序文
『論語』という本は、「天の書」であると同時に「地の書」でもあります。
孔子は、一生をかけてこつこつと地上の道を歩きながら、天の言葉を語るようになった人でした。
天の言葉を語ってはいましたが、彼には特別な神秘さも、不思議な奇蹟もありませんでした。
いわば彼は、人間の「地の声」をもって、天の言葉を語った人なのです。
彼の弟子たちもまた、先生にならって天の言葉を語ろうとしました。
しかし、彼らの多くは、結局のところ人間の「地の言葉」しか語ることができませんでした。
中には、天のすばらしい響きをもって地の言葉を語ろうとする、見栄や嘘さえもあえてする者がいました。
そこに彼らの弱さがあります。
そしてこの弱さは、私たち人間がみんな共通して持っている弱さでもあるのです。
私たちは、孔子の放つ天の言葉によって教えられると同時に、弟子たちの泥くさい地の言葉によって、自分自身を深く反省させられることが多いのです。
こうした『論語』の中にある言葉を、本を読み終えたときの熱い感動のままに、それぞれ小さな物語に仕立ててみたい――これが本書を書いた目的です。
もちろん、孔子の持つ天の言葉の意味を、間違いなく完璧に伝えることは、人間くさい私には不可能です。
しかし、弟子たちの言葉を掘り起こし、そこに私自身の弱さや醜さを見つけ出すことは、決して不可能ではないだろうと思うのです。
この物語の中で、孔子の弟子たちは、二千数百年前の昔の中国人としてではなく、私たちのまわりにいくらでもいる普通の人間として描かれています。
そのため、歴史上の人物としての彼らの性格は、ひどく歪められ、傷つけられているかもしれません。
この点については、大昔の求道者たちに対して、深く深くおわびをしなければなりません。
しかし、『論語』がただの歴史の記録ではなく、人間の「心の書」であり、いつの時代もどこにいても、人類の胸の中で生き続けるべきものであるならば――私たちが現代人の意識をもってそれを読み、現代人の心理で人間の心を解剖し、自分自身の姿をその中に見出そうと努めることは、決して『論語』そのものに対する失礼にはならないと信じています。
『論語』にある四百九十九の章のうち、本書に引用したものは百三十章です。
しかし、これらの言葉が、いつ、どこで、どんな事情のもとで語られたものなのかを正確に伝えることは、この本の目的ではありません。
本書では、ある一つの言葉を中心に物語を組み立てながら、意味の上でその物語にぴったりだと思われる別の言葉を、難しい考証(裏付け調べ)なしにどんどん引用することにしました。
ですから、歴史的な証拠をあさるような細かいツッコミをこの本に対して行うのは、まったく意味のないことです。
なお、それぞれの物語のあいだに、内容のつながりはありません。
そのため、並べ方についても特別な決まったルールはありません。
それぞれの物語は、それぞれ独立して読まれるべきものだからです。
孔子は、弟子を呼ぶときに名前で呼び、決して大人の呼び名である「字(あざな)」を使いませんでした(たとえば、子貢を「賜(し)」と呼び、子路を「由(ゆう)」と呼んだように)。しかしこの本の中では、そういったルールさえも厳密には守られていません。
その他、生活のしぐさや動作の習慣などについても、二千数百年前の中国をよく知る人の目から見たら、文句を言いたくなるようなところがたくさんあるでしょう。
しかし、著者はそんなことを一つひとつ気にしていません。
著者が描きたかったのは、ただ「心」だけだからです。
歴史上の人物の心ではなく、著者自身と、著者のまわりに住む普通の人間たちの「心」を描きたかったのです。
昭和十三年十二月二日 校正を終えて
著者
改版序
『論語』が一般の人々に読まれなくなってから、すでに長い年月が経ちます。
私は明治時代の終わりごろに学生生活を終えましたが、その当時の学生でさえ、専門の研究者以外は、自分から進んで『論語』に親しもうとする人はほとんどいないに近い状態でした。
それからの時代がどうなったかは、推して知るべきでしょう。今では『論語』という古典の存在さえ忘れている人も、おそらくめずらしくはないはずです。
明治時代より前はもちろんのこと、明治になってからも中ごろまでは、「国民の教養のための第一の本」とまで言われていた『論語』が、なぜこれほど急に若い人たちにとっての魅力を失ってしまったのか――それはもちろん、時代の影響です。
つまり、東洋から西洋への時代の激しい変化が、若い人たちに東洋の古典をじっくり味わう余裕を与えなかったのです。
このことは、日本の文化的な視野を広げるためには、仕方のないことだったのかもしれません。
しかし、文化の健全な進歩を願う立場から見れば、決して手放しで喜べることではありませんでした。
なぜなら、本当の意味で健全な文化の進歩とは、単に上着を着替えるような表面的な変化ではなく、古い生命の内部からの成長による「脱皮」によってこそ成し遂げられるものだからです。
私はそういう思いから、もう一度『論語』を日本の人々の手に取りもどし、良いにしろ悪いにしろ、長年にわたって日本の政治や社会生活の土台となっていた精神の姿が、いったいどういうものだったのかを知ってもらいたいと願い続けてきました。
そして、その願いを具体的に形にしたものの一つが、この本なのです。
本書をはじめて世間に公表したのは、昭和十三年の暮れでした。
講談社から出た本がそれです。
その後、何度も版を重ね、戦後には角川文庫の本として広く世の中に読まれてきました。このたび、さらに池田書店からのご依頼により、「人生叢書」の一冊として世に送り出すことになりましたが、この機会に全文を新しいかな遣いに改め、同時に二、三の箇所に修正を加えることにいたしました。
本書の内容やその他の事情については「初版序」に詳しく述べましたので、ここでは改めて繰り返しません。
ただ、念のために付け加えておきたいのは、各篇のはじめに掲げた論語の章句は、それぞれの物語を構成する骨格となるものであり、末尾に掲げた章句は、物語の進行中に登場した対話や説明の出所を示すものであるということです。
昭和二十九年一月十四日、改版の校正を終えて
著者
富める子貢
子貢曰く、貧にして諂うことなく、富みて驕ることなくんば如何と。
子曰く、可なり、未だ貧にして楽しみ、富みて礼を好む者に若かざるなりと。
子貢曰く、詩に云う、切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如しとは、其れ斯れを之れ謂うかと。
子曰く、賜や、始めて与に詩を言うべきのみ。
諸れに往を告げて、来を知る者なりと。
――学而篇――
子貢は、その日、大きく胸を張って、おなかの底まで朝の新鮮な空気を吸い込みながら、ゆったりと大股で歩いていました。
彼はこのごろ、いい仕事にありついて、日ましにお金のやりくりが良くなっている自分のことを思い、身も心も自然と伸びやかになるのでした。
(一、先生は、顔回の空っぽの米櫃(こめびつ)をいつも褒めていらっしゃる。
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