立ち上がった。
「絹子さん、あなたも豆を拾いなさいよ」
と敏子が勧めたが、
「私、見物させていただきますわ」
と絹子さんは辞退した。
お年頃の上品な女性が、まさか座敷に腹ばいになって豆を拾い集めるわけにもいかないだろう。
「玄関からまこうかな?」
とお祖父さんは一同を見回した。
「提灯持ちは先に行きなさい」
と促されて、浩二が玄関の障子をぱっと開け放った。
「鬼は外!」
と、軍隊で鍛えたよく通る太い声が、あたりに大きく響き渡ったその瞬間、すりガラスの格子の外でドサリと大きな音がして、番犬のブルがワンと唸った。
初級翻訳・親鳥子鳥 第34話
佐々木 邦
コメント