だが、おまえはここに、何用があってやってきたのか」
「はい」竹童はかしこまって、
「お師匠さまのお言付けでござります」
「なに、果心先生からここへ使いに?」
「さようでござります」「みなさまは、きょう穴山梅雪をお討ちになって、さだめしホッとなされたでござりましょうが、勝って兜の緒をしめよ、ここでごゆだんをなされては大へんでござります」
「む、伊那丸はけっしてゆだんはしておらぬぞよ」
「では、湖水の底から引きあげた石櫃の蓋をとって、なかをあらためてごらんになりましたか」
「いや、ほかのところへかくしたものとちがって、湖底へ沈めておいた石櫃、あらためるまでもない」
「ところが、お師匠さまの遠知の術では、どうも、石櫃のなかの宝物にうたがいがあるとおっしゃいました。
それゆえ、にわかにお師匠さまにいいふくめられて、この竹童が、鷲の翼のつづくかぎり、とびまわったのでござります。
どうぞみなさま、いっこくもはやく、石櫃をおあらためくださいまし」
「さては、それが伊那丸のゆだんであったかもしれぬ。
忍剣、忍剣、ともあれ石櫃をここへ。
また、小文治と龍太郎は、あるかぎりのかがり火をあたりにたき立ててください」
「はッ」
席を立った者たちが三つ脚のかがり火を、左右五、六ヵ所へ炎々と燃したてるまに、忍剣は、さきに梅雪の郎党たちが、湖底から引きあげておいた石櫃をかかえてきて、やおら、伊那丸のまえにすえた。
「こう見たところでは、蓋の合口に異状はないが」
「青苔がいちめんについているさまともうし、一ども人の手にふれたらしい点はみえませぬ」
「とにかく、蓋をはらってみい」
「心得ました」
と忍剣は立ちあがって、グイと法衣の袖をたくしあげ厳重な石の蓋をポンとはねのけてみた。
二
「や、やッ」まず忍剣がきもをつぶした。
「どういたした。
なんぞ変りがあったか」
伊那丸もおもわず床几から腰をうかした。
「ちぇっ。
これごらんなさりませ」
と、くやしそうに忍剣が石櫃を引っくりかえすと、なかからごろごろところがりだしたのは、御旗楯無の宝物に、似ても似つかぬただの石ころ。
「むウ……」
伊那丸は顔いろをうしなった。
それはむりではない、武田家重代の軍宝――ことに父の勝頼が、天目山の最期の場所から、かれの手に送りつたえてきたほど大せつな品。
それがない!
ないですもうか。
御旗楯無の宝物は、武田家の三種の神器だ。
これを失っては、甲斐源氏の家系はなんの権威もなくなってしまう。
伊那丸をはじめ他の六人まで、ひとしくここに、色をうしなったも当然である。
「アア、やっぱり、おいらの先生はえらい――」
そのとき、嘆ずるようにいったのは竹童だった。
「ああ、どこまで武田家は衰亡するのであろうか……」
と嘆じあわして、伊那丸もつぶやく。
「大じょうぶだよ」竹童は棒切れを杖にしてふいにつっ立ち、気の毒そうに伊那丸の面を見あげた。
「大じょうぶだ大じょうぶだ。
そのなかの物がなくなっても、ぬすんだやつはわかってるから……おいらがちゃんとかぎつけてきてあるから――」
「なに! ではおまえがその者を知っているか」
「ああ知っている。
そいつは、人穴の殿堂にいる和田呂宋兵衛という悪いやつだよ。
そして、盗んだ宝物は、手下を京都へやって、羽柴秀吉に売ってしまったんだ――これはきょうおいらが呂宋兵衛と問答して、鎌をかけてきいてきたんだからまちがいのないことなんだ」
「えッ、では御旗楯無をぬすんだやつも、あの人穴の呂宋兵衛か……」
と、伊那丸が意外そうな瞳を咲耶子に向けると、彼女も、思いがけぬことのように、
「わたしにとれば父をころした悪人。
伊那丸さまにはお家の賊、八つざきにしてもあきたりない悪党でござります」
と、やさしい眉にもうらみが立った。
伊那丸は床几をはなれ、そしてうごかぬ決意を語気にしめしていった。
「みなのもの、わしはこれからすぐ人穴の殿堂へ駈けいり、呂宋兵衛の首を剣頭にかけて、祖先におわびをいたすつもりだ。
一つには、恩義のある咲耶子への助太刀、われと思わんものはつづけ、御旗楯無をうしなって、武田の家なく、武田の家なくして、この伊那丸はないぞ!」
「お勇ましいおことば、われわれとて、どこまでも君のお供いたさずにはおりませぬ」
山県蔦之助、忍剣、龍太郎、小文治などの、たのもしげな勇士たちは、声をそろえてそういった。
「おう、わたしを入れてここに七騎の勇士がある。
咲耶子も心づよく思うがよい、きっとこよいのうちに、きゃつの首を、この剣の切ッ先にさしてみせよう。
忍剣、馬を馬を!」
「はッ」
バラバラと樹立ちへはいった忍剣は、梅雪一党が乗りすてた駒のなかから、逸物をよって、チャリン、チャリン、チャリン、と轡金具の音をひびかせて、伊那丸のまえまで手綱をとってくると、いままで黙然としていた小幡民部が、
「しばらく――」と、駒をおさえて頭をさげた。三
「どうしたというのだ、民部」
「お怒りにまかせて、これから人穴(ひとあな)の殿堂へ乗り込もうというお考えはごもっともですが、私としては、どうしてもお引き止めしなければなりません」
「なぜだ?」伊那丸は珍しく険しい表情を浮かべた。
「決して、奴らを恐れているわけではありません。しかし、名高い天嶮(てんけん)の要塞である野武士の城を、いくら七騎の勇士がいるとはいえ、攻め落とせるはずがないと思われます」
「黙れ! わしも信玄の孫だぞ! 勝頼の次男だ! 野武士が立てこもる山城ごとき、恐れるに足りん!」
伊那丸にしては、稀に見るほど激しい口調だった。
民部には、敗北する理由がはっきりと見えているようだ。
「いいえ、そうは思えません」
民部は強く首を振り、こう続けた。
「いかに信玄公のお孫さまであろうと、兵法の理を無視して勝つことはできません。何事もタイミングが肝心です。しばらくこの裾野に身を隠し、呂宋兵衛(ろそんべえ)が山から出てくる日を待つのが最善の策と考えます」
「そうだ!」
その時、横から突然声を挟んだのは竹童だった。さらに、とっぴな声を上げてこう叫んだ。
「そうだ! 僕もうっかりしていたけれど、あいつは今夜きっと山を出るよ。うそじゃない、絶対に出る! 山を出るんだ!」
「竹童、それは本当か?」
民部は鋭く彼を見つめた。
「うそなんて大嫌いだ! 本当の話をすると、お師匠さまが呂宋兵衛に向かって『お前の命は今夜のうちに危ないぞ』っておどかしたんだ。僕はその使いになって、『今夜の子の刻(午後十一時から午前一時)のころに、裾野の四里四方で人気のないところへ出て、層雲くずれの祈祷をすれば助かる』なんていい加減なことを教えてきたんだけど……今になって考えると、あれも全部、お師匠さまが先々のことまで見通した計略で、わざと僕にそう言わせたに違いないよ」
恐るべき果心居士(かしんこじ)の神業のような知略。さすがの民部も、そこまで事態が仕組まれていたことには気づいていなかった。
子(ね)の刻までには、まだたっぷり時間がある。伊那丸は一同に対し、それまではここにとどまって十分に休息を取り、英気を養っておくようにと命じた。
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