初級翻訳・論語物語 第20話

下村 湖人

で、どうして失敗したのだ?」
「それが実に、妙なきっかけからでございまして……」
「ふむ。」
「先生のそのお目々にぶつかると、すぐに手もとが狂い始めてしまうのでございます。」
「ほうほう。すると、わしの目に何か邪悪な影でも映り込んでいるとでもいうのかな?」
「とんでもございません!
先生のお目々は、それこそいつも湖の水のように澄んでいらっしゃいます。」
「たしかにそうかな?」
「決して、お世辞で言っているのではありません。」
「それがお世辞でないとするなら、お前の『見る目』が悪いということになってしまうがね……。」
しかし楽長には、自分の見る目が悪いとはどうしても思えませんでした。
だから彼は、
「そうおっしゃられますと、やはり私に邪心があると言われているようで……」
と、なんだか残念そうな口調で言いました。
「楽長!」
と、孔子は急に姿勢を正し、まるで射抜くような鋭い眼差しで楽長の顔を見つめながら言いました。
「もっともっと自分の心を深く掘り下げてみなさい。楽長は思わず立ち上がって、棒のように体が固くなりました。
孔子は話を続けました。
「君は、音楽を演奏する時になると、どうしても私の顔色をうかがわずにはいられないのではないかな?」
 楽長は、たしかに、そう言われてみればその通りだ、と思いました。
しかし、それが自分に邪心がある証拠だとは、どうしても思えませんでした。
孔子は少しだけ声を和らげて言いました。
「もしそうだとすれば、それこそが君の邪心なのだよ。
君の心の中では、この孔丘という人間が、いつも君の邪魔をするライバルのようになってしまっている。
君ははっきりと意識していないかもしれないが、君の演奏にとって、私の存在は一つの大きな壁になっているのだ。
君の心はそのせいでバラバラに分裂してしまう。
だから、君は自分の音楽の世界に完全に浸りきることができない。
そこに君の失敗の原因がある。
そうは思わないかね?」
 楽長はうなずくよりほかにありませんでした。
孔子はそこでふたたび楽長を席に座らせて、言葉をつづけました。
「音楽の世界というのは、すべてが一つにとけあう『一如(いちにょ)』の世界なのだ。
そこでは、ほんの少しの対立する気持ちも許されない。
まず一人ひとりの音楽家の心と手と楽器が一つになり、音楽家と音楽家とが一つになり、さらに音楽家と聴いている人たちとが一つになって、みんなで心を一つにしてひとつのチャンスを狙う。
これが、まだ音になる前の音楽の姿だ。
このみんなの心がピタリと一つになった世界が、時機がやってきて自然に震え始めると、まっすぐで濁りのない美しい音が人々の耳に届くのだ。
その音はただ一つである。
ただ一つではあるけれども、その中には鐘のような重い音もあれば、石のような澄んだ音もあり、それらはしっかりと自分だけの独自の音色を保ちながら、決して互いに邪魔をし合ったりしない。
それぞれの個性や独自性をしっかり守りながら、しかもただ一つの大きな音楽の流れにぴったりと溶け合うのじゃ。
こうして、時間が経つにつれて、高い音や低い音、強い音や弱い音、ゆっくりな音や早い音へと、さまざまに変化していくのだが、その間にはほんの髪の毛ほどの隙間もなく、糸を引くようになめらかに続いていく。
そこには時間的な一如の世界があり、永遠と一瞬とがぴったりと一致する姿が見出される。
本当の音楽というものは、こういうものなのだ。
音楽を『聴いてやろう』とか『聴かせてやろう』とかいう世界ではない。
ましてや、自分の腕前とほかの人の腕前を比べたり、音楽がわかる人とわからない人とを差別したりするような世界とは、似ても似つかぬ世界なのじゃ。」
 楽長は、まるで雲の上にある太陽をはるか下から仰ぎ見るような気持ちで、孔子の深い音楽論を聴いていました。
しかし、孔子の最後の言葉が彼の耳に届いた時、彼の胸は急にズキリとうずき出しました。
そして、孔子に「お前には邪心がある」と言われても、それは仕方のないことだ、と思ったのです。
「先生のご教訓は、胸に深くしみ入りました。
本当にありがとうございます。
これからは、演奏の技術を磨くだけでなく、自分の心をしっかりと整えることにも、もっともっと一生懸命にがんばる決心でございます。」
 彼は心からそう告げて、孔子の部屋を出て行きました。
しかし孔子は、彼の足音が遠くへ消えていくのを聴きながら、心の中でこう思っていました。
(楽長は、最高の技術というものは手や喉から生まれるものではなくて、心から生まれるものなのだ、ということだけは、どうやらわかったらしい。
彼の音楽も、これからそろそろ本物になっていくだろう。
だが彼は、私の語った音楽の教えが、そのまま人生についての教えでもある、ということにまでは、まだ気づいていないらしい。
一番の目標を音楽の技術に置いている彼としては、それはしかたのないことかもしれないな。
しかし、あわてることはない。
いつの日か、彼もまた『人生のための音楽』という真実に目覚める時が来るだろう。
彼はもともと真面目な人間なのだから。)
 孔子は、その日の儀式で楽長が失敗したにもかかわらず、いつもよりもかえって晴れやかな、明るい顔をして部屋から出ていきました。
1 子曰く、詩三百、一言以て之を蔽う。
曰く、思い邪なしと。
(爲政篇)

犂牛の子

子曰く、雍や南面せしむべしと。
仲弓、子桑伯子を問う。
子曰く、可なり、簡なりと。
仲弓曰く、敬に居りて簡を行い、以て其の民に臨まば、亦可ならずや。
簡に居りて簡を行わば、乃ち大簡なることなからんやと。
子曰く、雍の言然りと。
――雍也篇――

或ひと曰く、雍や仁にして佞ならずと。
子曰く、焉くんぞ佞を用いん。
人に禦るに口給を以てし、しばしば人に憎まる。
其の仁なるを知らず、焉くんぞ佞を用いん。
――公冶長篇――

子、仲弓を謂う。
曰く、犂牛の子、※くして且つ角よくば、用うること勿からんと欲すといえども、山川其れ諸を舎てんやと。
――雍也篇――

「仲弓には、まるで国を治める王様のような素晴らしい風格がある。
南向きの席に座って、天下を立派に治めることができそうだ。」
 孔子は、このごろ、仲弓に対してそういった最高のほめ言葉を惜しまなくなっていました。
仲弓は心が広くおおらかで、細かいことにクヨクヨせず、しかも立派な行いができる優れたお弟子の一人だったので、そのほめ言葉がまったく的外れというわけではありませんでした。
しかし、それにしても、ほめ方が少し大げさすぎやしないか、という気持ちが、まわりの門人たちの胸にはありました。
仲弓本人にしても、なんだか少し気恥ずかしいうしろめたさを感じていました。
彼は、孔子がかつてこんなふうに言っていたのを思い出すのでした。
「1道理にかなった忠告に対して、正面から反対する者はいません。
だが本当に大切なことは、自分の過ちを素直に認めて改めることなのだ。」婉曲な言葉は誰の耳にも心地よく響く。
だが大切なことは、その真意がどこにあるのかを探ることだ。
いい気になって本当の意味を探ろうともせず、表面的に従うだけで自分の過ちを改めようとしない者は、まったく手のつけようがない。

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