初級翻訳・神州天馬侠 第65話

吉川 英治

果心居士(かしんこじ)から教わった浮身の法(うきみのほう)で、ピタリとクロの翼の根元へへばりつき、両端に火をつけた松明を次々と投げ落としていたのです。
火先は鮮やかな縞模様を描いて人穴城へと降り注ぎ、三千の野武士の巣窟を、瞬く間に大混乱の渦に突き落としてしまいました。
「ああ、いけねえ」
と、その時、竹童はふと呟きました。
空は暗いですが、地上は火事で明るくなっています。
人穴城の中で右往左往している様子を見下ろしながら、
「こっちが投げた松明を、大勢で消されてしまっては意味がない。
おや、もう残り四、五本しかないぞ」
何と思ったか、竹童はクロの首筋を軽く叩いて、スッと下へと舞い降りました。
いくら大胆な竹童でも、まさか人穴城の内部へ侵入するとは思われていなかったのか、案の定、先ほどまで呂宋兵衛たちがいた望楼の張出しよりさらに一段高い、太鼓櫓(たいこやぐら)の屋根へと軽やかに着地しました。
クロをそこに待たせておいて、竹童は残りの松明を背負い、スルスルと望楼台へと下りていきました。
もうそこには誰もいません。呂宋兵衛も昌仙も才蔵も、下の騒ぎに驚いて下に降りていったようです。
「しめた!」
竹童は五、六段ある階段を夢中で駆け降りました。
そこは、七重の扉で固められている人穴城の内部です。
あちこちで起きている小火(ぼや)を消す騒ぎに紛れて、いくら厳重な城内とはいえ、天から舞い降りた一人の怪童がいることなど、誰も夢にも思っていませんでした。

三

果心居士の命を受けて以前この城へ使いに来たことがある竹童は、その時に城内の様子を詳しく探っていたため、勝手知ったる場所でした。
恐るべき速さで、彼が狙いを定めたのは鉄砲の火薬を詰め込んである一棟の蔵でした。
見ると戦時中ということもあり、煙硝箱(えんしょうばこ)が積み出されており、蔵の戸も観音開きに開け放たれています。
しかも願ったりかなったり、今の騒ぎのせいで、武器番の手下もあたりには誰もいません。
ちょこちょこと蔵の中へ入り込んだ竹童は、例の松明に火をつけ、真ん中に置きました。藁縄(わらなわ)の綱火(つなび)が火を伝い、この中の煙硝箱が一斉に爆発するように仕掛けたのです。そして、ポンと外の扉を閉めるが早いか、元きた望楼へと、息もつかずに駆け上がってきた。
「ありがたい、ありがたい。
これで人穴城の蛆虫(うじむし)どもは、間もなくいっぺんに全滅だ。
伊那丸さまもお喜びなら、お師匠さまからも、たくさん褒めていただけるだろう」
望楼に立って手を振った竹童は、待たせてあるクロが飛び去ってしまっては一大事と、大急ぎで欄間(らんま)から棟木(むなぎ)へ手をかけ、棟木から屋根の上へとよじ登ろうとしました。
「小僧、待て!」
ふいに、下からグンと力強く足を引っ張る者がいました。
「あ! あぶない」
「降りろ、おとなしく降りてこないと、きさまの体はこの望楼から転げ落ちていくぞ」
「あ、しまった」
竹童は驚きました。
ふだんの地面と違って、ここは七階の櫓(やぐら)のてっぺんです。
棟木にかけている五本の指が、まるで命をつないでいるようなもので、下から力任せに引っ張られた日にかな、ひとたまりもありません。
「降りろと言うに、降りてこないか」
「いま降りるよ、降りるから手を離してくれ。でないと、体が自由に動かないもの」
「ばかなことを言うな、手を離せば上へ上がってくるんだろう」
足をつかんでいる者は少しも油断していません。
竹童はもう覚悟を決めました。
「ええい、ままよ、どうにでもなれ! お師匠さまから言いつけられた使命は、十のうち九つまではやり遂げたようなものだ。呂宋兵衛(るそんべえ)の手下につかまって首をはねられたって、思い残すことはない!」
「じゃあ、どうしろっていうんだい?」
自然と、声も言葉も大胆になります。
「その手を屋根から離してしまうんだ」
「手を離したら、ここから下までまっさかさまじゃないか」
「いや、おれがこうして持ってやる」
下の者は背を思いきり伸ばし、竹童の腰帯をグイとつかみました。
もうどうあがいても逃げられません。竹童は運を天にまかせ、棟木の角にかけていた手をヒョイと離しました。
「えいっ!」
はっと思った瞬間、竹童の体は望楼台の上へとまりこのように投げつけられました。
覚悟はしていても、いざとなれば最後まで逃げ出したいのが人間の情けです。彼は夢中で跳ね起きましたが、すかさず、さっきの男が上からグンと押さえつけました。
「まだもがくか!」
と、手足の急所を締め上げ、びくともしない圧倒的な重みを加えました。
一体それは誰かと見れば、先ほどまで呂宋兵衛や昌仙とともにここにいた、あの可児才蔵(かにさいぞう)ではありませんか。
安土(あづち)から選ばれてきた名高い可児才蔵と分かってみれば、竹童がつかまれた足を離せなかったのも無理はありません。
「痛い、痛い……苦しいよ!」
竹童は、呂宋兵衛の手下にしてはなんだか少し、とんでもなく手強いやつに捕まったと、苦しそうにうめき声を上げました。
「痛いのはあたりまえだ。動けば動くほど、急所が締まる仕組みになっている」
「殺してくれ! もう死んでもいいんだ」
「いや、殺さない」
「だったら首を斬れ!」
「首も斬らん。いったい、きさまはどこの何者だ?」
「聞くまでもないだろう! おいらは以前、果心居士(かしんこじ)さまのお使いとなってこの城へ来たことのある、鞍馬山(くらまやま)の竹童だ。首の斬り方を知らないなら、さっさと呂宋兵衛の前に引っ立てていけ!」
「ウーム、鞍馬山の竹童というか……」
可児才蔵も、内心では舌を巻いて驚きました。
安土の城には、自分の主君である福島市松(ふくしまいちまつ、のちの福島正則)をはじめ、幼名を虎之助と言った加藤清正、そのほかにも豪勇な少年たちがいるとは聞いていましたが、まだこの竹童ほど軽やかで、しかもこんなに大胆な口をきく小僧を見たことがありませんでした。

四

一方の竹童は竹童で、才蔵に押さえつけられながらも、お腹の中でふとこんなことを考えていました。
「こいつはおもしろい。いま仕掛けてきたあの綱火(つなび)は、松明(たいまつ)の火からだんだん燃え移って、もうすぐドーンと爆発するころだ。そうすれば煙硝庫(えんしょうこ)も、人穴城の野武士も、この望楼も、おいらもこいつらも、いっぺんに木っ端みじんに吹き飛んでしまうんだ!」
そう思うと、彼は突然下からグッと才蔵の帯を掴み直しました。
「あはははは、そんな子供だましな腕前が通用するか」
と、才蔵は力を少し緩めて笑い出しました。
「笑っていろ、笑っていろ! そしていまに見ているがいい、この下の煙硝庫が破裂して、櫓もきさまもおいらも、みんないっしょくたに木っ端みじんに吹き飛ばされるからさ!」
「なにっ、煙硝庫がだと!?」
「そうさ、あの中へ松明を放り込んできたんだ。ああ、いい気味だ! その火を見ながら死ねるなんて、竹童にとって本望さ、おいらは大満足だ!」
「いよいよ、油断のならない小僧め……!」
さすがの才蔵も、これには少し動揺しました。
しかし、いまの竹童のひとことを聞いて、ふと気づいたのです。

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