初級翻訳・神州天馬侠 第121話

吉川 英治

「おお、鷲のごちそう!」
と一同に見せて笑わせながら、万千代はその餌を猛禽の鼻先へ持っていきました。
そしてくちばしのそばへぶらぶらとさせましたが、鷲は横を向いて、その匂いすら嗅ごうとしません。
業を煮やした万千代は意地になって、
「こら、食え、食え! くれたものをなぜ食わないんだ!」
と、しつこく突きつけました。するとうるさいとでも感じたのか、金色の瞳と黒い羽を持つ大鷲は、嵐に吹かれたように全身の羽を逆立てました。そう思った瞬間――畳二枚分は優にある両の翼が、ウワーッと上へ大きく広がって、真っ白な腋毛が見えました。それにはたまげたお小姓とんぼたち。

「それっ!」

と、慌てて周りから飛びのきましたが、偉大なる猛禽の翼がたったひと打ち、風をあおるとともに、滑稽にもほどがある、まるで豆人形でもバラまいたかのように、みんなそこらの草むらへ転がってしまいました。

「あー痛い!」
「おー、ひどい目にあった!」

やがてめいめい、腰をさすりながら起き上がってみると、鷲は杉の根元でケロリとしており、「とんぼ組の諸君、何をそんなに踊っているんですか?」とでも言いたげな様子です。

ところが、すごい奴が一人いました。
たった一人、いまの羽風にも倒されず、鷲のそばに突っ立ったまま、じっと腕組みをしている少年がいたのです。
お小姓とんぼの中に、あんなに肝の据わった者がいたかしら? とみんなが目を見開いて見ると、いや、違う、ぜんぜん違う。肩つぎのある筒袖に、汚れきった膝行袴をはき、そのなりには不釣り合いな立派な太刀を差して、鷲にも負けない鋭い目つきの持ち主です。
浜松城の小姓組には、こんな汚れた小僧はいません。

「誰だ、あいつは?」
「いつの間に、どこから降ってきたんだ?」

ぞろぞろと少年たちが集まってきました。
そして今度は鷲よりも、この小僧の方に好奇の目を注ぎました。
けれど、そこに黙然と立った鞍馬の竹童は、自分を取り巻いてジロジロと眺める小姓たちのことなどすっかり忘れ果てて、

「おお、お前はクロじゃないか!」

と、心の底から溢れる懐かしさを、無言で呼びかけているのでした。

――ああ、ずいぶん久しぶりだったねえ。

そう思うと、竹童はなんだかポッと顔が熱くなるような気がしました。
彼の愛着と憧れは、不意に巡り会ったクロを見て、やさしく動悸を打っていました。
そこに動物と人との隔たりなど何もなく、

「お前を蛾次郎に盗まれてから、おいらはどんなに諸国を探し歩いたことか。波の荒い北の海、吹雪のすさぶ橡ノ木峠(とちのきとうげ)、それから目が見えなくなってまで、京都の空へ向かって、おいらはクロよ、クロよと呼んでいたんだ。その甲斐があって、やっと天ヶ丘(あまがおか)で蛾次郎と奪い合いをしたかと思えば、お前はまた、二人を琵琶湖へ振り落としたまま、どこかへ姿を消してしまった……さあ、それからも竹生島(ちくぶじま)にいる間、おいらは朝となく夜となく、どれほど空を気にしていたか知れやしない……。だがよかったなあ、いいところで巡り会えたなあ。わかるかい、覚えているかい? この鞍馬の竹童の顔を……」

と、口には出さないものの、熱い慕情を込めてじっと見つめているうちに、思いもよらぬ再会の情が、ついには滂沱(ぼうだ)の涙となって目にあふれてくるのでした。

そして、何気なく愛撫の手がクロの襟毛へ伸びようとしたその時、

「これっ!」

と鞭を構えながら、徳川万千代が叫びました。
「わしの大事な飼い鳥へ、なんで手を触れるんだ!」

「あ……」

竹童はその声に、初めて我に返ったように、万千代の姿と、周りに群がっているとんぼ組の少年たちを見回しました。
そして、黙って深々と頭を下げました。

「なんだ、お前は! どこの子だ?」
「わたくしは……」
「怪しい小僧だ。敵国の間者に違いない。おじいさま(家康)のお城へ連れて行って、役人の手へ渡してやる」
「ああ、もし! 決してそんな者ではございません。わたくしは、たびたび東海道へも来ております、伊吹村の独楽(こま)まわしでございます」

「なに、独楽まわしだと?」

みんながどよめき出し、

「独楽まわしなら回してみろ! 嘘をついたら承知せんぞ!」

と、腕まくりをしてすごんで見せました。

「はい。独楽のご用ならお安いこと。商売ですから、お望みのままに回してみせます。ですが、わたくしが首尾よく芸をごらんに入れましたら、そのご褒美には、何をいただけるでございましょう?」
「鳥目を投げてやるぞ」
「いえ、お鳥目はいりません。その代わりに、ひとつお願いがございますので」
「では、扇子がほしいか? きれいな巾着が望みなのか?」
「いえいえ、わたくしのお願いと申すのは、この鷲に乗らせていただきたいのです。はい、上まで上がりましたら、すぐにまた降りてまいりますから」
「これへ乗るだって?」

万千代は目を丸くして、

「そんなことができるのか?」
「できますとも。伊吹の山にいたころは、毎日、鷲や鷹を相手に遊んでいたわたくしですから」

たわいのないお小姓とんぼたちは、興奮にそそられて、一も二もなく彼のことばを信じてしまいました。
そして竹童に向かって、早く独楽を回せ、独楽を回したら鷲を貸してやる、とせがんだのでした。「それじゃあ回しますから、そこをずずいと開けてください」

竹童は、どこかの町で見かけた旅芸人の所作を思い浮かべながら、わざと芝居がかって杖を振り、地面にクルリと円形の線を引きました。

「さて、独楽にもいろいろございます。古くは高句麗から伝わった狛江独楽、島から渡ってきた貝独楽、五色に美しく回る天竺独楽、どれもこれも渡来の品でございます。日本での独楽の始まりは、行成大納言が小松のつぶに村濃の糸を巻いて御所で回したのが、ヤンヤと評判になったのが最初でございます。そこから流行り始めまして、竹筒の半鐘独楽をはじめ、腕利きの独楽鍛冶もたくさん生まれました。陀羅独楽、銭独楽、真鍮独楽、ぶんぶん鳴るのが神鳴り独楽、おどけて踊る道化独楽、背が高いのは但馬独楽、名人・金造作の独楽に、豆独楽、賭け独楽、坊主独楽……都では大流行でございます。そして、この手前が扱うのは、近江は琵琶湖の竹生島に千年余り伝わった、希代の不思議な『火焔独楽』――さあ、火焔独楽でございます!」

竹童がにわか芸人の口上を真似て、流れるような弁舌で語り上げると、万千代をはじめとする「とんぼ組」の少年たちは、パチパチと手を叩いて大喜びしました。

しかし、竹童の心は真剣そのものです。口では道化ていても、腹の底では常に伊那丸の危急を案じているのです。先ほど、都田川の刑場へ急ぐ足軽たちが話していたことが事実ならば――武田伊那丸と忍剣、龍太郎の三人が徳川家に捕らえられ、明後日の夕暮れ、河原の刑場で斬首されるという高札の内容が本当ならば――武田一党の命運は、まさに風前の灯火です。

竹童の心が穏やかでいられるはずがありません。一刻も早くこの危機を小太郎山の砦へ知らせたいと、焦る気持ちで一杯なのです。四、五日はかかる道のりを、今夜のうちに駆け抜けたい。

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