耳が遠くなったり、老眼になったり……」
「耳が遠くなったわけじゃないよ!」
「耳がおかしくなったり老眼になったりして、やっぱり厄年というのは争えませんわねえ」
「老眼じゃない。視力が衰えたんだ」
とお父さんは「老眼」という言葉もお気に召さない様子だ。
とにかく年寄り扱いされるようなことは大嫌いなのだ。
「視力が弱るというのは、お年を召した証拠じゃありませんこと?」
「衰弱するのは、必ずしも年のせいばかりじゃない。
若い人のほうがよっぽど神経衰弱になったりするもんだ」
「とにかく、いい兆候ではありませんわ。
年寄り並みに気をつけてくださいましね」
とお母さんは、お父さんの若いアピールする癖をピシャリとたしなめた。
お父さんは黙ってタバコをふかしていた。
耳にやってきた「初老」の波は、目にもしっかりやってきている。
言い返す言葉もなかったのだろう。
僕は「四十」という年齢の破壊力に驚くと同時に、この間出会ったあの頑固なお父さんの姿を思い出して、
「もうあまり無理をなさらないほうがいいですよ」
と、息子としての立場から忠告する必要があると感じた。
「みんなして俺を老人扱いするんだから。
もちろん気をつけるさ。
俺一人の体じゃないんだからな」
とお父さんは納得したものの、素直に引き下がったわけではない。
本物の仕事は四十からなのだと主張したあと、
「そうそう、この間、どっかの雑誌にこの問題についての論文が載っていたな。
文学者が一番いい作品を書いた年齢は、大体四十二歳だという統計データが挙げてあった。
これは俺の考え方とピタリと一致している。
人間の知恵や感情、意志が一番円熟する年頃だからね。
厄年なんてちゃんちゃらおかしいよ」
と付け加えた。
「とにかく、気をつけてさえくだされば結構ですわ」
とお母さんは小難しい理屈よりも現実をとって、もうそれ以上は反論しなかった。
「これで、おサルさんが二匹も弱っているわけですからね」
と僕も体に気をつけてほしいとお願いした。
「一匹ぶんだけは、まだまだ元気いっぱいだけどね」
とお母さんがクスリと笑った。
お父さんの書斎には、面白い額が飾ってある。
知り合いの画家に描いてもらったもので、お父さん自慢の品だ。
初めてこれを見る人は、
「なるほど、大内さん、これはいかにも新聞記者らしい心構えですね」
と感心する。
着想がものすごくユニークな墨絵なのだ。
おサルさんが三匹いて、「見ざる・聞かざる・言わざる」の正反対をやっている。
一匹は、双眼鏡を目に当てている。
もう一匹は、ラジオのレシーバーを耳に当てている。
最後の一匹は、メガホンを口に当てている。
その絵の上には、
何ぞ大に世の非を見
何ぞ大に世の非を聞か
何ぞ大に世の非を言わ
と書き殴ってあり、「さる」という文字を絵のサルたちにかけさせているわけだ。
さらに「三猿亭主人」とサインがしてある。
もちろん、お父さん自身のことだ。
世間が右と言えば左と言いたくなるひねくれ者だから仕方がない。
もっとも、社会の木鐸(※世を導く人)としては、大きく見、大きく聞き、大きく言うのはとても素晴らしいことだ。
三猿亭のおサルさんたちは、やっぱり三匹とも元気でいてくれないと困るのだ。
受験の準備
「どうだい?」
「ダメだよ」
それだけの言葉で、最近は同級生同士の意味がすんなり通じる。
これをNHKのアナウンサーみたいに丁寧な言葉に直せば、
「こちらは片山文一であります。
いかがでございますか? 高等学校の入学試験の準備ははかどりましたか?」
「こちらは大内源太郎であります。
高等学校の入学試験の準備は、まだ一向に見通しが立っておりません」
となるわけだ。
同じ教室に机を並べる三十人余りの坊主頭たちは、入学試験以外の悩みなんて何もない。
大内源太郎とは、ほかならぬこの僕のことで、片山文一はすぐ隣の家の長男だ。
お互いに小学校のときからの同級生だから、すっかり気心の知れた仲なのだ。
以前は「文ちゃん」「源ちゃん」と呼び合っていたんだけれど、中学校に入学するのと同時に、「片山君」「大内君」と呼び合うことに決めたのだ。
ほんのつい昨日のことのように感じるけれど、あれからもう四年が経っている。
あの合格発表の日、合格通知を見て家へ帰る途中、
「よかったね、文ちゃん」
と僕は心からお祝いの言葉を伝えた。
「よかった! 僕たちはもう中学生だ」
「もちろんさ!」
「今までとは違うんだから、もっとしっかり気を引き締めないとね」
と文ちゃんは一段と得意気だった。
「先生もそう言ってたよ」「入ったと思って油断しちゃ駄目だって」
「それはそうだけれど、僕はもう文ちゃんと呼んでも返事しないよ。子供っぽくてかっこう悪いし」
「片山君」
「何だい?」
「明日一緒に教科書を買いに行こう」
「大内君、そうしよう」
「ハッハハハハ」
「ハッハハハハ」
と笑い合って、文ちゃんと源ちゃんは子供の頃の呼び方をおしまい做(し)た。
あの頃は気楽で楽しかった。
大難関を突破して、あとは平らな道を歩くだけのつもりでいたのだ。
もっとも、入学試験の前はそれなりに苦労したものである。
補習授業で毎日夜遅くまで学校に残された。
家へ帰っても算数の問題集とにらめっこで、寝ても覚めても鶴と亀の足の数の夢ばかり見た。
高等学校の入学試験に向けて猛勉強している最近の様子を見ていると、自然と昔の思い出がよみがえってくる。
今でも補習授業が週に二回ある。
その上に英語と数学の塾にも通っている。
帰り道ですっかり日が暮れてしまうことが何度もあって、本当に忙しい毎日だ。
「片山君、ちょっと息抜きに映画でも観に行かないか?」
と僕が誘いかけても、
「そうだなあ……」
と文一君は煮え切らない返事をする。
「やっぱりやめにしよう。その間に幾何の勉強を一つでもやったほうがいい」
と僕も現実的な損得勘定で考えてしまう。
「大内君、映画に出かけないか、久しぶりだしさ」
と今度は文一君が言い出す番の時は、
「うーん……」
と僕が二の足を踏む。
「嫌かい?」
「行ってもいいけどさ」
「大変だ大変だ! 宿題がまだ残っている!」
と文一君はいつもの癖で両手で自分の膝をポンと叩きながら慌て出す。
以前はよく二人で計画を立てて遊びに行ったものだ。
世の中のすべての父親や母親、お兄さんやお姉さんたちの参考のために、そのときの作戦をちょっと紹介しよう。
「お母さん、片山君のお母さんは、僕と一緒ならいいけれど、他の友達とは遊びに行っちゃダメだって言ってるんだって」
と、僕はまずお母さんの機嫌を伺う。
「それは、お隣同士でいつも仲良くお付き合いしているからねえ」
とお母さんはもちろん悪い気はしない。
「お母さん、片山君と一緒に映画に行ってもいいでしょう? 片山君のお母さんが、源ちゃんとならいいって言ったから、今うちの門のところで待っているんだ」
と、僕はすかさず本題を切り出す。
「この間も二人で行ってきたばかりでしょう?」
「うん、そうだけど。じゃあ、断ろうか?」
「そうねえ……。
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