初級翻訳・親鳥子鳥 第12話

佐々木 邦

すると、他人が右と言えば必ず左を向くひねくれたお父さんは、
「いや、違う。
第四は想像力だ。
想像力で日頃の観察をしっかりと組み立てるのさ」
と、早速方向をガラリと転換して、
「お鶴や、お母さんは何を食べて一番甘いと感じると思う?って以前に言ったのはこの子だったかな?」
とお母さんに話しかけた。
「この子でございますよ。
お鶴なら喉が長いから、羊羹(ようかん)を食べたらいつまでもずっと甘い味が残るだろうと思ったんですって。
小さい時から本当につましいというか、食べ意地が張っていましたわ」
「とにかく、五歳や六歳の子供にしてはなかなか豪快な想像力だよ」
「あなた、そんなことを言って面白がって奨励しちゃダメじゃないですか!
すっかりいい気になって決心を固めてしまいますよ」
お母さんは、小説家という職業には最後まで徹底して大反対だった。
「お母さん、小説家だってお金をちゃんと稼げればいいんでしょう?」
と僕は、お母さんを少しでも安心させる必要があると感じて言ってみた。
「私だって、お金のことばかり意地汚く考えているわけじゃないよ。
お前が将来、自分の力でちゃんと食べていけなくなったら本当に困ると思って、それを心配しているんだからね」
「ちゃんと稼げるんですよ、小説家だって。
スコットっていう有名な作家は、十何年間というもの毎日毎日五十ポンドも稼いだそうです。
五十ポンドって言ったら、日本のお金で五百円です。
それを三倍にすると十五、三五十五で月に一万五千円、一年で十八万円になります。
それが百年前のことですから、今のお金の価値に換算したら大変な大金でしょう!」
「西洋の昔話なんか今のエピソードには通用しませんよ!
お前もお父さんも悪い癖で、自分に少しでも後ろめたいところがあると、すぐ海外の遠い話を持ち出してごまかすんだから」
とお母さんはすっかりお見通しだった。
「いやはや、参りました。
しかし、源太郎のやつはなかなか熱心に研究しているんだね」
とお父さんは面白そうに笑っていた。
お母さんの期待を裏切ってしまうのは本当に申し訳ないけれど、「ちゃんと生計さえ立てられればいい」とお父さんが言ってくれたのを心の支えにして、僕はその場から引き下がり、まずは「観察」から修行を始めることに固く決心した。
しかし、中学の入学試験という人生の一大イベントを控えているのだから、もちろん受験勉強の片手間である。
幾何や代数という厄介なものに、「人間」というさらに輪をかけて不可解な科目が加わったものだから、近頃の僕は急に忙しくなっていた。
電車に乗って学校へ通う途中でも、小説の修行を決して忘れない。
第一から第三までがすべて「観察」なのだから、小説家を目指すのもなかなかに骨が折れる。
注意深く目を凝らして見渡してみると、世の中には実にさまざまなことが目に映ってきてなかなか面白い。
僕は、切符の持ち方一つとっても、乗客たちの社会的地位や職業に従ってそれぞれ全く異なった方式があることを発見した。
例えば、乗り換え券をクルクルと巻いて、まるでタバコのように耳に挟んでいる男がいる。
それでも落としてしまうのが心配なのか、耳の穴にぐいっと突き刺している強者もいる。
ある男なんて、割引券に自分の唾をつけて、まるで郵便切手のように額にピタッと貼り付けていた。
こんな奇抜で変わった持ち方をする連中は、だいたいが労働者階級の人間たちだ。
どいつもこいつも、とにかく体全体を使って生きている。
それに対して、いわゆる知識階級に属する洋服を着た紳士たちは、みんなチョッキ(ベスト)の上ポケットから切符の端をちょこんと覗かせて、新聞の三面記事に専ら頭を突っ込んでいる。
どれだけ車内が混雑しようとも、上役でも目の前に現れない限り、貧乏揺すり一つしない。
お年寄りの婆さんに席を譲るような優しい人間は、かえってそういう「無学な労働者」の方なのだ。
何もかもが将来「想像力で物語を組み立てるための貴重な材料」だと思って、僕はいつでもどこでもキョロキョロと観察し続けていた。
そんな心構えでいたものだから、郷里の村から久作さんという人が東京見物にやって来たとき、僕は二つ返事で案内役を引き受けてしまった。
普段の僕なら、そんな頼みは丁重にお断りするところだ。
なぜなら、あまり身なりの良くない田舎の人と一緒に歩いているところを学校の友達に見つかったら、気恥ずかしくてたまらないからだ。
「おい源太郎、昨日のいかした紳士は君の親戚かい?」
なぞと、翌日学校で冷やかされるのがオチなのだ。
おまけに、この久作さんという人はかなりの難物だった。
大叔父さんの家の小作人で、この夏におじいさんが田舎に帰省した際、鮎釣りを通じてすっかり仲良くなったのだそうだ。
四十歳になる今まで村から五里(約20キロ)以上外に出たことがなかったのに、その時のじいさんの誘いを真に受けて、東京のおじいさんを頼りに文字通り「ひょっこり」やって来てしまったのである。
「よく我が家まで一人で迷わずたどり着けたもんだね」
おじいさんは何よりもまずそこに感心した。
「俺は人目を恐れない図々しい人間だから、道すがら人に聞きまくったのさ!」
と、久作さんはすっかり得意満面だった。なるほど、話の様子を聞くと、電車も一番近いところに乗って、停留場からまっすぐやって来たようだ。
「まあまあ、ゆっくり見ていってくれよ」
とお祖父さんは珍しいお客さんをくつろがせた。
久作さんはお土産の干し鮎を並べて、そのまま離れで話し込んだ。
僕は、お祖父さんが「自分が獲物だ」と言って持って帰ってきた鮎は、みんなこの小作人が釣ったものだったんだと初めて知った。
お祖父さんもなかなかの食わせ物だ。
夕食後、久作さんはラジオを聴きに茶の間へやって来て、みんなとすっかり打ち解けた。
「お郷里でもラジオをなさっているんでしょうね?」
とお母さんが尋ねると、
「はい。
旦那様のところにいらっしゃいますから、驚きはしませんよ」
と答えた。
こちらは別に驚かそうなんて思っていたわけでもないのに、と思っていると、
「郷里からお出かけになると、こちらは随分と賑やかでしょう?」
とお父さんが社交辞令を言った。
それに対して久作さんは、
「はい。
東京駅に着いた時は大勢の人でしたが、俺はこの通り、人が怖くないもんですから、トットッと走って来ましたよ」
と答えた。
なんだかすごく変わっている。
東京へ度胸試しにでもやって来たみたいだ。
翌日の朝、久作さんは「驚かない理由」を半分自分で説明してくれた。
「坊ちゃんのご案内は恐縮ですが、俺は人が怖くないもんですから安心して下さい。
一つひとつ大口を開けて驚いているとみっともないからと、郷里の大旦那様にしっかり言い含められて来たんですに」
「今日は日曜日ですから空いていますよ。
あちこちゆっくり見て歩きましょう」
と、僕はすぐに久作さんを連れて玄関へ出た。
「久作さん、あなたの帽子はどこですか?」
とお母さんはその辺りを探し回った。
「俺はシャッポなんて嫌いなんでがんす。
頭痛持ちだからかぶらないんですわ」
と、久作さんは郷里から帽子もかぶらずに、はるばるやって来ていたのだった。

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