初級翻訳・銀の笛と金の毛皮 第2話

豊島 与志雄

 森の奥深くへ進むと、もう人が通ったような道もありません。
 それに、険しい崖や急な坂道がいくつもありました。
 エキモスは一生懸命に歩きましたが、やがて疲れ果てて、足が動かなくなってしまいました。
 すると、大きな角を生やした鹿が、エキモスの前にひざまずいて、その背中を差し出しました。
 エキモスはその背に乗って、しっかりと角にしがみつきました。
 鹿は走るように早く歩き出しました。
 開けた場所に出たり、森の中を抜けたり、坂を上ったり、谷川を渡ったりしました。
 どれくらい来たのか分かりませんが、山深い場所で、ふいに谷川のそばの平地へ出ました。
 やわらかな草が一面にはえていて、何ともいえないよい香りの花が咲いています。
 そして、たくさんの鹿たちがエキモスを出迎えていました。
 その平地の奥、崖の下の場所で、エキモスは鹿の背から降ろされました。
 そこを見ると、草の上に、あの金色の鹿が横たわっていました。
 エキモスは声を上げて駆け寄りました。
 金色の鹿は、そこに横たわったまま、身動き一つすることができません。
 途切れ途切れに、かすかな息をして、じっとエキモスの方を見つめているだけでした。
 調べてみると、肩のあたりから血が流れています。
 どうやら鉄砲で撃たれてしまったようです。
 もう、手当てのしようもありません。死にかけているのです。
 エキモスは悲しみに涙ぐみながら、そのそばに座り、鹿の頭を膝の上に乗せてやりました。
 鹿はうれしそうに目を閉じました。
 エキモスは、その獅子のように長い金色のたてがみをなでてやりました。
 それから白い葦笛を取り出し、最後のお別れに、その音色を聞かせてやりました。
 エキモスが心を込めて吹く葦笛は、言葉では言い表せないほど美しい響きを奏でました。
 谷川の水さえも、しばらく流れを止めて聞き入っているようでした。
 エキモスが笛を吹き終えたとき、金色の鹿はすでに息を引き取っていました。
 エキモスはそのまま、長いあいだそこに座っていました。
 それから、金色の毛皮を少しだけ、形見として切り取りました。
 そして鹿の体を、その崖の下に丁寧に埋めてやりました。
 エキモスが帰ろうとすると、また多くの鹿たちがお供をしてくれ、角の大きな鹿がエキモスを背中に乗せてくれました。
 そして、崖や坂や谷川や森を越えて、もとの野原へと戻ってきました。
 羊の群れは、静かに草を食べています。
 蝶はひらひらと舞い、小鳥たちはさえずっています。
 けれど、エキモスの心は晴れることがありませんでした。
 金色の鹿の形見の毛皮で大切なものを入れる袋を作り、腰に下げましたが、悲しさはちっとも紛れません。
 笛を吹く気にも、どうしてもなれませんでした。
 ――いったい、誰が、あの鹿を鉄砲で撃ったのだろう。そう思うと、くやしい気持ちやさびしい気持ちがこみあげてきて、どこか遠くへ旅に出たくなりました。
羊たちももちろん可愛いのですが、金色の鹿が死んでしまった悲しみの方が、ずっとずっと大きかったのです。
エキモスはついに決心して、主人のところへ行き、仕事を辞めさせてほしいとお願いしました。
主人はエキモスをひきとめようとしましたが、その悲しそうな顔と、固い決意を見て、願いを聞き入れてくれました。
「それなら、都でも見物してくるといい」と主人は言いました。
「都には面白いことがたくさんあるから、きっと気晴らしになるだろう。ただ、面白いのは外見だけで、ずるい人間もたくさんいるから、気をつけなさい。もしまた戻ってきたくなったら、いつでもおいで。また雇ってやるからね」
エキモスはお礼を言って、主人からもらったお金を毛皮の袋に入れ、白く銀色に光る葦笛を持って、他には何一つ荷物も持たず、連れもいないまま、ぼんやりと旅に出ました。
しばらく歩いてから、エキモスは道端の木陰でひと休みしました。
そして初めて、これからどこへ行こうかと考えました。主人が言った通り、都へ行くのもいいかもしれないと思いました。
――でも、都へ行けばお金がたくさんかかるだろう。これだけで足りるかしら。
エキモスは皮袋を開いて、主人からもらったお金を数えようとしました。
すると、びっくりしてしまいました。袋の中のお金が、すべて金貨になっていたのです。
そんなはずはありません。主人からもらった時は、確かに銀貨や銅貨もまじっていたはずです。それが、全部金貨に変わっているのです。
エキモスには、どうしてなのかさっぱり分かりませんでした。不思議そうに皮袋をながめました。
――もしかして、あの金色の鹿の毛皮のせいだろうか……。
試しに、道端の小石を拾って、皮袋の中に入れてみました。
取り出してみると、なんと、それが黄金に変わっていました。
エキモスは驚いて立ち上がりました。いくら小石を入れても、取り出すと黄金になっています。それが面白くて、やたらに小石を黄金に変えては、四方八方に投げ散らしました。
――なんて不思議な皮袋なんだろう。あの金色の鹿の毛皮で作ったからに違いない。
これさえあれば、都に行っても不自由することはないぞ。
エキモスは都へ行くことを決めました。不思議な皮袋と、不思議な葦笛。エキモスは急に元気が出てきて、都を目指して歩き出しました。

三

まだ自動車や飛行機などない時代の話です。
エキモスは、いく日かのんびりした旅をして、ようやく都に着きました。
そこには大きなりっぱな家が立ち並んでいました。お店には美しい品々がたくさん飾られています。そして何よりも、人の多さにエキモスは驚きました。まるでアリの巣をつついた時のように、たくさんの人が忙しそうに行き交っていました。
夕方になると、町じゅうに明かりがともって、景色はいっそうきらびやかになり、美しく着飾った人々がいっそう増えていきました。
エキモスはお腹がすいてきたので、ある立派なホテルに入ってみました。ピカピカ光るガラスのドアの向こうに、白い服を着た男が立っていました。その男はエキモスの姿をじろじろと眺めてから、言いました。
「ここは、お前さんのような者が来るところじゃない。食事がしたいなら、他を当たりなさい」
エキモスは外に出ました。しばらく歩くと、また美しく着飾った人たちが出入りする、立派なホテルがありました。そこに入っていくと、ガラスのドアの向こうの白い服の男が、やはりエキモスを見下ろすようにして言いました。
「ここは、お前さんのような者が来るところじゃない。食事がしたいなら、他を当たりなさい」
エキモスはがっかりして外に出ました。ぼんやり歩いていると、他にもいくつも立派なホテルが並んでいましたが、もう入ってみる気力もわきませんでした。
――どうして、食事をさせてくれないんだろう。
そう思うと、ますますお腹がすいてきて、悲しくなりました。
いつの間にか、大きな川のほとりに出ていました。川面には向こう岸の明かりがちらちらと映ってきれいでしたが、川沿いは人通りも少なく、薄暗くてひっそりとしていました。
しばらく歩くと、少し広くなった場所に大きな木が四、五本植わっていて、その中に小さな噴水がありました。

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