しかし、密林の奥で鷲を盗み損ねたうえ、竹童にこっぴどく痛めつけられてからは、もうこりごりだと考えたのです。残りの金で何かうまいものでも食おうと甲府を指して歩いていた途中、ここで見張り役をしていた燕作の目にとまり、引っ張り込まれたのでした。
さっきから、うまうまと懐の小判をあらかた巻き上げられ、もう手元には三枚しかありません。
燕作は、その三枚の小判をひったくってしまったら、「おとといおいで」と小屋から追い出してしまうつもりなのです。
「おい、蛾次公先生、いつまで考え込んでいるんだい」
「だけれど怖いなあ。この三枚を出して負けになったら、俺は空っぽになってしまうんだろう」
「そのかわり、お前が勝てば六枚になるじゃねえか。六枚賭けて、また勝てば十二枚。その十二枚をまた賭ければ二十四枚、二十四両だ! どうだい、それだけの金を懐に入れて甲府へ行ってみろ。買えない物なんてありゃしねえぞ」
「よし! 賭けた!」
「えらい、さすがは男だ。よし、勝負をするぜ」
「うむ、燕作さん、ごまかしちゃいけねえよ」
「馬鹿を言え。いいかい、ほれ……」
と、燕作が壺へ手をかけると、蛾次郎は目を凝らしました――その時です……。
「ドドーン!」と、裏山の上で不意にとどろいた一発の狼煙。
燕作は見張り番としての本能を呼び覚まされ、「あッ!」とばかりに跳ね返り、窓の戸をガラッと開けて空を見ました。そこには、打ち上げられた狼煙の薄煙が、水に一滴の墨汁を垂らしたように、ぼーっと青空ににじんで合図を伝えていました。
「やッ、何者かが伊那丸の陣のほうへ合図をしやがったな!」「うむ、もうこうしてはいられねえ」
燕作はあわただしく引き返すと、賭けてあった小判をのこらずかき集め、ザラザラとふところにねじ込みました。
蛾次郎はびっくりして、その袖にしがみつきました。
「ずるいぞ、ずるいぞ! 燕作さん、俺の金まで持っていっちゃいけないよ。返してくれ、返してくれ!」
「ええい、この阿呆め! もう、てめえなんぞにかまっている暇はねえんだ」
燕作はポンと蛾次郎を蹴飛ばして脇差を差すと、土間の戸を勢いよく開け放ち、狼煙の上がった裏の小山へ、一目散に駆け上がっていきました。
あとに残された蛾次郎は、親の死に目に会えなかったより悲しいのか、両手で顔を覆って、
「わあん……わあん……わあん……」
と、声を出して泣き出しました。
しかし天性の泣き虫らしく、泣き出すのも早ければ泣きやむのもあっという間で、すぐにケロリと機嫌が直りました。
しばらく思う存分泣きぬいた蛾次郎は、それで気がさっぱりしたのか、プーと頬をふくらませて外へ出てきました。
そう思うと、何かを考えついたのか、賽の河原の亡者のように、そこらの小石をふところいっぱいに拾い込みました。
「燕作め、見ていろよ!」
恐ろしいことに、低能な子供でも復讐心だけはあるものです。
蛾次郎が小石を詰め込んだのは、得意の石投げの技で小判の恨みを晴らそうというつもりらしいのです。
燕作が戻ってくるのを待ち伏せする作戦か、蛾次郎はギョロリと鋭い目つきで水車小屋の裏へ隠れ込みました。
すると、どこまで運が悪いのか、わっと驚いて、そこでまた腰を抜かしそうになりました。
「やあ、おめえはクロじゃねえか!」
一度はびっくりしましたが、そこにいた怪物はいつもの竹童の愛鳥クロだったので、蛾次郎は思わず人間に話しかけるような挨拶をしてしまいました。
そして、さっきまでの泣きっ面をグニャグニャと崩して笑いました。
「しめしめ! 竹童がいない間に、この鷲をかっさらってしまえ。この鷲に乗って菊池半助さまのところへ行けばお金はもらえるし、侍になれる。ときどきクロに乗って諸国見物もしたい放題だ。ああありがたい、こんな幸運を逃しては、天道さまからバチが当たるぞ」
竹の小枝を折って棒切れにすると、竹童の真似をしてクロの背中に乗った泣き虫の蛾次郎。
ここ一番の勇気を振り絞って、鷲盗みという離れ業をやってのけ、小屋の前からサッと一陣の風を切って、空高く乗り逃げしてしまいました。
二
血相を変えて小山の頂上へ駆け上がってきた早足の燕作は、キッとあたりを見回すと、確かにそこには粘土の地中に狼煙の筒が突き刺してありました。
スポンと引き抜いて、その筒の銘を確かめていると、隙を突いたのか、物陰からひとりの少年がバラバラと逃げ出しました。
「うぬ、間諜だな!」
パッと飛びついて組み伏せた燕作は、肩越しに相手の顎(あご)へ手をかけて、タタタタタと五、六間引きずり戻しましたが、キッと目をむいて叫びました。
「やっ、てめえは鞍馬の竹童だな!」
「おお、竹童だが、どうした!」
「狼煙を上げて伊那丸の陣へ合図を送るなんて、身の程知らずなふてえ野郎だ。今日こそ呂宋兵衛さまのところへ突き出してやるから覚悟しろ!」
「誰がやるか、くそ!」
「ちぇっ、この餓鬼め!」
「何を、この大人め!」
組んず解れつ、大小二つの体がたちまちもみ合いました。
赤土が飛び、草が飛び散ります。それがまるで火花のように見えました。
さきほど釜無川原でぶつかった時に、燕作の早足と腕前を知っていた竹童は、もう逃げても無駄だと思ったのか、いきなり相手の手首へガブリとかじりつきました。
「あ痛ッ! ちくしょう!」
燕作は拳を固めて、痛いほどに竹童の頬を殴りつけました。
しかし竹童も必死に食い下がり、離れまいとします。
「うむ」と唇から血を垂らしながら、そのまま二人で組み倒れました。
しばらく芋虫のように転げ回り、上になったり下になったりしていましたが、ついに踏んづけてねじ伏せた燕作が、右の親指でグイと相手の喉を突きました。
あわれ竹童、喉の急所を突かれて、
「ウーム……」
と四肢をぶるぶると震わせたまま、ついにぐったりとしてしまいました。
「ざまあ見やがれ! 体の小ささのわりに、ぞんがい骨を折らせやがった」
燕作はすぐさま竹童をひっかかえて、法師野にいる呂宋兵衛のところへ駆けつけようとしました。しかしふと気がつくと、今の格闘で、さっき蛾次郎から巻き上げた小判が、あたりに山吹の花のように散らばっていることに気づきました。
「ほい、こいつを捨てちゃあ行けねえな」
あっちの三枚、こっちの五枚とザラザラ拾い集めていると、突然、どこからか風を切って飛んできた石つぶてが、コツンと燕作の肩骨に当たりました。
「おや」
と振り向きましたが、竹童は気絶して横たわっているだけで、ほかに怪しい人影は見当たりませんでした。何か様子がおかしいとは思ったものの、何よりも大切な小判を再び拾い集めていると、今度はバラバラと小石の雨が、間髪入れずに降り注いできました。
「あ、あ、痛いッ!」
両手で頭をかかえながら、ふと見上げた燕作の目に、その瞬間! サッと舞い降りてきた大鷲の赤銅色の腹が飛び込んできました。
首尾よく鷲を盗み出した泣き虫の蛾次郎が、その背中に乗っています。細い竹の杖を口にくわえ、右手に石つぶてを握りしめてこう叫びました。
「やい燕作、やい、燕作のバカ野郎! さっきはよくも、蛾次郎さまの金をいかさまを使って巻き上げやがったな。
コメント