すると泣き虫蛾次郎は、少し気取って例のボロ鞘(ざや)の刀を差し直し、松の小道を通って麓(ふもと)の方へ歩き出しながら、道すがら山椿の葉を一枚もいで唇にくわえ、木の葉笛で調子をとりつつ、妙な歌を叫び出しました。
ピキ、ピッピキ トッピッピ
竹童ちっぽけ ちっぱっぱ
鷲を盗られて ちっぱっぱ
とられる半間に 盗る利口
鴉(からす)がないても おら知らねえ
竹童ちっぽけ ちっぱっぱ
ピキ、ピッピキ トッピッピ
「わあ、おもしれえ、おもしれえ。竹童のやつが聞いたら口惜しがるだろうな。フフンだ、もうだめだってことよ。クロは死んでも蛾次ちゃんのそばを離れるのはいやだとさ……あはははははだ。うふふふふふだ。やーい――竹童小っぽけちっぱっぱ」
ひとりで大はしゃぎし、ひとりで踊り足を踏み鳴らしながら、天ヶ丘を半ばまで下りてきましたが、そこで何かを見つけたのか、蛾次郎は急に、
「おやッ?」
と目玉をひっくり返しました。
「オヤオヤオヤ、なんだなんだありゃ、真っ黒に顔を包んで、目ばかり光らせた侍が大勢ここへ登ってくるぞ」
崖の上へ這い上がって、木の葉を頭から引っかぶり、なおも目を丸くしてつぶやきます。
「ずいぶん来るなあ、四、五十人も来るぞ。おお、鎖駕籠もやってくる。誰がいるんだろう、あのなかに。罪人かしら? えらい人かしら? あれあれ、見たような奴が先頭に立ってくるぞ……いけねえ! 呂宋兵衛(るそんひょうえ)に蚕婆(かいこばば)だッ!」
と言うやいなや、蛾次郎は、その覆面の群れが目の下へ来るよりも早く、鉄砲玉から外れたウサギのように、横っ飛びに一目散――崖から崖へと転がり落ちていってしまいました。
虫ケラざむらい
一
――今日は、西陣(にしじん)の今宮祭(いまみやまつり)。
紫野(むらさきの)から加茂の里あたりまで、なんとすばらしい賑わいではないか。太鼓の音が響くたびに道の紅梅がハラハラと散り、笛の音に合わせて桜のつぼみがふくらんでいく。
お祭りの鐘の音もどこか浮き立つようで、おしゃれな小袖を着た老若男女が、行き交い、帰り交いして、今宮神社の八神殿から斎院、絵馬堂、矢大臣門にかけては、まるで人の波が織りなす模様のような大賑わいである。
これを見て、今が戦国時代で乱世だなどとは、まったく不思議に思えるほどだ。
ちょうどその頃、羽柴筑前守秀吉は、北国の柴田権六を討つための足がかりとして、南海の雄である滝川一益の桑名の城を、エイヤ、エイヤと血煙と石火矢(大砲)のなかで攻め抜いている真っ最中なのである。
そんな留守の都で、ピイヒャラドンドンと今宮祭が行われているのは、いささかのんびりしすぎているようだが、日本という国はもともと祭りの国なのだ。
かりそめの戦雲が太陽や月を覆い隠そうとも、神様のお祭りは絶やしてはならない。
また、主君が遠く戦陣の旅にあっても、留守を守る町人や百姓、女子供たちがこうして春を春らしく平和にのんきに楽しんで景気を良くしておくことも、結局は筑前守秀吉がやがて大業を成し遂げるための理由のひとつなのかもしれない。
なにしろ今日は、とてもめでたい日である。
戦をしている秀吉にはここへ来る暇もないだろうが、百姓には百姓の仕事があり、商人には商人の仕事がある。
大いにお祭りをし、大いに働け、それが秀吉さまもお好きなのだ! とばかりに、いまも本殿の三座の御榊(みさかき)をひっかついで、ワーッと矢大臣門へなだれ込んできたのは、やすらい踊りの一団だった。
赤い衣を着た楽人たちが笛をはやし、白い狩衣を着た男たちが鉾や榊を振って、歌いに歌う。
そして輪になった女子供が花棒を振りながら踊って歩く。
すると、この踊りの渦が境内の神馬小屋の前にさしかかったとき、
「キャーッ!」
と、どこからか悲鳴が上がったのである。
だが、浮かれて熱狂している踊りの群れは、それにも気がつかずに足並みを揃えて進んでいく。すると今度は、
「わーッ!」
という声とともに、白い狩衣を着た衛士がふいにぶっ倒れた。
白い服だから目立つ。倒れた姿は血まみれである。
「踊りをやめろ! 踊りをやめろ!」
「踊るやつは、ぶった斬るぞッ!」
驚くべき乱暴者が、いつのまにやらこの極楽のようなお祭りに紛れ込んでいたのだ。
破れ鐘のような声で叫んだその男たちを見ると、雲を突くような大男が三人。大小の刀を帯び、侍の姿をしながら、へべれけに酔って腐った柿のような息を吐き、ギラギラと光る大刀を抜き放って、花や女子の踊りのなかに混じってブンブン振り回しているのだからたまらない。
「アレーッ!」
と泣いて逃げる者。神馬小屋へ飛び込んで馬のお尻に隠れる者、あるいは韋駄天のように逃げ散る者など、いままでの華やかな舞踊は、一瞬のうちにこの暴れ者たちの狼藉によって、荒涼とした地獄絵図と化してしまった。
それだけでは飽き足らず、この三人の浪人者はまたぞろ八神殿の参詣道にヒョロヒョロと現れて、あっちへ当たり、こっちへ当たり散らし、肩で風を切って歩いてくる。
「こらッ、物売りどもは、店を片付けろ!」
「見世物小屋はたたんでしまえ!」
「鳴り物を鳴らすことはまかりならんぞ。いまはそんなご時世ではないのだッ、このバカどもめ!」
「秀吉さまは合戦の真っ最中だというのに、町人のくせに祭などとはもってのほかだ。さっさと店や小屋をドシドシとたたんでしまえ!」
手には刀を振り回し、足ではそこらの物売りの荷物を片っ端から蹴散らしていく。
烏帽子を売っていたおじいさん、鳩の豆を売っているおばあさんが、逃げ損なってかわいそうに、燈籠の下で腰を抜かしてしまう。
さらに哀れを誘ったのは、大勢の客を呼び集め、足駄を履いて三方に乗っていた歯磨き売りの若い男だ。居合の刀を持っていたというだけで、一も二もなく目をつけられ、豹のように飛びついてきた酒乱の浪人者に、血祭りの生贄とされてしまった。
「あぶないぞウ!」
となだれを打つ群衆。
「寄るなよッ」
「母ちゃあん――」
悲鳴と叫喚の渦。子をかばい、親を抱いて砂煙を上げる人情地獄。それは直視できないほどの砂埃であった。
「ざまをみろ、蛆虫どもめ」
「祭がやりたかったら、なぜ天ヶ丘へ付け届けをしておかねえのだ」
「商いがしたいと思うなら、ここから近い南蛮寺へ先に贈り物を持ってこい」
勝手なことを吠えたあげく、カラカラッとあざ笑う三人の酒乱たち。
「おおッ、こんどは今宮の社へ掛け合いをつけろ!」
「うむ、いいところに気がついたぞ。すぐ目の前の南蛮寺へなんの貢物もせずに祭をするとは、太い神主だ。グズグズ抜かしたら拝殿を蹴散らして、あの賽銭箱をひっかついで行け!」
神の心も恐れぬ罰当たりな連中は、土足のまま、裸の鋭い刀を引っ提げたまま、酒の勢いに任せてバラバラと八神殿の階段をのぼりかけた。
なだれを打って逃げかけた群衆も、この様を見て、どうなることかと怖いもの見たさの好奇心に、遠くから「アレヨアレヨ」と眺めている。
すると。八神殿の朱色の柱の陰から、ヒラリと二人の男が現れました。
右側の丸柱から駆け寄ってきたのは、白い衣に白い鞘の刀を差した一人の六部(修行僧)。左側からぬっと立ち上がったのは、墨染めの法衣をまとった、色白でクリクリとした目をした若僧です。
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