初級翻訳・透明怪人 第11話

江戸川 乱歩

 八つの目が、金庫のとびらを、くいいるようににらみつけていました。
 島田少年は、そうしてじっとみつめていると、何かもうろうとした人の姿が、金庫のそばに立っているように感じました。
「オヤッ。
」と思って見なおすと、もう何も見えません。
 気のせいだったのでしょうか。
 それとも……。
 そのとき、またしてもどこかでコトッと、かすかな音がしました。
 金庫をみつめている四人の顔が青ざめてきました。
 島田君は「ワッ。
」と叫んで、いきなり逃げだしたいのを、やっとのことで踏みこたえているのです。
 いまにも心臓がのどのところへ飛びあがってくるのではないかと思うような、なんとも言えない変な気持ちでした。
「ワハハハ……。
」
 とつぜん、とほうもない笑い声が、部屋じゅうに響きわたりました。
 中村係長が椅子から立ちあがって、笑っているのです。
「諸君、九時はすぎた。
もう二十秒で一分すぎになる。
そう言っているうちに、ホラ、九時一分になった。
黒川君どうです。
あいつは約束をまもらなかった。
金庫には別状ない。
あの紙きれは、こけおどしにすぎなかったのです。
」
 係長は、さも愉快そうに言い放ちました。
「まってください。
それでは、二度も聞こえたあの変な音は、なんだったのでしょう。
島田さん、念のために金庫の中を調べてごらんなさい。
」
 黒川記者に言われるまでもなく、島田君のおとうさんは立ちあがって、金庫に近づきました。
 そして、ダイヤルをまわし、鍵を入れて、とびらをひらいたのです。
 ひらいて一目、中をのぞいたかと思うと、島田さんは「アッ。
」と言ったまま、ぼう立ちになってしまいました。
「どうしたんです。
」
 係長と記者とが、そのそばへ駆けよりました。
「アッ、真珠塔がない。
」
 島田少年がおとうさんにすがりついて叫びました。
 金庫の中は、からっぽのガラス箱が残っているばかりでした。
 すると、そのとき、
「エヘヘヘ……。
」あのいやな、いやな笑い声が、どこからともなく聞こえてきたではありませんか。
 むろん地下室の中です。
 どこかにあいつがいるのです。
 四人は気でもちがったように、キョロキョロとあたりを見まわしました。
 しかし、どこにも人の影さえありません。
「わかった。
あいつはいま、島田さんが金庫をあけたとき、わきから手を入れて盗んだのだ。
ぼくにはぼーっと白い人の姿が見えた。
」
 黒川記者がもの狂おしく叫びました。
 しかし、そうだとすれば、怪人は見えなくても、盗んだ真珠塔は部屋のどこかにただよっているはずです。
 ところが、いくら目をこらしてもそれらしいものは、椅子の下にも、金庫のかげにも、空中にも、どこにも見あたらないではありませんか。
 三人のおとなはすばやく目くばせして、両手をひろげ、部屋じゅうを飛びまわるようにして、目に見えないやつをさがしました。
しかし、なにも手にさわるものはありません。
 中村係長はコンクリートの階段をかけあがって、入口の鉄の戸の下で耳をすましました。
 すると、またしてもあのいやな笑い声が、かすかに聞こえてきたのです。
「オヤッ、鉄の戸のそとだ。
あいつはそとにいるぞ。
」
 いかにも、それはそとからの声でした。さっきは、たしかに室内できこえた笑い声が、いつの間にか、かぎをかけた鉄の戸をす通りして、そとから聞こえているのです。
すると、透明怪人は、けむりか幽霊のように、からだまで自由自在にすがたをかえることができるのでしょうか。
「わかったか。
おれは、やくそくしたことは、きっとやってみせるのだ……。
」かすかな声でした。
鉄の戸のそとから、透明怪人があのたどたどしい言葉で、そんなことを言っているのが聞こえてきました。
それからしばらくして、四人が地下室を出ますと、そこへ小林少年が息をはずませてかけつけてきました。
そして、いきなりこんなことを報告したのです。
「ぼくたち、あやしいやつをつかまえました。
いけがきの塀のそとに、ルンペンみたいなやつがうずくまって、ブルブルふるえていたのです。
ぼくたちがたずねると、おそろしいことを言いました。
うそか本当かわかりません。
でも、そいつはまだふるえがとまらないほど、おそろしいものを見たらしいのです。
ここへつれてきましょうか。
」
係長はそれを聞くと、すぐつれてくるようにと答えました。
それにしても、少年探偵団は一体何者をとらえたのでしょう。
そして、そのルンペンが見たというのは、いったいどんなおそろしいことだったのでしょう。

首をひろう紳士

中村係長のさしずにしたがって、小林君はすぐひきかえして、ふたりの少年団員の両手をとられた若いルンペンをつれてきました。
二十四、五歳の、見るからにきたならしいルンペンです。
カーキ色のよごれた服を着て、手にはやぶれた古ソフトを持ち、足はどろまみれの、はだしのままです。
モジャモジャにのびたかみの毛、青黒いやせた顔に、目ばかりがギロギロ光っています。
中村係長はその男をイスにかけさせ、おまえの見たことをくわしく話してごらんとやさしくたずねました。
そこでルンペン青年はおずおずと次のようなおそろしい話をはじめたのです。
その夜、このルンペン青年はねぐらをもとめて町から町をさまよっているうちに、島田邸のいけがきのそとを通りかかりました。
それは思いあわせてみると、透明怪人が地下室の金庫から「真珠塔」をぬすみだしたすぐあとのことだったのですが、青年はいけがきの中のくらい庭に、何かモゾモゾうごいているものがあるのに気づいたのです。
そこで立ちどまって、いけがきのすきまから中をのぞいて見ました。
青年の目はくらい所ばかりあるいてきたので、やみになれていました。
それに庭の遠くの方に常夜灯の電灯がついていて、その光がかすかにそのへんを照らしていました。
目をこらすと、一本の立ち木の下の草むらにみょうなものがちらばっています。
ネズミ色のオーバー、黒っぽい洋服、白いシャツやズボン下、ネズミ色のソフト帽、クツもちゃんと一足そろっています。
それだけなら何でもないのですが、それらの衣類にまじって、じつにおそろしいものがころがっていました。
青白い色の、まるいものです。
そしてそれにモジャモジャと毛がはえているのです。
青年ははじめのうちはそれがなんであるかまるでけんとうがつきませんでしたが、よく見ていると、そのまるいものには目や鼻や口があることがわかってきました。
それは人間の首だったのです。
青年はあまりのおそろしさにギャッとさけんで逃げだしそうになりました。
草むらに人間の首がころがっているのですから、だれだってびっくりしないわけにはいきません。
人ごろしの現場でも見たように、せなかがおそろしくさむくなってきました。
ところがそのとき、逃げだしそうになった青年が思わず足をとめるような、もっとふしぎなことがおこりました。
青年は魔法にでもかかったように、その動くものから目をそらすことができなくなってしまったのです。
そうです。
それは動いていたのです。
なま首がではありません。
洋服のズボンがです。

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