「困ったなあ」
と僕は、帽子をかぶっていない紳士のお供をして学校の友達に会うのが怖くてたまらなかった。
「久作さん、お郷里とは違って、東京は帽子をかぶらなくちゃ出歩けないんですよ」
とお母さんはお父さんの古い帽子を出してきた。
久作さんはそれにかぶってみたが、頭が小さすぎてすっぽりと眉のあたりまで隠れてしまった。
頭をあまり使わない人の頭は、頭をよく使う人の頭ほど発育していないのだ。
僕は新聞紙を折り込んで、サイズを調節してやった。
「山がないですなあ」
と久作さんは外へ出るとすぐに、あたりをキョロキョロ見回しながら言った。
「東京に山があったらたまらないですよ」
「山がないのは心細いものですな。
なんだか体がふうわりふうわり浮いているような気がするようだ」
「そんなこともないでしょう。
帽子の具合が悪いですか?」
と、僕は久作さんが帽子を小脇に抱えているのに気がついた。
「いや、頭痛がするといけないから、取ったりかぶったりしながら行くんだ」
と久作さんはまた帽子をかぶり直してくれた。
停留場で電車を待っているほんの一瞬の間に、僕はふと久作さんの姿を見失ってびっくりした。
タバコでも買いに行ったのかと思って引き返そうとすると、向こう側の脇道から帽子を抱えて走ってきた。
「どうしたんですか?」
向こうから走ってきた久作さんは息を切らせて言った。
「今、深井の与平が向こうの電車から降りてきたようだったから、後を追ったんだが、なかなかの足の速い野郎だ。
どこかあの辺りに入り込んじまったよ」
「それは人違いでしょう?」
「いや、与平は東京だか横浜だかへ来ているんだ。
俺に借金があるんだから間違いない」
「そうですか……あ、電車が来ましたよ」
と僕は注意したが、これはなかなか骨の折れるご案内になりそうだぞと思った。
銀座や浅草あたりに行ったら、深井の与平さんに似た男が何人いるかもしれない。
その都度チョコチョコと走り出されては、こっちがたまらない。
電車に乗って二町ほど走らないうちに、久作さんは、
「電車なんて郷里にもあるんだから、驚きやしねえだ」
と僕に念を押してきた。
驚かなくてもいいから、とにかく黙っていてほしい。
特に僕と二人きりになると、言葉もよそ行きをすっかりやめてしまっていた。
泉岳寺を見物した時も、僕がさんざん説明してやったあとで、
「赤穂浪士の墓があるっていうだけのことだから、驚きやしねえだ。
郷里の東光寺の方がよっぽど大きいぞ。
ハトももっとたくさんいるしな」
と言った。
ハトなんかを目安にされては、案内する方もすっかりやる気が抜けてしまう。
こうやって「驚かない、驚かない」と一々言い張られると、こっちは意地でも驚かせてやりたくなる。
僕は新橋で降りて、銀座を見せることにした。
尾張町まで歩いた時、
「どうですか? 賑やかでしょう?」
と感想を聞いてみた。
「大勢人がいるから賑やかには違いねえが、俺は人が怖くねえんだ」
とまた来た。
こうなったら高い建築物を利用するに限ると思い、僕は久作さんを松屋へ連れ込んだ。
二階、三階、四階と案内して、ついに屋上へ出た時、
「随分高いでしょう?」
と言って振り返った。
「裏の坊主山の方がずっと高いだに」
と答えて、久作さんはやっぱり少しも驚かなかった。
もともと「絶対に驚かない」と固く決心して来ているのだから仕方がない。
「ここからは東京中が見えますよ。
上野はこのまっすぐの方向です。
浅草はあちらですよ」
と僕はこれからの行き先を教えてあげた。
「三越も見て行くべえ」
「あの塔が見えるのが三越です」
「ははあ、あれが東京駅だね?」
「違います、あれは――」宮城も見えましょう?」
「お昼は帝国ホテルへ寄ってライスカレーでも食うべい」
と久作さんはなかなかに東京のことに詳しい。
「もう下に降りましょうか?」
と僕は久作さんに声をかけてエレベーターへ入った。
「この機械は、故郷の田原屋にもあるから驚きやしねえだ」
と久作さんが言い出した。
それが人でギュウギュウに詰まっているエレベーターの中だったものだから、僕はかなりハラハラして困ってしまった。
しかし久作さんはそんな空気はお構いなしで、
「料理を載せて、厨房から二階へ吊り上げる仕掛けだ。
ツルツルツルとな。
ほら、もう止まった」
と大きな声で言ったので、まわりの人たちはみんな吹き出してしまった。
僕たちは松屋から三越へと向かった。
京橋、日本橋と、久作さんは相変わらず帽子を脇に抱えたままトコトコと歩いていった。
「あの巡査は何をしているだあね?」
と久作さんは橋の向こうにいる交通整理の警察官を指さした。
「あれですか?」
と僕はちょっと考えた。
今度こそはぎゃっと驚かせてやろうと思い、
「あれは本物の人間じゃありません。
電気で動くロボット人形なんです。
ほら、ラジオの音楽が流れてきたでしょう。
これから踊りますよ」
と言うと、ちょうどその時、交通巡査はまた踊り始めた。
あそこの交差点の巡査は、東京で一番よく体が動くのだ。
「何だって道路の真ん中で踊るんでがんす?」
「交通整理ですよ。
見ていてください。
自動車が通ってもいい時と悪い時を、ラジオの仕組みに合わせてあの人形が教えているんです」
「なるほど、さすがは東京だなあ。
びっくりしたよ」
と久作さんはようやく驚いてくれた。
しかし、今度は僕がたまげる番がすぐにやってきた。
というのも、三越の中へ入るか入らないかのところで、久作さんがバタリとひっくり返ってしまったからだ。
「久作さん! 久作さん!」
と僕は恥ずかしさも外聞も、観察なんてしている余裕も忘れて叫んだが、久作さんは目を白黒させていて、すっかり意識を失っていた。
「てんかん発作でしょうか? 泡を吹いていますよ」
と、親切に久作さんの頭の下に自分の草履を敷いてくれる人もいた。
「すぐに救護所へお連れしましょう」
とお店の店員さんたちも駆けつけてくれた。
その優しい介助のおかげで、久作さんはまもなく意識を取り戻した。
「気分はどうですか?」
「もう大丈夫です……。
俺は、もう故郷へ帰りたい」
「とにかくお家へ帰りましょう」
と僕は慌ててタクシーを呼んだ。
これ以上また倒れられたらたまったものではない。
「山が見えないせいで体がふわふわ浮くような気がするのに、そのうえ無理に帽子なんかかぶったもんだから……」
と久作さんは小声で言ったが、家へ帰ってみて、その時倒れてしまった本当の理由がすべてはっきりと分かった。
故郷の大叔父さんから手紙が届いており、
「……追伸。久作は、人が変わったように突然倒れるてんかんが持病ですので、どうかそのつもりでよろしくお願い申し上げます」
とお祖父さんがまさに読み上げたところだったのだ。
「自分は人が怖くないんだ」とあれほどしきりに強がっていたのは、当人も自分の持病であるてんかんのことを気にしていたからなのだろう。
「やっぱり山がないと、どうも心が落ち着きませんわ」
そう言って久作さんは、泉岳寺と松屋、そして三越の入り口を見物しただけで、翌朝には早々と故郷へ帰っていってしまった。
愛孫・浩二
「浩二は本当に頭がいい。
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