その様子を見ると、彼はしばらくの間、病人となってこの可愛御堂に閉じこもっていたようです。
だが、蛾次郎は布団の中に寝てこそいますが、もうすっかり全快した様子で、宮内の顔を見るや否や、ムックリと起き上がりました。
そして、
「おじさん、ひどいじゃないか! どうしたんだいッ」
と怒鳴りつけました。
病人に怒鳴りつけられたので宮内も少しびっくりしましたが、二十日あまりもこの蛾次郎の世話を焼いてきたおかげで、今ではすっかりその性格を飲み込んでいるため、特別に怒ることもありませんでした。
「たいそうな元気じゃの。けっこう、けっこう。それくらいの勢いなら、もうじき元の体に戻るだろう」
「何を言ってるんだい」
蛾次郎は不平を口に尖らせて、
「もうとっくの昔に、この通り元の体になっているんじゃないか。それを、いつまでこんな中へ放り込んでおいて、出してくれないなんて法があるかい。え、おじさん――どこの国へ行ったって、そんな馬鹿な法はないぜ」
「そうかな、それは悪かったよ」
と、宮内はどこまでも好人物らしく笑っています。
「おまけに、笙ばかり吹いていて、まだお昼の飯も持ってきてくれやしない。ちぇっ、おらは腹が減ってしまった」
「いまじきに持ってきてあげるから、おとなしくしておいでなさい」
宮内はこうなだめておいて、そこの扉をピンと閉めたかと思うと、今度は隣の二つ目の木連格子の錠を開けました。
すると不思議なことに、この中にも蛾次郎のところと同じように一組の夜具が敷き並べてあり、その布団の上にもやはりひとりの少年がいました。
だが、その少年は向こうの蛾次郎のように不作法ではなく、いかにももの静かに、そこにいるのかいないのか分からないほど静かに座っていました。木連格子がギーッと開いたので、顔を差し入れた菊村宮内と目が合うと、黙って静かに頭を下げました。「うっかりして、昼食が遅くなってしまった。さぞかしお腹が空いたことだろう」
「とんでもございません。そんなことはどうでもよいのです」
そう答えたのは、例の鞍馬の竹童(ちくどう)でした。
二十日ほど前、クラゲのように漂い、湖で溺れていた竹童と蛾次郎が、今もこうして竹生島の「可愛御堂(かわいみどう)」という建物の中で生きているのを見ると、あの夜か翌朝、島の西浦で、弁天堂の神官・菊村宮内(きくむらくない)の手で救い上げられたに違いありません。
子供好きで優しい宮内の手厚い看病のおかげで、二人とも元の体に近いほど健康を取り戻したのでしょう。
「ありがとうございます。もう体もずいぶん良くなりましたから、決してご心配なさらないでください。それから、わがままを申し上げるようですが、どうか私をこの島から出していただけないでしょうか」
竹童がそう丁寧に頼み込む様子を見て、宮内は、向こうの部屋にいる蛾次郎とこの少年とは、なんと性格が違うものだろうと思いました。
しかし、宮内はどちらのことも憎いとは思いませんでした。
竹童が好きなら、蛾次郎のことも同じように好きでした。
いえ、菊村宮内という人物は、どんな鼻たれ小僧でも、汚れた子でも、子供と名のつく者はみんな大好きだったのです。
だからこそ、武士の身分を捨ててこの竹生島へ渡り、可愛御堂という六角屋根の建物を建てたのでした。
今日は東の国、明日は西の国と、次から次へと戦いが絶えない世の中。
その戦火のたびに、武士も女も百姓も死に、ましてや多くの子供たちの命まで犠牲になります。
菊村宮内は、かつては柴田勝家(しばたかついえ)の家中で重きをなしていた武将でしたが、そうした世のありさまを眺めては、本当に心が痛みました。
そこで主君の勝家に暇乞いをして、いくつもの戦場を巡った末に、竹生島の弁天の社のそばに、この可愛御堂を建てたのです。
「弁財天は母のような存在だ。そしてわしは、不運な多くの子供たちの慈父(やさしい父)になりたい」
そんな願いを抱いていました。
ところが、最近になって琵琶湖の周辺にも、戦の砂ぼこりが舞い上がりました。
伊勢の滝川一益(たきがわかずます)を討った秀吉が、その勢いに乗って、北国の柴田軍と天下分け目の決戦を挑んだのです。
不幸な子供の魂を弔いながら、この御堂の守り人として一生を終えようと思っていた宮内も、かつての主人であり、故郷の兵である北国勢が、すぐ向こう岸の木之本(きのもと)で敗れ、賤ヶ岳(しずがたけ)から逃げ惑う様子を見ると、心が痛み、いっそのこと島を出て再び主君の馬前に立とうかと……ついさっきまで迷っていたのです。
しかし、それもさることながら、乱世の不幸な子供たちの慈父となる生涯も、決して悪い目的ではありません。
特に今、この島には、自分が心を込めて救い出した竹童と蛾次郎という二人の少年がいます。
もう体は治りましたが、体だけ治してやるのでは満足とは言えません。
二人の境遇や心までも幸福で健全にしてから、この竹生島から送り出してやりたい、と彼は願ったのです。
三
今こうして、蛾次郎の顔を見、竹童の姿を見ると同時に、宮内は湖の向こうの戦のことなどすっかり忘れ去り、慈父のような温かい顔つきになっていました。
「この島から出たいと言うのか?」
「はい」竹童はきちんとした姿勢で座り、素直に答えました。「私には、一刻も忘れてはならない主君がおりますし、それに、大事な鷲の行方も探さなければなりませんから……」
「ほう、お前は仕える主君がいるのか。して、そのお方のお名前は?」
「ここではお話しできません。ですが、お師匠さまのお名前なら打ち明けてもよろしいでしょう。私は鞍馬山の僧正谷(そうじょうだに)にいる、果心居士(かしんこじ)先生の弟子の一人でございます」
「うむ、あの有名な果心居士の弟子であったか。なるほど、それなら聞き分けも良いはずだ……では、お前に一つ頼みがある」
「はい、命を助けてくださったご恩人です」
「なんでも聞いてくれるか?」
「できることなら、きっと聞き入れます」
「他でもない、お前と一緒に湖で溺れていた蛾次郎のことだ」
「ああ、あの蛾次郎がどうしたのですか?」
「どうも二人はひどく仲が悪そうだが、なんとかわしの顔に免じて、これからは仲良くしてくれないか」
「…………」
竹童は黙ってうつむいてしまいました。
「そうでなければ、二人をこの御堂から出すことはできない。せっかくわしが助けてあげても、この塔を出た途端、檻から出た犬と猿のように再び血まみれになって取っ組み合いをされては、わしの親切が仇になってしまうからな」「そういうわけで、罪なこととは思うが、二人を別々の部屋に入れて、錠まで下ろしているのだよ。これも一つの情けの形なのだ。悪く思わないでほしい」
宮内の温かい真心が、じわじわと胸に染み込んできたので、竹童も思わず涙ぐみそうになった。しかし、それだけは竹童にとっても、素直に「はい」と頷くことはできなかった。彼は黙って、いつまでも下を向いていた。
「承知できないようだな……ううむ、こればかりは、さすがのわしも困ったものだ」
そこへ、巫女の少女がお粥を運んできたので、宮内はそれを竹童に与え、蛾次郎の分は自分が持って、また先ほどの部屋へと戻っていった。
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